評論:「台湾」は「中国」から誕生?頼清徳総統の歴史観に広がる波紋

2025-06-24 14:16
頼清徳総統(写真)は「団結国家十講」の第1回講義に出席。(写真/劉偉宏撮影)
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台湾・賴清德総統は、イランでの武力衝突が激化し、米軍が核施設を攻撃した直後という国際的な注目が他に向かうタイミングで、「国家の団結を目指す十回連続講演」の初回を開始した。中央選挙委員会が大規模リコール投票日を発表した直後でもあり、演説は内外の情勢に埋もれた形となった。観衆は少なく、批判的な声も目立ち、特に国民党・民衆党陣営からはリコールへの動員と捉えられている。

歴史から現代まで、賴清德氏が見ていない中華民国

約5,000字に及ぶ講演で賴氏は、南島民族のルーツから台湾、澎湖の歴史をたどり、清朝の統治、日本統治、国連決議2758号に至るまでを網羅した。主張の核心は「台湾は中国の一部ではない」という一点に集約されている。中華人民共和国による統治が一度も存在しない事実を強調する一方で、中華民国との歴史的・法的関係についての記述はほぼ皆無だった。

講演では、1624年にオランダ人が台南に上陸し、1626年にスペイン人が北台湾に上陸した時を「台湾の歴史の始まり」と位置づけ、「それ以前の台湾は中国との従属関係が一切なかった」と語った。

鄭成功や清朝による統治に言及しつつも、その後の中華民国による主権の経緯には触れなかった。中華民国の総統でありながら、賴氏の独立志向は「中華民国」そのものの存在を語らず、否定するかのような姿勢を取っている。

また、清から日本への割譲、そして戦後の返還に関する歴史的文書──カイロ宣言、ポツダム宣言、降伏文書、台湾受降式など──が明確に「台湾は中華民国に返還された」と記すにもかかわらず、賴氏はこれを無視している。台湾の抗日運動や、台湾人が抗戦に参加した歴史についても、講演では触れられていない。

台湾人の抵抗は「他民族」になることへの拒絶である

もっと重要なのは、彼が中華民国と台湾の「歴史的つながり」を完全に切り離して語っている点である。カイロ宣言は「日本が中国から奪った領土、すなわち東北四省、台湾、澎湖群島などを中華民国に返還する」と明記し、ポツダム宣言もそれを踏襲。日本の降伏文書ではポツダム宣言の完全履行が求められ、台湾と澎湖の無条件返還も含まれていた。さらに日中(サンフランシスコ)平和条約では、台湾と澎湖の財産・債務の処理主体を「中華民国当局および住民」としており、台湾受降式では、陳儀が責任者として安藤利吉の署名を受け、台湾・澎湖は正式に「中国(中華民国)の版図に復帰した」と宣言された。

つまり、台湾と澎湖は国際的な合意と手続きに基づいて、日本から中華民国に「返還」されたものであり、この過程がなければ、国共内戦で敗れた蒋介石政権が台湾に「復興基地」を設けることは不可能だった。

賴氏は「中華人民共和国は台湾を統治したことがない」と述べたが、それは確かに事実である。しかしながら、中国共産党への対抗を名目に中華民国そのものを切り離そうとする姿勢が、どうして「国家の統一」につながるのだろうか。