「神話の里」で日本酒を醸し台湾へ輸出 最高の米を求め自ら稲作

陳韋仁氏は2008年に日本の島根県に留学、卒業後に醸造業界に身を投じ、長年の努力を経て2021年のパンデミック期間中に自身の酒蔵を設立。輸出向け日本酒の製造を開始した。(陳韋仁氏提供)
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台湾人の多くが日本酒を愛好しているが、醸造技術を学び自身の酒蔵を設立するケースは稀だった。陳韋仁氏は2008年に島根大学に留学し、卒業後に醸造業界に身を投じた。長年の努力の末、2021年のパンデミック期間中に自身の酒蔵を設立し、輸出向け日本酒の製造を開始した。

44歳の陳氏は、当初島根を留学先に選んだ理由について、地域の神話文化に魅力を感じたためと語った。その後、獺祭との出会いがあり三重県で修行する機会を得た。デザインを専攻していた経歴から、多くのことを自身の手で行いたいという思いがあった。

2012年の卒業後、山口県の旭酒造(獺祭)で2年間働いた。一時期醸造業を離れたものの、醸造への情熱を断ち切ることができなかった。東京の印刷会社での勤務を経て、2015年に島根の李白酒造に戻り、自身の酒蔵設立を構想し始めた。諦めたいと思ったことはないかという質問に対し、「これは自分の夢。始めたからには最後までやり遂げる」と語った。

幾度の挑戦を経て 2017年に初の日本酒を醸造

創業過程について、陳氏は2017年から2018年にかけて初めての日本酒を醸造し、酒造好適米の探索を始めたと振り返った。縁あって沖縄で「台中65号」の蓬莱米を見つけた。これは日台のハイブリッド米で特別な意味を持っていた。醸造技術を磨くため、島根県の木次酒造、板倉酒造、さらに佐賀県、山口県など各地で研鑽を積んだ。その過程で資金不足や種籾の確保難など様々な困難に直面し、自ら田んぼを耕すほどの苦労があったという。

陳氏によると、台中65号は蓬莱米の一品種で、日本統治時代に蓬莱米の父と呼ばれる磯永吉が開発し、台湾人の主食となった米だった。この米は台湾と日本の歴史的つながりを象徴する存在だという。また、甘みのある味わいは台南出身の自身の食文化とも相性が良かった。

最高の酒米を求め 自ら田んぼへ

農業への挑戦について陳氏は、当初は土地と機械を借りての栽培だったと語った。夏場は酒蔵の修繕のほか、農家との契約栽培も行い、耕作面積は0.7反(約300坪)から現在は2.5反まで拡大。松江市や仁多町など島根県内の異なる地域で栽培を試みた。「東雲沼、西仁多」と呼ばれる二つの地域は特に美味しい米の産地として知られ、自ら試作を重ねて最終的な酒の味と品質を決定していったという。

設備面では、高い醸造効率を持つ機械が高額なことや、蒸米機の容量制限が課題となっていた。現在使用している350キロの蒸し機は、生産量の関係で150キロしか使用できず、蒸気のロスが発生している状態だった。

日本から世界へ 輸出免許を取得

2021年に取得した免許は輸出専用で、国内販売はできない。主力商品の「台中65号」と「台雲」シリーズは台湾、香港、シンガポールに輸出している。日本人が台湾で購入した酒を3倍の価格で日本国内で転売しているという話を聞いて驚いたという。今後はタイ市場に年末か来年初めの進出を予定し、米国市場も視野に入れている。パンデミック下での創業だったが、輸出中心のため大きな影響は受けなかった。「今は好きなことをやっているだけ」と語る陳氏は、知名度向上に力を入れている。

友人たちの支援で6000万円の創業資金を集め、会社設立から設備購入、デザインまで全て自身で手がけた。現在も債務返済中だが、家族の支持を得られていることに感謝し、特に冬季に帰省できる現在の仕事環境に満足していた。

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