揺るがぬ「台湾」のアイデンティティ──在日台湾同郷会が守り続ける誇り

2025-06-21 14:40
前列右より、多田恵副会長、岡山文章会長、王紹英前会長。後列左から3人目は常務理事のDoris氏。(写真/黄信維撮影)
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日本に暮らす台湾人にとって、最も長い歴史を持つ在日組織のひとつが「在日台湾同郷会」である。1973年の設立以来、同会は交流・支援・政治的発言の場として多くの役割を担ってきた。現在は医師の岡山文章氏が会長を務め、副会長の多田恵氏らとともに、その活動は多様化している。風傳媒の取材に対し、幹部らはその歩みと理念を語った。

「台湾人が安心して集まれる場を」──国民党体制外から出発した独立系組織

岡山会長は、「互いに助け合い団結するという台湾人の思いから、日本で発足し、後にアメリカをはじめ各地に広がった」と語る。在留カードや住民票に「台湾」と明記できるようになった背景にも、同郷会の長年の抗議活動があったという。

副会長の多田氏は、1970年代の国民党体制下では「中国」意識が強く、台湾人が安心して集まれる非体制的な場が必要だったと振り返る。その中で、政権とは距離を置いた独立系の台湾人団体として設立されたのが、同郷会だった。

医師と留学生から始まったつながり 次世代へ

設立当初の会員には、医師不足の日本に渡った台湾人医師や、政府から認定を受けた留学生が多く含まれていた。彼らは日本に定住しながら台湾とのつながりを保ち、学術界へ進む者も少なくなかった。

現在では、長年日本に住む高齢層に加え、留学や就職で来日した若い台湾人も増えている。商業関係者はビジネス系団体を選ぶケースもあるが、同郷会は政治・文化を問わず、台湾人同士のつながりを支えることを使命としている。

「台湾」表記を勝ち取るまでの粘り強い運動

同郷会は、かつて外国人登録証(現在の在留カード)に「中国」と記載されていた現実を変えるため、2000年代から「台湾」表記を求める運動を展開してきた。抗議行動やシンポジウムを通じて社会に訴え、最終的に在留カードでの「台湾」記載を実現させた。この運動は、台湾人アイデンティティの社会的認知に大きく貢献した。

文化の分野では、史明基金会記念館の設立支援も手がけている。常務理事のDoris氏がボランティアとして中心的役割を担い、会としても積極的に後押しした。また、蔡英文総統が民進党主席だった頃には、同郷会主催の講演会が開催され、その政策理念を在日台湾人に広く紹介する場となった。

後列右端が副会長の多田恵氏、左端が前会長の王紹英氏。前列最左は常務理事のDoris氏、左から二人目が現会長の岡山文章医師。黃信維
後列右端が多田恵副会長、左端が前会長の王紹英。前列一番左は常務理事のDoris氏、左から2番目が現会長の岡山文章医師。(写真/黄信維撮影)

文化活動と若者支援──多様な世代と関わる取り組

さらに、台湾の歴史的人物や文化団体が訪日する際には、同郷会が交流イベントを企画し、日本社会との相互理解を図ってきた。若者支援では、林建良氏や王紹英氏が会長を務めていた時代に、池袋の台湾基督教会で若者向け交流会が開催され、情報共有の場として機能していた。 (関連記事: 在日台人Lulu氏、風傳媒インタビュー 偶然たどり着いた不動産業で「日本への帰属感」 関連記事をもっと読む

岡山会長はこうした伝統を継承しつつ、SNSを活用した相談対応など、世代を超えたネットワークづくりに注力している。病院や弁護士の紹介といった実務支援も行い、言語面では年配層が台湾語を用いながらも、若い世代には日本語や他言語に柔軟に対応する姿勢を見せている。

20241009-史明池袋故居現改為「東京新珍味史明紀念館」。(黃信維攝)
2024年10月9日、史明が池袋で暮らした旧居は現在、「東京新珍味史明紀念館」に改修されている。(写真/黄信維撮影)