「司法官」と「報応」について語るのは、いささか不思議にも思える。儒教的な「子不語怪力乱神(子曰く、怪力乱神を語らず)」の教えに従えば、検察官は科学的根拠に基づいて事件を処理し、法に則って判断すべき存在だ。目的は「悪を罰し、人民を守る」ことにある。
しかし、ここ1年以上、実際の捜査・審査においてそのような「実証」に乏しい事例が目立ち、「証拠があるから拘留し、証拠がなくても拘留する」といった対応が常態化しつつある。司法の役割とは何か。民主時代の根本的な問いが、改めて突きつけられている。
柯文哲氏9か月拘束も金流不明 「粗暴な拘留」の再来か
賴清德総統が野党に向けて「国安簡報」を行うと発表する直前、リコール署名運動をめぐって拘留されていた国民党台北市支部主委の黃呂錦茹氏らが「文書偽造」の罪で起訴され、3か月の拘留が決定された。
これに対し、国民党の不分区立法委員である吳宗憲氏は、「検察や裁判所の判断は法に違反していない」と前置きしつつも、「実務上、極めて稀な対応だ」と指摘。「司法の素人である」と自ら述べつつ、「違法ではないが理解に苦しむ」と語った。このように司法関係者ですら解釈に苦しむ裁定に対し、政治的意図を疑う声も上がっている。
民眾党主席の立法委員・黃國昌氏も、総統府報道官の郭雅慧氏による「柯文哲氏と蔡英文氏の面会は非公開だが、黃氏はだめなのか」との発言に強く反発。「総統府が柯氏を“盾”として扱うのは極めて不誠実だ」と批判した。その背景には、柯氏が「京華城案件」で9か月以上拘束され続けているという事情がある。吳宗憲氏の言葉を借りれば、「違法性はなくとも、異例である」ことに他ならない。
民主化以降、政敵に対する司法的圧力は決して珍しいものではないが、司法界は政治以上に体裁と独立性を重視してきた。だが、柯氏の件で指摘される「異例さ」は、近年では見られなかった「粗暴な司法の再来」と受け取られている。
過去には、特捜部が陳水扁元総統の一家を汚職で捜査した際、大量の現金が官邸内で発見され、国際的なマネーロンダリング対策機関からも通知が届いていた。林益世元行政院秘書長の件でも、廃棄された現金の発見という明確な証拠があった。
青・緑の各派議員に関する詐欺事件も、金額や人数にかかわらず、物的証拠が揃っていた。しかし、柯氏の案件では、USB内の「1500」という記録が金流の証拠とされるものの、肝心の送金者・受取者が明示されておらず、「流れ」が特定されていない。押収から9か月半が経過した今も、新たな証拠は提示されておらず、拘束の根拠が問われている。

民衆党主席の柯文哲はすでに9ヶ月以上勾留されている。(写真/顏麟宇撮影)
幽霊署名は削除済み、それでも拘留が続くのはなぜか
「利益供与」が必ずしも「現金収賄」を伴うとは限らない。これは事実である。しかし、金銭のやり取りが明らかでないまま拘留される事例は極めて稀だ。その理由は明快で、検察官が厳格に起訴できても、判決において裁判官が同様の判断を下すとは限らないためである。
とりわけ都市再開発のような案件では、主導権が都市再開発委員会にあることから、地方首長個人に責任を帰すのは難しい。柯文哲氏が初任期に取り組みながらも進展がなかった「大巨蛋(台北ドーム)」案件が好例である。
この「大巨蛋(台北ドーム)」案件は起訴に至ったが、裁判は長期化し、施設自体は市民から一定の評価を得て稼働している。関係者は長期にわたる係争に疲弊したものの、拘留された者はいない。
これに対し、「京華城」案件では、市議の應曉薇氏のみが金銭のやり取りに関与したとされている。にもかかわらず、検察は柯氏の「金流」を特定できないまま、9か月以上にわたり拘留を続けている。また、同様に選挙資金問題が取り沙汰されている李文宗氏も、すでに9か月以上勾留された。
威京グループ会長の沈慶京氏は「政治献金がここまで多くの問題を引き起こすのは理解に苦しむ」と語った。かつて陳水扁元総統一家の汚職事件では、送金者はほとんど処罰を受けておらず、「大巨蛋(台北ドーム)」案件の趙藤雄会長も刑を受けたが、その件とは直接関係がなかった。
こうした中で、検察が柯氏や李氏を「金流なし」のまま拘留し続ける一方で、沈氏や應氏のような明確な資金の動きがあった関係者も勾留対象とされている現状には、司法判断の一貫性が問われている。

国民党台北市党部主任委員の黄呂錦茹氏は、「幽霊署名」を巡る罷免関連の件で2ヶ月間勾留された。(写真/顏麟宇撮影)
「政治的立場」と「否認」が拘留の理由に?
幽霊署名に関しても、選管によってすでに削除されており、リコール署名の最終結果には影響していない。仮に文書偽造があったとしても、未遂にとどまっており、重刑にあたる事例ではない。一般的には罰金や執行猶予が科される程度であり、起訴前後を問わず拘留が行われるのは異例といえる。
過去には、郭台銘氏の立候補に向けた署名集めに関連し、屏東県議会議長の周典論氏が拘留された例がある。だが、郭氏が出馬を断念したことで署名書は中央選管に提出されず、公文書とみなされるかは不明である。検察は選挙違反防止法に基づいて起訴しているが、裁判は現在も上訴中だ。
国家を代表して起訴を行う検察官が、厳正さと同時に基本的な公正さを失ってはならない。証拠や主張の扱いに恣意性があってはならず、裁判所も判断にあたっては一方の論拠だけに依拠すべきではない。
だが現在、野党関係者に対する「拘留不可避」とする対応には、司法が持つべき比例原則を超えた強引さが見られる。象徴的なのが、リコール署名事件において継続拘留が決定された直後に起きた出来事だ。「博弈教父」と呼ばれる陳某が、保釈金の引き上げ3億5000万元(約17億円)を拒否した末、電子足枷によってその場で釈放された。陳氏の関与額は438億元(約2,128億円)とされ、京華城案件の4倍以上にあたる。
その一方で、柯文哲氏は保釈も認められず、政治的立場や「罪を認めない」という態度を理由に、黃呂氏らとともに長期拘束される状況が続いている。こうした状況は「司法による政治的迫害」と受け止められても仕方ない。
司法が本来重んじるべき「体面」すら顧みず、粗暴さを極めた対応がまかり通る現状について、國民党の吳宗憲氏は慎重な言い回しながらも警鐘を鳴らしている。同氏の発言は、法の執行を担う者たちの中にある「誤判も政治起訴も命への影響すら誰も責任を取らない」という習慣が、すでに伝統として根づいてしまっていることを示している。
「司法には報いがない」と信じられている現状の先には、やがて反動としての「業」が噴き出す日が来る。そのとき、声を上げなかった者たちは、肉体をもってその代償を背負わされることになるのかもしれない。