東京媽祖廟の理事長を務める詹徳薫氏が《風傳媒》のインタビューに応じ、廟の構想から建設、運営に至るまでの経緯を詳しく語った。建廟を決めた動機は宗教的な野心ではなく、長年日本で暮らしてきた台湾人コミュニティの願いを叶えるためだったという。特に日本に渡り、ママやホステスとして働いてきた女性たちが年齢を重ねるにつれ、心の拠り所を求めている現状を見て、その思いに応えたいと考えたと話した。

詹氏は早稲田大学を卒業後、日本で50年以上にわたって活動し、在日台湾人社会のリーダーとして知られてきた。日本台湾商工会連合総会や日本中華連合総会の会長を務め、世新大学日本校友会の発起人として僑界と学生ネットワークを結びつけ、台日文化・宗教交流の推進役を担ってきた。若い頃は中古ジュエリーや貨幣の回収・売買から事業を始め、柔軟な経営感覚で財を成し、その人脈を生かして台日をつなぐキーパーソンとなった。
「建廟を決めたのは13、14年前です。会社を日本企業に売却して資金が手元に入った時、長年見てきた僑界の現状を思い、特に日本で働いてきた女性たちが年齢を重ねると心の拠り所を失ってしまう。安心して集える場所が必要だと思いました」と振り返る。実は東京では以前から媽祖廟を建てたいという動きがあり、入江という名の年配者が「媽祖会」を組織していたが、35年もの間実現できなかったという。詹氏はそれを見て、自ら資金を投じることを決意した。「土地を買い、建物を寄付するから廟を建ててくださいと言いましたが、資金がないと言われ、結局自分で建てることになりました」と語る。
廟が完成したものの、発起人たちは運営を続ける意思がなく、最終的に詹氏が理事長を引き受けた。「私は特別に宗教信仰が強いわけではありません。廟があれば参拝し、教会に誘われれば行く、そんなタイプです。でも実際に建ててみると、どれほど大変かがわかりました。」

「うちの廟の神様は、誰一人こちらからお願いして来てもらったわけではありません。すべて夢を通じて知らせがあり、その後住職が媽祖様に筊占いで伺い、さらに台湾の本廟で三聖筊を取り、初めて分霊が許されるのです。」
現住職の連昭惠さんも媽祖様のお告げで日本に来た人物だ。彼女は台湾の媽祖廟で修行した後、大和証券に勤務していたが、媽祖様の夢のお告げで起業し、会社を上場させた。ちょうど東京媽祖廟の建立が始まる時に会社を辞め、廟を手伝うことになった。当初は「5年だけ」のはずが、COVID-19の影響などで10年近く務め、数年前に媽祖様のお告げで台湾に戻ったという。
東京媽祖廟の建立には不思議な縁も重なった。最初の安座時、神位の配置が正しくなかったため、媽祖様が夢で淡水の「行天武聖宮」濟公廟に助けを求め、濟公廟が東京へ神を派遣してすべての神位の配置を整えた。

また、廟の拡張も媽祖様の意思に従って進めている。詹氏は廟周辺の物件を少しずつ取得し、「媽祖街」として発展させる構想を持つ。「周辺の物件を買うときは、必ず媽祖様に筊占いでお伺いします。媽祖様が良いと言えば買い、そうでなければ買いません。」現在も隣接物件を取得し、将来的には駅周辺まで広げたいと考えている。「廟は百年の事業です。廟があれば文化が根付きます。」
今、東京媽祖廟は新大久保にあり、在日台湾人にとって重要な文化拠点であり、心のよりどころとなっている。平日は台湾僑民だけでなく、日本人や観光客も参拝に訪れ、媽祖信仰が東京に根付き、地域コミュニティにも溶け込んでいる。
詹徳薫氏は「この廟が信仰の中心であるだけでなく、日台の文化と僑界をつなぐ長期的なプラットフォームになってほしい。廟があれば、文化を根付かせる道が残せます」と語った。
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