台湾人の日向さん、日本滞在10年以上で“リスタート”! 愛に渇望し続ける人生、愛を追い求めて挫折も経験

台湾人の日向さんは日本に10年以上滞在し、本業はグラフィックデザイン、現在東京在住。(撮影:黄信維)
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台湾人の日向さんは日本に10年以上滞在しており、彼女の物語は愛の追求と自己成長の緊張感に満ちている。自身の人生を『嫌われ松子の一生』に多くの共感を覚えると語り、愛されたいという渇望と恋愛での挫折に苦しんだ経験を持つ。若い頃は愛に飢えて愛を追い求め続けたが、次第に自己反省を学び、人生を変える重大な決断を二つの重要な年齢で行った。29歳の時、ワーキングホリデービザで日本の地を踏み、夢の実現に向けて奮闘。『風傳媒』の独占インタビューを受けた時は、まさに2つ目の転機の瞬間だった。40歳を目前に控え、彼女は新しい職業に挑戦するために方向転換し、自分の未来を再定義することを決意した。

しかし、人生は結局ドラマとは異なり、物語の松子とは違って、日向さんの物語は悲劇で終わらない。彼女は強靭さと勇気で困難を乗り越え、再び新たな始まりを迎えようとしている。「日向」は台湾出身のフリーモデルで、本業はグラフィックデザイン、現在東京在住。身長160cm、日本語と中国語に堪能で、自称「雑食系オタク」として様々なオタク文化に興味を持っている。長年の仕事もグラフィックデザインを専門とするため、アニメ関連と関わることが多く、大企業での勤務経験がないため、常に「挑戦し、提案する」勇気を持ち続けている。

物語の始まりは、漫画の連載を早く読みたいという思いから

日向さんの日本への物語は、幼少期の純粋な興味から始まった。彼女は当時『美少女戦士セーラームーン』の連載を追いかけるために、友人と一緒に最初の日本語入門書を開いたと回想する。当時の彼女にとって、日本の印象は「生活費が高い」「遠く及ばない国」という程度で、自分がいつかこの地を踏むことになるとは想像もしていなかった。しかし、この日本語への愛着が、彼女の未来のために種を蒔いていた。高校時代、日向さんは夜間部の美術工芸科で学びながらアルバイトで生活を維持し、卒業後はグラフィックデザイン分野に進み、様々な副業も続けていた。29歳になり、ワーキングホリデービザの年齢制限に直面した彼女は、最後のチャンスをつかむことを決意した。

日本に来るために、彼女は日本語の補習クラスに参加し、さらに日本式の小さな居酒屋でアルバイトをすることで、語学力を向上させ、夢の実現に向けて準備を整えた。人生の旅は決して平坦ではなかった。日向さんはネット通販会社の社長との不和で解雇され、その失業時の無力感は今でも忘れられないという。しかし、チャンスは思わぬところで訪れるものだ。居酒屋でアルバイト中、彼女は日本の旅行会社の課長と知り合い、その人は彼女の状況を知ると、自ら旅行会社のガイドとして参加するよう招待してくれた。この経験により、彼女は毎日日本人客と接し、日本語能力が大幅に向上しただけでなく、未来への希望も持つようになった。 (関連記事: 日本政府、国防能力の強化に積極的 複数メーカーと協力し防衛力を推進 関連記事をもっと読む

2014年に日本の地を踏み、グラフィックデザインの専門分野を堅持

ビザ申請を完了後、2014年、日向さんはついに夢見ていた日本の地を踏んだ。日本に到着した彼女は、まず自分に3ヶ月の休息期間を与え、その後友人の紹介で、ファミリーレストランのデニーズでアルバイトを始めた。後に、彼女はアニメグッズ会社に転職し、グラフィックデザインの専門分野に戻り、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の関裕美グッズなど、印象的な作品も手がけた。様々な仕事を転々としながらも、彼女はデザインという主軸を貫き、徐々に職場で安定を見つけていった。この旅を振り返り、日向さんは「実際その時は本当に何もなかった、一つ一つのアルバイトを頼りに、少しずつ今の生活を組み立ててきた」と感慨深く語った。