日本の学者、若林正丈は新書『台湾政治は面白い!』で、台湾の政要との交流と観察を明らかにした。前総統である李登輝が初めて若林に会ったとき、「君の論文を読んでいるよ!」と言ったことに、若林は驚いた。若林は振り返り、論文を読むこと自体は驚かないが、その場で大声で言ったことに驚いたと述懐する。これは訪問者に対する李登輝の一種の「サービス精神」かもしれない。
若林正丈は学術書の執筆だけでなく、回顧録を書くときも非常に慎重であり、日記やメモを参照して確認する様子が見られる。この本は50年にわたる研究の振り返りであり、台湾民主化と台湾化の過程における「見聞録」や「回顧録」ともいえる。見た目は回顧録のような理論書だが、台湾の政要(当時は党外の人物)との交流や、「分割払いの民主主義」や「中華民国の台湾化」などの多くの理論的概念も含まれている。
台湾研究は幸せだが、困難もある
若林正丈は新書発表会で、台湾を研究する学者として「幸せ」だと述べた。なぜなら、中壢事件から戒厳令解除までの台湾の「最も良い時期」を目撃したからだ(呉乃徳の著書のタイトル)。彼によれば、この時期を学者として見ることは幸せであり、1980年代の日本学界に「珍しい動物」をもたらす回憶の「特権」をもらったと感じている。

若林は「幸せ」である一方で「困難」も経験した。台湾の戒厳令期に日本の台湾人から、訪問先で記録を作らずに脳に記憶するようにとアドバイスを受けたため、当時の記録は乏しかった。結果的に記憶と断片的なメモに頼らなければならないため、「回顧録」を書く際には取材ノートの不足が課題となった。
李登輝「泥を汚水で洗う」
李登輝が若林正丈に初めて会ったとき、「君の論文を読んでいるよ!」と言ったことで、若林は驚いた。李登輝が訪問者への一種のサービス精神を示している可能性があると考える。その当時、1992年の主流派と非主流派の争いがあり、李登輝は若林に「表面上は林洋港が競争相手として、裏では李煥が最も積極的に動いていた」と明かした。
李登輝は日本語で「私は綱渡りをしている」と述べた。彼は中道政策を採用しており、1990年に制定された『国家統一綱領』を引いて、彼の方針が中道による治国であることを示した。「急独」(中華民国の独立路線の否定)も「急統」(すぐに統一を進めること)も避けられるべきだと述べた。

陳水扁は「機会主義者」
若林正丈は、筆記に「台湾人の心、日本人の方法、西欧の政治思想、中国風の皇帝」と記し、これは資深メディア人司馬文武(江春男)が李登輝の多面性を観察した深い見解だとしている。司馬文武はさらに、李登輝の改革が「泥を汚水で洗う」ものであると述べ、ここでいう「汚水」は地方派閥を指し、地方派閥は必要悪であり、「泥」は非主流派の外省人勢力を指すという。
若林正丈の目に映る陳水扁は「機会主義者」(オポチュニスト)である。1989年の最後の増額立法委員選挙(当時台大政治学教授だった胡佛は、台湾の選挙を「渦巻き選挙」と評した)で、陳水扁は『自立晩報』で「義無反顧で台湾を叫ぶ」というスローガンを打ち出した。「選挙に巧みな陳水扁」は、1994年の台北市長選挙や2000年の総統直選で、国民党の分裂を利用して大勝を収め、若林正丈に「政治的賭け者」という印象を与えた。
編集:佐野華美
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