台湾との連携に新局面 「宰相の郷」出身、東京海上元会長・隅修三氏が交流協会トップに就任

2025-06-27 12:45
日本台湾交流協会は、新会長に東京海上ホールディングス元会長の隅修三氏が就任すると発表した。(写真/陳明仁撮影)
目次

台湾と日本の交流において重要な役割を担う日本台湾交流協会は、東京海上ホールディングス株式会社の元会長である隅修三氏が、大橋光夫氏の後任として会長に就任することを発表した。政界関係者によると、隅氏は財務・経済に強い知見を持つ実業界出身の人物であり、日本経済団体連合会(経団連)の副会長を務めた経験もある。その背景から、今後の日台関係において、彼が商界からの「大手」として強力な影響力を発揮するとの見方が出ている。

隅氏は1947年7月11日、山口県玖珂郡錦町(現・岩国市)に生まれ、日本の保険業界では長年にわたり重鎮として知られてきた。政財界での豊富な経験を持ち、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)に1970年に入社して以来、同業界でのキャリアを積み上げてきた。

東京海上ホールディングス前会長の隅修三が日本台湾交流協会会長に就任。(日本台湾交流協会提供)
隅修三氏は東京海上ホールディングスの元会長で、日本経済団体連合会の副会長も務めるなど、日本の経済界における重要人物だ。(写真/日本台湾交流協会提供)

山口県・宰相の郷の出身、早稲田大学卒業

隅氏の出身地である山口県は、「宰相の郷」として名高く、明治維新の原動力となった長州藩の流れを汲む地域である。これまで伊藤博文、山県有朋、桂太郎、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三といった歴代首相を多数輩出しており、日本の政治史に深く関わってきた。

隅氏は早稲田大学理工学部土木工学科を卒業。校友誌には、自身が過ごした1960年代の高等学院や大学での学生生活について寄稿しており、特にボート部に所属し、寮生活で培った経験が、その後の企業人生の基盤になったと振り返っている。

1963年に山口県の山間部から単身で上京した隅氏は、当初はボート部の訓練を軽視していたが、日々隅田川で体力を鍛え、練習中に油輪(曳舟)に助けられた経験もあるという。この出来事を通じて、身体的にも精神的にも忍耐力を養うことになったと語っている。

また、当時の英語学習に真剣に取り組まなかったことを悔やんでいるとしつつも、大学時代にはオリンピック代表選手が立ち上げた社会人ボートクラブに参加し、自主性を発揮したという。学生寮「和敬塾」では、異なる出自を持つ学生たちと寝食を共にすることで、視野を広げた。1960年代の学生運動が活発だった時代には、論理的な議論の力と、心理的な耐性も身につけたと述べている。早稲田の「自由・自立・責任」という理念は、社会に出てからの自分を支える原動力になったとも明かしている。

日本首相安倍晋三(美聯社)
山口県は多くの重要な政治家を輩出しており、日本で最も影響力のある政治家も含まれる。(AP通信)

経歴から商界の巨人に 経済界と国際舞台で活躍

商業界に入った後、隅氏は2000年代から徐々に企業の中枢へと着実に上り詰めた。海外本部ではロンドン駐在の首席代表を務め、その後、常務取締役、専務取締役などを歴任。2007年には東京海上日動の社長に就任し、同時に当時の持株会社であるミレアホールディングスの社長も兼務した。翌2008年、持株会社が東京海上ホールディングスに改組された後も社長を務め、2013年には取締役会会長へと昇格。その後は2016年よりシニアアドバイザーとして会社にとどまり、経営を支えている。

企業経営にとどまらず、隅氏は日本経済界全体と国際的な舞台でも活躍している。2013年には英国ロンドン市から名誉市民の称号を授与され、2015年には経済同友会の副代表幹事から日本経済団体連合会(経団連)の副会長へと転じた。2016年にはソニーの社外取締役にも就任。2018年には国際保険界における最高の栄誉である「保険名誉殿堂」入りを果たした。