鄭麗文氏は、社会学で言う「見慣れた見知らぬ人」のような政治家だ。約40年のキャリアと一定の知名度を持ちながら、その行動様式や政治信条はつかみにくい。国際・国内の政治地図が激変するいま、懸念を招きかねない一方、“未知”だからこそ既存の行き詰まりを打破する可能性もある。
学運出身で国民党トップ 「パラダイムシフト」か
鄭麗文氏が国民党(藍)の党首に就いた経緯は、単なる非典型ではなく、伝統的な党内にとっては「パラダイムシフト」だ。国民党はもともと学生運動を警戒してきたが、鄭氏はその出身で、緑陣営(民進党)のエリート養成の場(台大238号室)から登場。台大で最も急進的なサークルの代表を務め、野百合学運に参加し、かつては台独(台湾独立)志向でもあった。その後、連戦氏、馬英九氏(さらに国民党籍とは言い難い陳沖氏)に見出されて入党し、政府報道官に至るまで、緑陣営にいた支援者にも後押しされた。
政治的な転向にはリスクが伴う。旧友(将来の敵)は過去を材料にできるからだ。鄭氏の表舞台復帰前後、かつての同志が次々とエピソードを晒したものの、目立った負の話は「仲間と永和で犬肉を食べた」程度で、動物福祉の観点では時代にそぐわないが、当時の運動倫理に反したわけではない。結局、致命的な秘密は見つからず、“粗探しに耐えた”ことがかえって評価を押し上げた面もある。
最大の問題は「裏切り」ではなく、順風満帆すぎたこと
民進党出身の“少女”が国民党の指導者になったのは美談では終わらない。陰りは、あまりに順調に事を運んだ点だ。鄭氏は新潮流(民進党の有力派閥)ではないのに要職を歴任し、連戦氏から重責を託され、内外の批評家からは機会主義と見なされた。これまでの言動からして、過去をあまり振り返らない傾向があることも理解できる。
とはいえ、国民党を率い中間層の支持を得られるかは、“転身の語り”にかかる。独立志向だった時代と、現在の反独立の立ち位置は同じ人物の中にある。その経緯をどう説明するかで、機会主義のレッテルを覆せる余地がある。
今回の党首選で対立陣営は「外部勢力の介入」を叫び、鄭氏を親中と位置づけた。しかし候補者は皆、九二コンセンサス(1992年の双方合意。各自の解釈で“ひとつの中国”を認める枠組み)を支持しており、鄭氏の主張は他候補と大差ない。では、なぜ建制派が彼女を恐れるのか。
黄信介氏の「台独は言ってもよいが、やってはいけない」に通じる。いまの民進党に台独をめぐる矛盾があるように、国民党にも矛盾がある。綱領に九二共識を掲げ“中国国民党”を名乗りながら、内部では“脱中国化”の潮流がある。この齟齬の中で、九二共識を明確に支持し「台湾人は中国人だ」と言い切れる鄭氏の言説が、党員の心をつかんだ一因だろう。
鄭氏の勝利は、藍・緑の建制層に反発を呼んだ。趙少康氏は、党内の親中派を整理しなければ中央の統率は難しいと指摘する。党の主導権を握るには、鄭氏自身の“言論の力”が試される。
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