トップ ニュース 米台貿易協定の裏に潜む不安 「米酒騒動」の悪夢再び?台湾社会が恐れる「説明なき関税撤廃」
米台貿易協定の裏に潜む不安 「米酒騒動」の悪夢再び?台湾社会が恐れる「説明なき関税撤廃」 台湾は2000年に世界貿易機関(WTO)への加盟を申請した際、米酒価格の急騰をきっかけに「米酒騒動」が発生した。(写真/洪煜勛撮影)
台湾と米国による関税交渉は最終局面を迎えている。両国が協定に署名すれば、新たな関税措置が正式に確定する見通しだ。
協定締結を前に、対外貿易交渉を担当する行政院経貿談判弁公室(OTN)、国境における関税管理を所管する財政部、国内産業への影響を所管する経済部は、一部産業団体との意見交換を行ってきた。しかし、関税が調整された後に各産業がどのように対応していくのか、また段階的な調整にどの程度の期間を設けるのかについては、現時点で明確な説明は示されていない。
産業界からは、これまで国内で実施されてきた関税調整にはいずれも明確な引き下げスケジュールが示されてきたのに対し、今回の台米貿易交渉ではそうした具体的な工程表が見当たらないとして、「どのように産業界に説明するのか」との疑問が上がっている。さらに、2000年に発生したいわゆる「米酒騒動」の記憶はいまなお鮮明だとして、同様の混乱が再び生じる事態は避けるべきだとの声も出ている。
前例は「米酒騒動」 国内需要を見誤った関税設定 台湾が2000年に世界貿易機関(WTO)への加盟を申請した際、欧州連合(EU)や米国などと幅広い関税協定を締結した。その対象には生活必需品とされる米酒も含まれていたが、国内での関税調整が拙速に進められた結果、「米酒騒動」と呼ばれる混乱が発生した。
当時、台湾はWTO加盟に向けて国内制度の見直しを迫られ、とりわけ影響が大きかったのが、約50年にわたり続いてきた「たばこ・酒専売制度」の廃止だった。交渉の場では、米国やEUなど酒類輸出国が、台湾が国産のたばこや酒を保護し、輸入洋酒に高関税を課していることに長年不満を示していた。外国側の代表は「内国民待遇の原則」を掲げ、すべての酒類を同等に扱い、国内産業保護を理由とする差別的な関税を撤廃するよう求めた。
台米関税交渉を受け、米国車がより安く購入できるのではないかとの期待が台湾の消費者の間で広がっている。写真は米電気自動車メーカー、テスラ。(写真/AP通信提供)
しかし、交渉過程で最大の争点となったのは、台湾の多くの家庭の台所に欠かせない「紅標米酒」だった。台湾側の交渉団は、米酒はウォッカやウイスキーのような「飲用の蒸留酒」ではなく、シャオジウジー(酒鶏)や姜母鴨(ショウガ入り鴨鍋)、産後のいわゆる「坐月子(産後の伝統的な休養方法)」の期間の食事などに用いられる「料理酒」だと強く訴えた。
この文化的な特殊性を伝えるため、台湾側は米国側交渉担当者の訪台に合わせて会食の場を設け、米酒を使った伝統料理を並べるなど、嗅覚や味覚を通じて米酒が台湾の食文化に不可欠な基盤であることを理解してもらおうとした。
当時の交渉結果として、台湾は加盟後、米酒の税率を段階的に引き上げ、最終的に1リットル当たり約200台湾元の税負担を課すことに同意せざるを得なかった。この決定は、米酒の価格がそれまでの1本20台湾元から、一般の人々が負担しにくい水準へ急騰することを事実上示唆するものだった。
米酒高騰で買い占め 酒鶏が一時姿消す 価格上昇を受けて市民の間に不安が広がり、米酒の大量購入が続出した。情報公開が十分でなく、インターネットも普及していなかった当時、米酒は最も手に入りにくい物資の一つとなり、その熱狂ぶりは近年の各種買い占め騒動を上回るものだったとされる。
当時の台湾酒類公司(台酒)の販売店には、早朝から長い列ができ、行列が街角まで続く光景も見られた。政府は事態を抑えるため、当初は「1人2本まで」の購入制限を導入し、その後は「空き瓶との交換制」、さらには戸籍謄本を提示し、世帯人数に応じた配給を受ける方式へと次第に厳格化した。
米酒は一時、事実上の代替通貨のような扱いを受ける場面もあった。ガソリンスタンドが「一定額以上の給油で米酒を進呈」と掲げたり、理髪店が「洗髪で米酒進呈」と宣伝したりするなど、生活必需品が高級な景品のように扱われる異例の状況が広がった。こうした現象は、将来の生活費上昇に対する市民の強い不安を映し出していた。
「米酒騒動」の時期、台湾の屋台料理である麻油鶏などは原材料費の高騰により経営が危機に直面した。(写真/photo-ac提供)
「WTOに加盟したのに、なぜ生活はかえって苦しくなったのか」。これは当時、多くの家庭の主婦が抱いた率直な思いだった。
混乱は経済問題にとどまらず、政治的な圧力へと発展した。当時の野党は、政府が主権を損ない、交渉能力を欠いたと厳しく批判し、交渉団が台湾の人々の「台所」を守れなかったと主張した。紅標米酒は、台湾のWTO加盟の代償として最も象徴的な存在になったと受け止められた。
米酒が高価格で希少な商品となると、市場には偽造酒が出回るようになった。地下の違法酒造業者が商機とみて低価格の密造酒を大量に生産し、市場に流通させたためだ。これらの密造酒はコスト削減のため工業用アルコール(メタノール)を混入するケースがあり、全国に衝撃を与えた「偽造酒中毒事件」へとつながった。
2002年末には、宜蘭県や台東県などの先住民部落で、米酒を飲んだ後に失明や呼吸困難、さらには急死する事例が相次いで報告された。当時の衛生署の統計によれば、数か月の間に台湾全土で確認されたメタノール中毒者は十数人に上り、このうち6人が死亡した。
関税問題は未解決 立法院でも攻防続く 財政部は、塩を加えた「料理酒」の税額を引き下げることで市民の負担軽減を図ると説明したが、複数の委員はこれを現実を直視しない対応だと批判した。当時の立法委員、羅志明(ら・しめい)氏は、産後の養生や麻油鶏の調理などでは従来の紅標米酒が用いられており、塩を加えた料理酒は味の違いから受け入れられないと指摘した。その上で、たとえ料理酒の税率を引き下げても、紅標米酒の高価格という問題の解決にはつながらないとの認識を示した。
「米酒騒動」の際、当時の立法委員、羅志明氏は行政部門が示した政策に疑問を呈した。(写真/郭晋瑋撮影)
当時の立法委員、羅明才(ら・めいさい)氏も自身の経験を引き合いに出し、産後の養生期間には米酒の需要が極めて大きいと指摘した。その上で、塩を加えた料理酒は味が異なり受け入れられにくいとし、高価な紅標米酒を避けようとする消費者が密造酒に流れる可能性があると警告した。これは家計負担の増大だけでなく、品質が安定しない密造酒によるアルコール中毒など、食品安全上のリスクを招くおそれがあるとした。
同じく立法委員だった楊瓊瓔(よう・けいえい)氏も強く批判し、台湾特有の米酒をXOやブランデーなどの蒸留酒と同様に課税するのは不合理だと主張した。高額な酒価が若い世代にとって子どもを持つことへの経済的な障壁になりかねないとの見方も示した。
国際交渉戦略をめぐっては、複数の立法委員が、米酒は台湾固有の文化や生活必需品として位置づけるべきであり、単なる蒸留酒として扱うべきではないと訴えた。当時の立法委員、林重謨(りん・ちょうぼ)氏は、韓国が映画産業を文化事業として保護している事例を挙げ、なぜ台湾は米酒を生活必需品として保護できないのかと疑問を呈した。
また、立法委員の呉清池(ご・せいち)氏は、ドーハ・ラウンドなどの国際交渉の場で、行政部門が米酒と台湾の食文化との結びつきを十分に説明しなかった結果、米酒が形式的に蒸留酒へと分類され高税率が課されたと批判した。その上で、関係当局に対し、「料理酒」としての位置づけを堅持して権益を主張すべきだと求め、必要であれば国際裁判の場に訴えることも辞さない姿勢を示した。
米酒騒動が国家問題に発展 後手の対応でようやく混乱収束 米酒騒動が国家安全上の問題へと拡大した後、馬英九(ば・えいきゅう)政権の発足を経て、政府は各国と関税や品目分類の扱いをめぐる協議を開始した。最終的に、純米で醸造され主に料理用途とされる米酒については税率が引き下げられ、価格は1本およそ25台湾元(約121円)から40台湾元(約194円)程度の水準へと戻った。
現在、台湾のスーパーの棚に並ぶ紅標米酒のラベルには、「特級紅標純米酒」や「紅標料理米酒」など複数の品目名が見られる。これらは、十数年前の混乱を経て制度が修正された過程を物語る痕跡といえる。
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