【独占インタビュー】一青窈さんが語る「魂のふるさと台湾」音楽と言葉のちから

2025-06-15 18:11
2025年5月、歌手・詩人として幅広く活躍する一青窈さんが、台湾の報道メディア『風伝媒』の独占インタビューに応じた。(写真/一青窈提供)
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2025年5月、歌手・詩人として幅広く活動する一青窈さんが、台湾のメディア『風伝媒』の独占インタビューに応じた。台湾にルーツを持ち、日本で長年音楽活動を続けてきた一青さんが、音楽と言葉、文化背景、そしてこれからの夢についてじっくりと語っている。

台湾の風景や香り、言葉──そうした記憶を身体に染み込ませながら、一青さんは自身の表現に丁寧に織り込んできた。その言葉一つひとつからは、音楽に対する深い愛情と、日台の文化をつなぐ“声”としての自覚がにじみ出ていた。

一青窈(ひととよう)さんは1976年9月20日生まれ、東京都出身。台湾人の父と日本人の母のもとに生まれ、幼少期を台北で過ごした。慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、2002年に「もらい泣き」でデビュー。同曲で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、代表曲「ハナミズキ」は国内外で長く親しまれている。映画『珈琲時光』では主演も務めるなど、音楽にとどまらず幅広い分野で活躍している。

「台湾は心の中にいつもある」

「いつも心の中には台湾がある」と語る一青さんにとって、台湾は亡き父の祖国であり、ふとした瞬間に懐かしさが込み上げる場所だという。なかでも家庭でよく食べていた蓮霧(レンウー)を日本で見かけることは少なく、価格も高いため(日本では1個およそ800〜1,000円)、少し寂しさを感じることもあると明かした。

「台湾料理のお店で五香粉(ウーシャンフェン)の香りをかぐと、一気に記憶がよみがえります」と話し、その香りや味、花の匂いまでもが、今も身体に刻まれた「原風景」だという。

また「豆花が一番好き」と語り、幼稚園の給食にもよく出ていたというエピソードも披露。「朝から夜まで豆花を食べられるくらい好き」と笑顔を見せた。

さらに、「今でもずっとビーサン(ビーチサンダル)を履いているのは台湾の名残」と話し、冬でも履いていたいのだとか。「毎朝、台湾のラジオを聴いています。Best RadioやICRTなど、台湾の番組を日常に取り入れることで心が落ち着くんです」と語るその姿からは、「魂のふるさと」として台湾を大切に思う気持ちが伝わってくる。

日本語と中国語——二つの言語が響き合う

言葉への関心が強い一青さんは、「中国語にあるけれど日本語にない言葉、日本語にあって中国語にない言葉がある」と語る。

たとえば「縁」という言葉については、「中国語のほうが土地や人との結びつきを強く感じる」とし、「日本語で“縁があるね”というと、少し距離があるように聞こえることがある」と、その微妙なニュアンスの違いに触れた。

一方で日本語については、「“余白”や“間”がある言語。歌にしたとき、その間が感情を伝えてくれる」と語り、日本語で歌うことの魅力についても言及している。

また、中国語の「じゃあよ(加油)」という表現についても、「日本語の“頑張って”とは少し違っていて、親子の間での励ましのような、もっと感情が濃い言葉」と説明した。