台湾海峡情勢の緊張が高まる中、中国共産党による台湾への浸透作戦が着実に進行している。2025年2月、元宵節が終わった直後、法務部調査局は、ある人物の携帯電話から、現職の賴清徳総統が副総統だった時代のパラグアイ訪問記録を発見した。この情報は一部の高官しか知らない極秘情報であり、国家維持局(国維局)や調査局、国家安全会議の高層はただちに警戒態勢を敷いた。
捜査は特別調査へと発展し、その過程で中国共産党のスパイが総統府や国家安全会議秘書長、外交部の補佐官といった要職にまで入り込んでいたことが明らかになった。国家の重要人物の周辺にまでスパイの手が及んでいた事実に、台湾世論は衝撃を受けた。軍事演習以上に危険な「情報戦」の深刻さが改めて浮き彫りとなった。
調査局(写真)が共産スパイ事件を追及した結果、台湾と中国のスパイ戦の状況が、中国軍機による台湾包囲よりも危険であることが明らかになった。(写真/蔡親傑撮影)調査局、民進党の古参党員3名を事情聴取 水面下で進む浸透工作
2025年2月18日、法務部調査局傘下の国維局は、国家安全に関する重大事件の調査のため、民進党の古参党員である黄取榮氏、邱世元氏、何仁傑氏の3人を事情聴取した。
黄氏は新北市議会議員・李余典氏の元特別補佐を務め、邱氏は民進党の組織部、社会運動部、宗教部の各部長を歴任。さらに、党内の研修機関「民主学園」の元副主任という経歴を持つ。
なかでも、何氏の経歴は調査官を驚かせた。現職の国家安全会議秘書長・呉釗燮氏の補佐を務め、国家中枢に深く関与している人物であり、調査において一歩の誤りも許されない対象であった。
3人とも「根っからの民進党員」とされ、事件が国維局や調査局にとっていかにデリケートな案件であったかがうかがえる。特に、黄氏がかつて中国で学び、現地でビジネスを展開していた経歴が注目された。調査では中国官員との接触の有無などが詳細に問われたが、事態は思った以上に複雑であることが判明した。
何仁傑氏(右後方)は、国家安全会議の呉釗燮(ご しょうしょう)秘書長(中央)の信頼を得ていた側近であり、調査官は軽々しく行動できなかったという。(写真/黄国昌氏のフェイスブックより)「知らなかった」は通用しない 偽証の発覚と対スパイ戦の転換点
事件の核心は、黄氏の虚偽発言にあるとされている。ある調査関係者は「明らかに接触していたにもかかわらず、それを“認識していない”と述べるのは、収賄官僚が『知らない』と主張するのと同じ。明白な偽証だ」と語る。
黄氏が留学していた広東省の暨南大学は、中国共産党の統一戦線部に直結しているとされ、国維局は事情聴取の前にすでにこの点を徹底調査していた。ただし、黄氏はそうした背景を意図的に避けており、国維局もその場で強く追及することは避け、次の段階へ進むことを選んだ。
調査局は、不正確な回答をしようとする黄取榮(こう しゅえい)氏を監視した。写真は陳立白(ちん りはく)調査局長。(写真/柯承惠撮影)邱氏の携帯から「行程情報」が流出──捜査は政権中枢へ迫る
突破口となったのは、邱氏の携帯から黄氏に送られていたメッセージだった。それは、賴総統(当時は副総統)のパラグアイ訪問に際する宿泊先と行程を記したものだった。この情報は、一部の高官しか知り得ない極秘内容であり、捜査の方向性が一変した。
なぜ邱氏が副総統の機密情報を持ち、それを黄氏に送ったのか。その背景は邱氏からすぐには明かされなかった。国維局は事態の重大性を即座に察知し、陳白立・調査局長の指示で台北地方検察署との連携を開始。国家機密の漏洩事件として特別捜査チームを編成すると同時に、事件の報道規制を敷いた。
台北地検の王俊力検察長は直ちに指揮を執り、国家安全専門の検察官を投入。時間的猶予がない中、黄氏と邱氏に対して《国家機密保護法》違反の疑いで携帯データの押収禁止命令を申請し、裁判所はこれを許可した。
一方で、何氏については具体的な犯罪の証拠が確認されなかったため、捜査対象から外されることとなった。
邱世元氏(写真)が、頼清徳副総統の機密行程を黄取榮氏に送信したことが、中国スパイ事件の決定的な証拠となった。(写真/盧逸峰撮影)事件の深刻性と中国側の「称賛」
続いて、検察は黄取榮氏の携帯電話をデジタル鑑識で詳しく調査し、スパイ事件の構図を次第に明らかにしていった。第2波の捜査では、かつて総統府の顧問を務めた呉尚雨氏への取り調べが行われ、2025年2月24日には、裁判所が拘束を認めた。
さらに、検察は黄氏の携帯にあった暗号化アプリ「五子棋ゲーム」の解析に成功。このアプリを通じて、何仁傑氏が外交部における友好国との会談内容や会議の記録、経済貿易協力に関する枠組みと目標といった重要情報を流していたことが判明した。
これに対し、中国側は「極めて貴重で真に価値ある情報であり、大きな助けになる。報酬はより多く支払うべき」と高く評価したという。こうした事実を受け、2025年4月11日、何氏は裁判所により拘留された。
その後、検察は2025年6月10日、黄取榮氏ら4人を《国家機密保護法》《国家安全法》などに違反した疑いで正式に起訴した。捜査によれば、黄氏は長期にわたり中国軍事委員会所属の関連機関とつながっており、邱世元氏を仲介役として呉尚雨氏および何仁傑氏から機密情報を受け取っていた。
金銭面では、黄氏が計607万7500元(約3,000万円)、邱氏が221万6924元(約1,000万円)をそれぞれ受け取っていたことが明らかになっている。検察は黄氏に対して30年以上の重刑を、邱氏に対しては7年以上、呉氏には5年以上、何氏には9年以上の刑を求刑している。
北部検察の王俊力(おう しゅんりょく)検察長(写真)は、中国スパイ事件を直接指揮し、黄取榮氏に30年以上の重刑を求刑した。(写真/柯承惠撮影)行政院、体制不備を認め特殊検査を拡大 国家安全体制の見直しへ
今回のスパイ事件は、賴清德総統のオフィス顧問である呉尚雨氏を巻き込む結果となった。呉氏は総統府の中枢メンバーではないものの、オフィスとの距離は近く、事案の深刻性は高い。とりわけ、何仁傑氏が補佐官としてどの程度の機密を漏洩したのかについて、国維局は依然として追及を続けており、詳細はまだ明らかにされていない。
一連の機密漏洩を受けて、行政院は2025年6月6日、特殊検査の対象範囲を拡大する方針を打ち出した。政府の素早い対応は評価されているが、関係者の間では「本来はもっと早く着手すべきだった」との指摘も出ている。
台湾海峡の緊張が続く中、国家安全における判断の誤りは、致命的な結果を招きかねない。今後、国家と国民を守るためには、体制の抜本的な見直しと事前の備えが不可欠となる。