頼清徳総統は「国家の団結」を掲げた就任後の第二演説で「不純物質を排除する」と発言し、社会に衝撃を与えた。この表現は、異なる意見を許容しない姿勢を露呈したというよりも、現代民主主義の感覚から大きくずれた発想を示すものだった。中国の政治風刺で「改革開放三十年、一夜で解放前に戻る」と語られることがあるが、蔡英文前総統が「誰も自分のアイデンティティに謝罪する必要はない」と就任演説で述べたのに対し、頼氏は「民族」と「国家認同」の問題を解決すると誓った。その方向性には、民主主義の後退を懸念する声がある。
頼氏の発言が問いかける、進歩主義の限界
頼氏が「不純物を排除」と発したのは偶然ではなく、民主主義の原則や手続きに対する理解の浅さを物語っている。この表現はまた、これまで民進党陣営が掲げてきた「進歩的価値」への鈍感さをも浮き彫りにした。かつて、国民党の林沛祥氏が「社会の辺縁者」と表現され非難されたように、強者の側から差別的なレッテルを貼ることは、厳しい批判の対象となる。もしそれが総統自身から発せられたならば、たとえ表面的に弁解がなされても、内部では戸惑いが残るはずだ。
その後、総統府は「百鍊成鋼」と表現を差し替えたが、思想の根幹にある内容までは変えられなかった。民主主義は、西洋で発展した制度として、権力の抑制と均衡、多様性の包摂という二つの原理に支えられてきた。頼氏の演説からはそのどちらの要素も乏しく、民主的制度に対する誤解を示している。
頼氏は「人民が主役の民主主義」を語り、国家機関の暴走防止を掲げたが、自身がその国家機関の長である以上、中立性の担保と権力の自制こそが問われるべき点だ。実際には、NCCや中選会のような独立機関の機能は失われ、検察は政敵を標的にする道具となっている。国民が主役かどうか以前に、国家機構が社会に損害を与えている状況はすでに進行中である。
「8割の支持」と「2割の排除」が示す論理の綻び
頼氏は、蔡英文前総統が提示した「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」という「四つの堅持」を称賛し、陸委会の世論調査で8割の国民がこれを支持していると強調した。これは、中華民国(台湾)への認同が社会に根づいている証拠ともいえるが、頼氏はそれだけでは団結の基礎としては不十分だとした。
彼は「この8割の民意が国家を守り、民主主義を支え、社会の安定と進歩を促す」と述べ、選挙やリコールを通じて主権意識を育てることが重要だと語った。しかし、この発言を深掘りすれば、「8割が支持するなら、残りの2割は不純物なのか?」という問いが浮かぶ。中華民国の法制度ではすでに思想や言論を理由とした処罰は廃止されており、もし現代の台湾が忠誠心を測るために思想の検証を行うとすれば、それはまるで中世ヨーロッパの宗教裁判のようなものである。
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現実には、スパイ行為と国家認同は必ずしも一致せず、民進党内でも利益目的で共産党と接触した高官がいた。国民への不信を募らせるよりも、頼氏は蔡英文氏のように「アイデンティティで罪に問わない」姿勢を継承し、包摂によって本当の意味での団結を築くべきである。