娘とコロナ禍の経験が日本在住40年の人生に変化を 会計士から寿司講師、そしてネット販売台湾料理店へ

日本に40年以上住む龍川媛さんは現在、東京でネット販売を中心とする台湾家庭料理専門店を経営している。(撮影:黄信維)
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日本に40年以上住む龍川媛は現在東京でネット販売を中心とする台湾家庭料理専門店を経営しているが、これはすべて偶然の産物だった。当初は成功大学会計学科に在籍し、日本でさらに勉強を続ける計画だったが、縁あって飲食業に転身。長年の日本での奮闘の末、新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに人生が転機を迎え、台湾料理店を開業し、故郷の味を日本市場に届けている。経営過程ではパンデミックと高いコストという課題に直面したが、努力により徐々に克服し、両国交流の重要な架け橋となっている。龍川媛は『風傳媒』のインタビューで、日本における台湾料理の普及により、より多くの日本人が台湾文化を理解するようになったと語った。

「ハッピー夢工房」は東京にある台湾家庭料理専門店で、台湾から日本に渡った龍川媛(陳淑珍)さんが経営し、顧客に本格的な台湾の伝統家庭料理を提供することに力を入れている。現在の主な経営モデルはネット通販プラットフォームを通じて、より多くの顧客が手軽に台湾の味を楽しめるようにしている。パンデミック期間中に始まり、最初の小さな店舗から現在の安定した経営まで、事業発展の過程で多くの困難があったが、彼女と家族は大きな努力を払ってきた。龍川媛の経歴も印象的で、30〜40年前、成功大学会計学科に在籍し、早稲田大学会計研究科に合格し、台湾から日本での生活を始めた。

職場復帰で飲食業を選択、「当初会計士の道を進んでいれば人生は違っていた」と笑う

彼女は「会計の道に進んでいれば全く違っていただろう」と笑う。彼女が料理を学んだきっかけは、最初に日本に来たとき留学生だったため、節約の必要があり、台湾の饅頭や餃子などの軽食を自分で作り始めたことだった。当初は台湾人の夫と一緒に日本で勉強を続けるために来たが、夫が横浜国立大学に合格したため、横浜に引っ越した。その間、語学学校に通いながらアルバイトをし、長女と次女が相次いで生まれ、二人が小学校に入学した後、自分も再び仕事を探し始めた。職場復帰にあたり、飲食業から入ることを考え、後に日本料理店で働き、50代になるまで飲食業に従事し続け、その後一度退職して「一息つこう」と考えた。

会計から飲食業への転身は意外だったが、料理への興味が彼女にこの道を歩み続けさせ、当初は台湾料理専門店を開く計画はなかった。退職後、調理師免許を持っていたため、休息後に仕事を探すことを考えていた。近所の人の紹介で佛光山東京別院でボランティアをするようになり、日本の寿司の装飾アートにも触れた。 (関連記事: 台湾人の日向さん、日本滞在10年以上で“リスタート”! 愛に渇望し続ける人生、愛を追い求めて挫折も経験 関連記事をもっと読む

在日超過40年的竜川媛目前在東京經營以網購為主的台灣家庭料理專門店。(黃信維攝)
職場に復帰する際、龍川媛さんは飲食業からスタートすることを考えた。(撮影:黄信維)

寿司が動物の形などに作られているのを見て、龍川媛は新鮮さを感じ、この技術を学ぶことを決意し、関連資格を取得した。「JSIA飾り寿司認定講師」は日本寿司指導協会によって認定される資格で、観賞用の創造的な装飾寿司の作り方を教えることを専門としている。