呉典蓉コラム:大規模リコール運動で賴清德政権は早くも「ガベージタイム」入りへ

民進党主席・賴清德は22日、民進党中央常務委員会に出席し、リコールを提起した市民団体に対して敬意を表明した。(民進党提供)
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賴清德総統の就任から1年も経たないうちに、「大規模リコール」が台湾政界の主軸となった。これは民主主義の常態とは言い難い。なぜなら、台湾の政治が全土で燎原の火のようにリコール運動が展開される段階に入ると、賴政権はこのような極端な対立と各方面からの敵対的な動員の情勢下では、いかなる政策実績も上げることができなくなる。賴清德の残り3年の任期は全て「ガベージタイム」となり、大規模リコール運動の最大の被害者が誰になるかは明らかだ。しかし、なぜ大規模リコールは戒厳令のように、民進党に致命的な魅力を持つのだろうか。

柯建銘の「狂気」と賴清德の「理性」は紙一重

「大規模リコール」という用語と戦略の主軸は、民進党立法院党団の柯建銘総召集人によって提起された。緑営の穏健派はこれを柯建銘の狂気の所業とみなし、賴清德が数度の中央常務委員会で「市民団体の自主性を尊重する」と表明したことは、適度で理性的なブレーキと見なされている。しかし、柯建銘の狂気と賴清德の理性というこの対比は、実は賴清德の指導スタイルの根本的な問題に向き合っていない。

したがって、この対比はいつでも消失する可能性がある。さらに、「市民団体の自主性を尊重する」という美辞麗句も、いつでも政党間の闘争に転化する可能性がある。高雄市の韓國瑜へのリコールから基隆市長の謝國樑へのリコール発動まで、確かに最初は所謂市民団体による発動だったが、民進党の手法も最初は「尊重」から始まりその後介入を強め、政党の力が明確に介入した。高雄奪還が最大の誘因であり、同じ手法が基隆で失敗しただけだ。このような高度な動員を伴うリコール運動は、市民団体が単独で完遂できるものではない。「尊重」論も「尻尾が犬を振る」論も、人々の信頼を得ることはできない。柯建銘が今回大規模リコールを発動したことで、ついに市民団体という仮面が剥がれた。

与野党の深刻な対立による行き詰まりは、柯建銘のタカ派的な姿勢に確かに責任がある。もし彼がコミュニケーションを図る、あるいは少なくとも「敵情」を理解する役割を果たせば、賴政権が国会に送った人事・政策・予算が全て否定されることはなかったかもしれない。最も明らかな例は、考試委員の人事がほぼ全て通過し、公平会の人事も少なくとも半数は通過したことだ。恐ろしいのは、柯総召集人が闘争に目が眩んで自党の人間まで攻撃し、本来通過の可能性があった大法官候補の劉靜怡氏が与党によって封殺される事態を招いた。この時の彼の狂気の程度は対抗馬の黃國昌でさえ予想外であり、敵を驚かせたが傷ついたのは自分の味方だった。何の利点も見出せない。柯建銘が声高に叫ぶ大規模リコール運動も最終的には、敵に800の損害を与えて自らも1000の損害を被る行動となる可能性がある。 (関連記事: 独占》賴清徳政権は保護費を支払うしかないのか? 呉釗燮が特別ルートで訪米、トランプ新安全保障チームと水面下で接触! 関連記事をもっと読む

大規模リコールは政党間の熱戦に 民進党従来の「ターゲット特定戦術」効力を失う

なぜなら、過去数回のリコール経験から、民進党の常套手段はすでに破られている。第一に、民進党が選挙やリコールで最も得意とするのは、最近流行の「ターゲット特定」戦術だ。目標を定めれば、民進党は党を挙げて動員するだけでなく、友好的なメディアを使って24時間徹底的な攻撃を展開し、時には検察や廉政機関も動く。このような中傷を生き延びられる者はほとんどいない。韓國瑜の過去のリコールや、顏清標の補欠選挙での敗北は、いずれも類似の例である。