「台湾有事は中国に代償を強いるが、それだけでは習近平を止めることはできない」
『ブルームバーグ』コラムニスト、カリシュマ・バスワニ(Karishma Vaswani)
米国のシンクタンク「ジャーマン・マーシャル基金(GMF)」はこのほど、最新報告書『 中国が台湾を攻撃すれば(If China Attacks Taiwan) 』を発表した。著名な中国専門家ボニー・グレイザー(Bonnie S. Glaser)氏が編集主幹を務めた本報告書は、多数の学者を結集し、「中国が台湾に武力行使を行った場合、どのような代償を払うことになるのか」という極めて重要な問いに答えている。
本報告書は単なる戦場の勝敗予測にとどまらない。台湾海峡での衝突が中国の経済、軍事、そして社会の安定に及ぼす壊滅的な衝撃を体系的に分析したものだ。執筆者らは、いかなる対台湾軍事行動も、習近平国家主席が掲げる「中華民族の偉大な復興」という悲願を、取り返しのつかない悪夢へと変える可能性があると警告している。
経済的自滅 中国が抱える「エスカレーションのジレンマ」 中国による武力行使のリスク評価において、まず理解すべきは経済的コストである。ローガン・ライト(Logan Wright)氏とチャーリー・ヴェスト(Charlie Vest)氏は報告書の中で、中国経済構造に内在する脆弱性と、それが紛争下でいかに増幅されるかを指摘する。彼らが提唱するのは、中国にとって解決不能に近い「エスカレーションのジレンマ(escalation dilemma)」だ。
中国の発展戦略は産業の自立を目指しているものの、経済成長は依然として輸出主導型である。輸出がGDPに占める割合は20%(米国の10%を大きく上回る)に達し、国内雇用の約13%が輸出に直接依存している。
2026年1月4日、トランプ米大統領がベネズエラのマドゥロ大統領の身柄拘束を発表した後、北京のショッピングモールにある大型スクリーンでは、カラカスの現地の様子が放映された。(写真/AP通信) 「エスカレーションのジレンマ」とは、軍事的観点からは政治目的達成のために信頼足る「威嚇(エスカレーションの意思)」を示す必要がある一方、経済的観点からは世界市場を安心させ国内経済への打撃を抑えるために「早期の正常化」をアピールしなければならない、という矛盾を指す。この内在する矛盾が中国の行動範囲を著しく制限し、戦略的な罠にはめ込んでいるのだ。
ライト氏らは、金融市場の反応こそが重要な「引火点」になると分析する。紛争初期、市場は様子見の姿勢をとるかもしれない。しかし、市場参加者が戦争リスクを「不可避」と認定した瞬間、壊滅的な連鎖反応が加速する。資本逃避、人民元の急落、グローバル企業の「脱リスク(De-risking)」加速によるサプライチェーンの移転。これらの結果は非線形的な速度で爆発する。調査会社ロジウム・グループは損失を少なくとも2〜3兆米ドルと保守的に見積もるが、ブルームバーグの試算では最大10兆米ドルに達する可能性がある。
市場のパニックがいったん点火すれば、その破壊力は軍事行動自体の直接的影響を遥かに凌駕する。もし紛争が「大規模戦争」へとエスカレートすれば、中国経済は真の「焦土」と化すだろう。ほぼ全面的な貿易禁輸、米国および同盟国による中国金融システムへの制裁、そして香港の国際金融センターとしての地位喪失。それは中国にとって重要な資金調達窓口の消滅を意味する。
勝てない戦争?人民解放軍の「悪夢のシナリオ」 ジョエル・ウスナウ(Joel Wuthnow)氏は、人民解放軍(PLA)が額面上の戦力では強大に見えても、紛争における「エスカレーションの支配権(escalation dominance)」を確実に掌握できない限り、軍事行動は大惨事になり得ると評価する。米国の介入の可能性がある限り、中国は限定的な紛争が制御不能に陥らないという保証を持てないからだ。米国が介入を決意すれば、当初想定していた「小規模な紛争」は、瞬く間に壊滅的な結果を招く全面戦争へと発展する。つまり、中国が米国の決意を見誤れば、そのリスク計算は根本から破綻することになる。
協同作戦演習を行う中国人民解放軍の部隊。(写真/中国軍サイトより) ウスナウ氏は、以下の3つのシナリオが人民解放軍に与える影響を分析している。
1.「限定的な紛争」: このシナリオでは、PLAの物理的な軍事損失は極めて低く、貴重な実戦経験を得る可能性すらある。しかし最大のリスクは、自らが事態のエスカレーションを制御できないという窮地を露呈することだ。米軍の介入が交戦に至らない形であっても、中国が情勢を主導できないことが証明されてしまう。
2.「中規模の紛争(Intermediate Scenario)」: このシナリオでは、米軍が封鎖を打破するために複数の中国艦船を撃沈すると想定する。PLAは戦力の大半を維持するものの、米軍が示した決意は、中国が全面的な上陸作戦を発動する自信を粉砕するだろう。PLAの水陸両用輸送能力の脆弱性が露呈するからだ。
3.「大規模戦争」: これこそが人民解放軍の悪夢である。報告書の設定によれば、失敗に終わる上陸作戦は、約10万人の解放軍兵士の「陣亡(戦死)」を招く。地上部隊、海空の輸送能力、そしてハイテク兵器の在庫は壊滅的な打撃を受ける。これにより、中国は短期的に再び大規模な上陸作戦を行う能力を完全に喪失し、軍の現代化プロセスは数年単位で後退することになる。
敗戦が招く政治危機と「次の戦争」への伏線 中国共産党にとって、敗戦により最も敏感な問題となるのは「党軍関係」の崩壊、そしてそれに続く重大な政治危機だ。特に「大規模戦争」で惨敗した場合、莫大な人的被害と国家的な屈辱を隠蔽することは困難であり、政権の危機、さらには兵乱やクーデターの引き金になりかねない。
内部崩壊の悪夢 中国共産党が恐れる「社会制御不能」のリスク シーナ・チェストナット・グライテンズ(Sheena Chestnut Greitens)氏とジェイク・リナルディ(Jake Rinaldi)氏の研究は、中国共産党が「戦争の成否」と「国内の安定」を不可分なものとして深く認識している実態を浮き彫りにした。
中国は巨大かつ末端まで浸透した監視・治安維持システムを構築しており、このシステムは「限定的な紛争」によって生じる局地的・短期的な圧力には有効に機能する可能性がある。例えば、過酷を極めた「ゼロコロナ政策」下で見せた強力な統制力が示すように、紛争が中国本土に直接的な打撃を与えない限り、既存の治安維持装置は対応可能かもしれない。
演習を行う中国人民解放軍ロケット軍。(写真/中国軍サイトより) しかし、戦争が本土に波及する「大規模戦争」の局面では、国内の安定は以下の3つの試練に直面する。「物資の欠乏」、「政治への幻滅」、そして「避難民の流出」だ。加えて、中国の公安システムは各地の監視データ統合に高度に依存しているため、関連インフラが戦火で破壊されれば、地方の治安維持装置は「目と耳」を失うことになる。これにより、社会に対する統制能力は大幅に削がれるだろう。社会の安定を統治の礎石と見なしてきた中国共産党政権にとって、対外戦争の敗北は、まさにその礎石を粉砕するトリガーとなり得る。
習近平の賭け 「敗北」が許されない戦争 報告書の編集主幹ボニー・グレイザー(Bonnie Glaser)氏は、「台湾への軍事行動に失敗すれば中国は甚大な代償を払うことになるが、だからといって中国が紛争を放棄するとは限らない」と指摘する。同時に、中国の出兵が必ずしも勝利に終わると断定することもできない。
たとえ中国が高い代償を予見していたとしても、リスクを度外視して実行に移す可能性は残る。期待される利益が莫大である場合、あるいは政治的な考慮がコスト計算を凌駕する場合、高額な代償は無視され得るからだ。ただし確実なのは、もし中国が行動を起こして失敗に終われば、その経済、軍事、社会の安定、そして国際的地位に対し、壊滅的な負の遺産を残すということだ。
2025年5月9日、モスクワでベネズエラのマドゥロ大統領と会談する中国の習近平国家主席。(写真/中国外務省公式サイトより)
トランプ発言と米国の「隙」が招く誤算 『ブルームバーグ』 のコラムニスト、カリシュマ・バスワニ(Karishma Vaswani)氏も同様に、台湾海峡での紛争が中国に驚くべき代償を強いるとしても、習近平氏が行動を思いとどまる保証はないと警鐘を鳴らす。
特に、ドナルド・トランプ米大統領が先頃『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで、中国による台湾の処遇について「習近平氏次第だ」と発言したことは、台湾海峡の不安を煽る結果となった。さらに、『ロイター』が報じた米台関税交渉の大詰めやTSMC(台湾積体電路製造)の米国追加投資といった動きに加え、米国がベネズエラへの派兵やイラン情勢への対応で多方面に戦力を分散させている現状がある。
バスワニ氏は、これらの矛盾したシグナルは頼清徳総統にとって極めて厄介であると同時に、北京の危険な認識を強化する恐れがあると分析する。つまり、威圧的な手段よりも「軍事圧力の強化こそが最善の活路」だと誤認させる可能性があるのだ。
抑止の鍵は「勝利の否定」と日米台の連携 バスワニ氏は、中国の台湾侵攻を食い止めるには、単に代償の大きさを中国に警告するだけでは不十分だと説く。習近平氏に対し、「勝利は不可能であり、エスカレーション後の局面は完全に制御不能である」と確信させる必要がある。
そのためには、台湾、米国、日本の間で調整された一貫性のある政策が不可欠だ。中国の軍事行動を阻止する「能力」だけでなく、そうするだけの「政治的意志」を示す必要がある。具体的には、人民解放軍の上陸を阻む防衛システムの構築、軍民双方のレジリエンス(強靭性)の向上、そして日米が即応可能な兵力と兵站(へいたん)準備を整えることが求められる。
バスワニ氏は最後にこう提言した。「米中貿易協定の交渉材料として台北を巻き込んではならない」。もしそうなれば台湾は脆弱な立場に追い込まれ、それこそが中国当局の望む展開になるからだ。