日本前駐中国特命全権大使であり、立命館大学衣笠総合研究機構の教授を務める垂秀夫氏が、最近《風傳媒》の独占インタビューに応じました。これは、彼が台湾メディアのインタビューを初めて受けたものでもあります。退職後、個人の立場で国際関係について分析するだけでなく、彼が熱中している写真撮影や、駐台中の外交エピソードも共有しました。
台湾に2度駐在した経験を持つ垂氏は、多くの台湾の政治家とも親交があり、とりわけ国家安全会議の元秘書長・邱義仁氏とは深い友情を築いています。邱氏が陳水扁政権下で下野した後、南部で農業に従事していた際も、両者は連絡を取り続けており、垂氏が総統府で写真展を開催した際にも、邱氏が助力したと言います。
垂秀夫氏は京都大学法学部出身で、在学中は日本の現実主義的外交を代表する高坂正堯氏に師事しました。大学卒業後すぐに外務省に入省し、自ら希望して中国語を専攻しました。いわゆる日本外交界の「チャイナ・スクール」出身であり、中国に精通した専門家と見なされています。しかし、彼の特筆すべき点は、派遣先がすべて「中国語圏」(中国・香港・台湾)に限られていたことで、これは非常に稀なケースです。中国に複数回駐在した経験を持つ垂氏ですが、「対中強硬派」としての評価を受けつつも、中国人脈を多く築き上げました。
初めて台湾に派遣された際、垂秀夫氏は39歳という若さで、日本台湾交流協会台北事務所の総務部長を務めました。当時、香港にいた垂氏は東京に対し、台湾への派遣を自ら強く希望しました。「なぜ台湾に行きたかったのか?それは、台湾からの視点で中国という国を理解したかったからです」と述べています。香港で「一国二制度」を観察し、北京での勤務や南京での留学経験を経た彼は、中国をより深く理解するためには台湾が必要不可欠だと考えました。垂氏は、若い時に台湾を経験することの重要性を強調し、外務省の特例的な判断により、初の台湾派遣が実現しました。
当時は陳水扁総統が政権を握り、蔡英文氏が陸委会主委、吳釗燮氏が副主委、邱義仁氏が総統府秘書長を務めていました。また、林佳龍氏はまだ若く、蕭美琴氏は民進党国際部の主任を務めていました。垂氏は、当時から後に民進党が再び政権を握る際の主要メンバーたちと知己を得ていました。その中でも特に親交が深かったのは邱義仁氏でありました。
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彼らの多くは、垂氏から派遣された教師から日本語を学んでいました。帰国後も、アジア大洋州局での業務を含め、彼らとの交流は続きました。2016年に蔡英文氏が総統に就任した際には、垂氏は審議官として台湾問題を担当する最高位の官僚として、政権移行チームの吳釗燮氏や邱義仁氏らと政策調整を行ない、当時の首相安倍晋三氏や外務大臣岸田文雄氏に対台政策の報告を行っていました。
垂秀夫氏は、日本の外交官として、最も基本的な立場は日本の国家利益を基盤とすることだと述べています。台湾は日本の国家利益にとって極めて重要な存在であり、とりわけ現在のように中国がますます「理不尽な行動」を取る状況下では、その重要性が一層際立っています。「日本と台湾はある程度協力する必要があり、それが非常に重要だ」と強調しました。
垂氏は、台湾の外交部長や長年の友人である邱義仁氏に対して、「私は一義的には親台派ではなく、親日派である」と直接伝えたことがあると回想しました。この立場は台湾のためではなく、日本の国家利益に基づくものであり、外交業務の核心原則に沿ったものだと述べています。彼によると、邱氏はこの見解を完全に理解し、受け入れてくれたといいます。
2008年に台湾で政権交代が起きた後、邱義仁氏は高雄市内門地区に移り、農夫として活動を始めました。農委会の前副主任委員戴振耀氏と共同で「耀伯農場」を経営し、トマトやカボチャなどの作物を栽培していました。また、2012年からは京都産業大学と北海道大学で約1年半にわたり客員研究員を務めました。陳水扁政権時代から親交が深かった2人は、その後も連絡を取り合い、垂氏は邱氏が農業に従事していた際に電話をかけたり、日本滞在中に会ったりしていたといいます。
「海島之国」写真展は、2018年5月に台湾の総統府で開催された垂秀夫氏の個展です。日本と台湾で撮影した40点以上の作品が展示され、両国の美しい風景や活気あふれる人々の姿を紹介しました。当時を振り返り、垂氏は、総統府副秘書長の姚人多氏や友人の邱義仁氏との食事の際、邱氏が突然「総統府で展示しよう」と提案したことがきっかけだったと語りました。その後、姚氏の協力を得て展覧会は無事開催されました。
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当時、垂氏は「メディアには公開しないように」と唯一の要望を伝え、できるだけ控えめに進めることを希望したといいます。総統府も記者発表を行わず、当時の副総統・陳建仁氏が個人のFacebookで開幕式に参加した樣子を投稿したのみでした。
現在、自身について最も重要である「写真撮影」について語る中で、垂秀夫氏は台湾の自然風景への愛情を共有しました。「台湾には撮影する価値のある場所がたくさんあります」と述べ、これまでに北部の大部分を撮影した一方で、南部の台南や高雄など、まだ訪れていない場所への期待を語りました。彼は特に宜蘭がお気に入りだとし、「山と海を同時に楽しめる美しい景色や温泉などの豊かな自然資源に恵まれている」と絶賛しました。特に、台湾杉などの壮大な景観を有する太平山は深い印象を残していると述べる。
2024年5月9日、蔡英文前総統は、総統府にて垂秀夫氏に「大綬景星勲章」を授与し、日台関係への卓越した貢献を称えました。垂氏によると、この件は2018年、彼が台湾での2度目の任務を終えて日本に戻る際にすでに提案されていたものでしたが、当時は何らかの理由で辞退したといいます。しかし、蔡英文氏が退任直前にこの件を思い出し、最終的に勲章を授与されたことに驚きと喜びを感じたと述べました。「私にとって非常に大きな栄誉になりました」と垂氏は語っています。
《風傳媒》が最近の日中外交関係の進展について質問した際、垂氏は個人的な見解として、日本と中国の関係は長期的な歴史的視点や戦略的観点から考慮されるべきだと強調しました。「日中関係は常に浮き沈みがあります。良い時もあれば悪い時もあります。私が大使として務めていたときが、近年では最も厳しい状況にあったことは事実です。しかし、どのような状況であっても、長期的な戦略的思考を持つことが重要です」と述べました。
また、現在の日本社会では約90%の人々が中国に対して否定的な印象を抱いている状況についても、「その感情を完全に理解し、共感を示しつつも。垂氏は「中国への嫌悪感だけを理由に、日本の対中政策を短絡的に決定するべきではない」と冷静な対応を求め、歷史的観点、戦略的観点から日中関係をとらえる必要性を指摘しました。
また、台湾での勤務時の経験に触れ、多くの台湾人が親日的である一方で、極一部には反日感情を抱く人々もいると述べました。特に歴史的記念日である七七事変や九一八事変等の際には、台湾の抗議者が事務所(台湾交流協会)と日本人学校に押しかけ、中国本土以上に激しい抗議活動を行ったと振り返りました。「多くの台湾人が日本を好きであっても、こうした人々が存在することも事実です」と語り、台湾であれ、中国であれ、多様な視点を持つことの重要性を強調しました。
垂秀夫氏は台湾を日中関係の「交渉の駒」として見なすべきではないと述べています。日本が台湾に対して新たな取り組みを行う際、中国の反応を過度に懸念するべきではなく、日本自身の国家利益を基盤とし、中国と台湾をそれぞれ独立して考えるべきだと主張しました。また、日中関係の影響をできるだけ受けずに、日本は独自の対台湾外交政策を確立する必要があるとも強調しています。垂氏は現在の日台関係について、多少の浮き沈みはあるものの、日台間の友好な基盤は非常に堅固であり、お互いに対する印象は基本的にポジティブであると指摘しました。これが、日台関係をさらに発展させる良い基盤となると述べています。
さらに、日台関係の発展は日本だけでなく、台湾側も双方向の協力を真剣に考慮する必要があると語りました。「現在、民進党政権は多くの日本人に好意的に受け入れられていますが、それが永遠に続くとは限りません」と例を挙げ、民進党が2024年の総統選挙で40%の得票率しか得られなかった点を指摘しました。反対勢力が団結すれば、将来的に政権交代が起こる可能性もあると分析しています。長期的な視点で台湾を理解し政策を策定し、日台および日中関係を理性的かつバランス良く扱うべきだと強調しました。短期的な政治的風向きに過度に影響を受けるべきではないとも述べています。
2024年11月に訪台した際、垂氏は多くの台湾の政治家と会談しました。民進党関係者だけでなく、国民党の朱立倫氏や馬英九氏とも面会したと語りました。朱立倫氏については、20年以上の友人であり、初めて立法委員に当選した際から交流があったと述べています。当時、朱氏の岳父である高育仁氏が仲介し、「同年齢の朱立倫と積極的に交流すべきだ」と提案されたことが、関係の始まりだったと回想しました。さらに、朱氏が桃園県長を務める前は頻繁に会食を共にし、交流を深めたものの、その後職務の変化に伴い連絡が減ったことも明かしました。
また、垂氏は台湾が現在の国際社会において新たな重要な意味を持つと指摘し、特に最先端の半導体技術の分野での重要性を強調しました。「台湾は世界の最先端半導体生産の70~80%を担っており、これは国際社会や日本にとって非常に重要な資源です」と述べ、台湾政府がこの優位性を保護し、大切にすべきだと語りました。中国が台湾の半導体技術に強い関心を抱いている一方で、最先端の半導体を製造することは現時点で困難であることから。「中国は喉から手が出るほど、台湾の半導体技術をほしいと思っているであろう」と述べ、日台および西側諸国がこの課題に取り組む重要性を改めて訴えました。この点、林佳龍部長と完全に意見が一致しました。
垂秀夫氏は、現在の日本のメディアによる台湾問題の議論が偏りすぎており、武力統一(武統)の議題に過度に焦点を当てる一方で、より現実的かつ重要な問題が見過ごされていると指摘しました。武統の可能性について、垂氏は完全に排除することはできないものの、その可能性は比較的小さいと述べました。むしろ、中国は情報戦、認知戦や心理戦、経済封鎖などの手段を通じて台湾に圧力をかける可能性が高いと考えています。垂氏は、「台湾の観点から見ると、半導体技術の存在が最も重要です。一方、中国の観点からは、平和統一の可能性により関心を寄せています」と述べ、これらは国際社会や日本が深く考えるべき核心的な議題であると強調しました。
また、台湾の将来の発展について個人的な見解を示しました。統一か継続的な独立かという問題は台湾の人々自身がよく考えるべきであるとしつつ、現在の中国共産党政権下では両岸関係の変化に過度にロマンチックな期待を抱くべきではなく多くの台湾の若者がこの問題に目を向けなくなりつつある状況に懸念を示し、両岸関係の未来について、より現実的かつ実務的であるべきだと語りました。これは、彼自身の長年の経験と観察に基づく見解です。
40年近い外交官としてのキャリアを振り返り、垂氏は「印象に残る出来事が非常に多く、一つや二つの例では言い表せない」と述べました。1980年代半ばに中国へ留学して中国語を学び、その後約30年から40年にわたり中国に関わる事をしてきました。また、台湾で2度の勤務経験があり、香港でも職務に就きました。これらの経験が非常に深い印象を残していると述べています。垂氏は、「これまで、小さな後悔はたくさんあったが、外交官人生に大きな後悔は何もない」と述べ、外交官として「自分ができることを全て成し遂げた」と自負しています。外交官としての人生は意義深いものでしたと語り、自身のキャリアに確信を示しました。