高市早苗首相が率いる新内閣が船出した翌日、日本メディア『毎日新聞』は高市政権の閣僚に関する一件の疑惑を報じた。新たに文部科学大臣(教育相)に起用された松本洋平氏が、過去に南京大虐殺を「虚構」や「捏造」と主張する映画『南京の真実』を支持していたというものだ。保守色が濃い高市内閣において、この報道は再び国内外の注目を集めている。松本氏は就任直後から、早くも論争の渦中に立たされた格好だ。
22日、文部科学省庁舎で行われた就任記者会見で、松本氏は報道陣から南京事件に対する見解を問われた。しかし、慎重な表情を浮かべながらも、個人としての立場には踏み込まず、「私の考えは政府の公式見解と同じです。その立場をしっかり受け継ぎ、職務を全うしていきます」と述べるにとどめた。
日本外務省の公式サイト「歴史問題Q&A」によると、日本政府の立場は「1937年に日本軍が南京に入城した際、非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」というものである。被害者数の具体的な数字については明言を避けているものの、暴行行為の存在自体を否定したことはない。
今年(2025年)6月にも、当時の石破内閣が国会答弁書で同様の見解を改めて確認しており、外務省の立場を踏襲する方針を示していた。しかし『毎日新聞』は、『南京の真実』の公式サイト上に松本洋平氏の名前が「賛同者」として掲載されていることを指摘している。この映画は、南京事件を「虚構」「噂」と断じる内容で大きな物議を醸した。

高市早苗内閣の文部科学大臣:松本洋平氏。(写真/公式サイト提供)
『南京の真実』:「大虐殺は虚構」と主張する映画
『南京の真実』は2007年に制作され、翌2008年1月に第一部「七人の死刑囚」が公開された。監督を務めたのは、右翼系メディア「日本文化チャンネル桜」の社長・水島総氏。制作目的は、国際社会で広く認識されている南京大虐殺の史実を「覆す」ことにあった。
公式サイトで水島氏は、「南京陥落70年(平成19年、2007年)を迎えるにあたり、中国やカナダ、アメリカなどが『南京大虐殺』を題材にした反日映画を次々に制作している。史実を歪めたこれらのプロパガンダが“真実”として世界の共通認識になりつつあり、日本を貶める風潮が拡大している」と主張した。
同映画の公式サイト「賛同者一覧」には、松本洋平氏のほか、当時の東京都知事・石原慎太郎氏や自民党議員の稲田朋美氏、また歴史学者の伊藤隆氏、中西輝政氏、小山和伸氏、佐藤和男氏ら大学教授が名を連ねている。評論家の加瀬英明氏、宮崎正弘氏、右派雑誌『WiLL』編集長の花田紀凱氏、さらには東條英機元首相の孫である東條由布子氏など、数十人の保守系知識人や政治家が賛同者として名を連ねている。
「永野法相辞任事件」を想起させる展開に
『毎日新聞』は22日、文部科学省が南京事件に関する政府の公式見解を、教科書検定の最高方針として位置づけていると指摘した。教科書出版社には、政府の統一見解に基づいて歴史的事実を記述することが求められている。そのため、教科書検定を統括する文部科学大臣が「南京大虐殺は存在しない」とする主張にどのように対応するかが焦点となっている。
松本洋平文科相は記者団からこの点を問われ、「教科書検定は静謐な環境で行われるべきものであり、その環境を守り続けたい」と述べるにとどめた。自身の歴史認識や過去の発言については明確な回答を避け、政府見解に従う姿勢を強調した。
『毎日新聞』は、この問題が過去にも類似の前例を持つと指摘している。1994年、当時の法務大臣・永野茂門氏が就任直後に「南京大虐殺は捏造だ」と発言し、国内外で激しい批判を浴びた。当時、野党や世論からの非難に加え、中国をはじめとする近隣諸国からも強い抗議が寄せられ、永野氏は発言を撤回し謝罪。結果として就任からわずか11日で辞任に追い込まれた。この「永野辞任事件」は、いまなお日本政治史における「歴史認識発言」の警鐘として語り継がれている。
「教育勅語」への質問にも沈黙
南京事件に加え、松本洋平氏は就任会見で、もう一つの敏感なテーマにも直面した。記者から首相・高市早苗氏が強く推奨している《教育勅語》についての見解を問われたのだ。
《教育勅語》は1890年(明治23年)に明治天皇が公布した教育方針を示す勅令であり、「忠君愛国」「親孝行」「社会貢献」などの徳目を道徳教育の基礎に据えた。しかし、戦後の1948年6月、衆議院は「教育勅語廃止」を決議。勅語が「国体神話」や「天皇主権」を助長し、民主主義および国民主権を掲げる日本国憲法に反すると判断されたためである。
高市早苗首相は自身の公式サイトで、幼少期に両親から教育勅語を繰り返し教えられたと述べ、「子が親に孝養を尽くす」「兄弟が互いに助け合う」「夫婦が和し」「友人を信頼し」「言動を慎み」「困っている人に手を差し伸べ」「学問に励み」「人格を磨き」「社会に貢献し」「法を守り」「国のために尽くす」といった教えを「現代にも通じる正しい価値観」として称賛している。
また、高市氏は衆議院が教育勅語を廃止した背景について、「敗戦後のGHQ占領下で、日本が主権を失っていた時代に強行されたものだ」と指摘。その結果、日本の政治制度、教育政策、精神文化の基盤が大きく損なわれたとし、「安倍晋三元首相が掲げた“戦後レジームからの脱却”は、時代の転換点を示した」と評価している。彼女は、日本人自身の手で教育基本法を改正し、新たな憲法を制定することこそ「日本精神を取り戻す第一歩」だと訴えてきた。
こうした高市首相の思想について問われた松本洋平氏は、「首相の公式サイトの内容は承知しているが、全文を直接確認していないためコメントは差し控えたい」と述べた。加えて、「政府としての立場は明確であり、《教育勅語》は法的にはすでに効力を失っている」と繰り返した。
銀行員から政界へ 松本洋平とは何者か
今回の論争の渦中にいる松本洋平氏は、もともと銀行員出身の異色の政治家だ。旧三和銀行(現・三菱UFJ銀行)で勤務した後、陸上400メートル走の元選手として青少年オリンピックにも出場した経歴を持つ。32歳で政界転身を決意し、「政治は未来を創る仕事」を信条に掲げている。
自民党内では旧二階派に所属し、長年にわたり政務調査会(政調会)で要職を歴任。政策調整や法案立案を担う「事務局長」を3期連続で務め、特に教育無償化をめぐる自民・維新・公明の交渉で中心的な役割を果たした。実務能力と調整力の高さには定評があり、若手議員の中でも有力な存在とされる。
2014年の御嶽山噴火では現地対策本部長として陣頭指揮を執り、自身の結婚披露宴を欠席して対応に当たったエピソードは「責任感の象徴」として知られている。党内では小林鷹之議員率いる若手グループの責任者も務め、組織運営能力にも評価が集まっている。