Instagramで3.2万人のフォロワーを持つ旅日インフルエンサー・Dash許琬珍(ダッシュ・シューワンジェン)さんは、台湾で多くの仕事に携わり、テレビ番組の司会なども務めていた。しかし、彼女はこれまでの安定した生活を手放し、単身で東京へと渡り、新たなスタートを切る決意をした。過去5年間で20回以上日本を訪れるほど、日本に魅了されていた彼女は、もともとワーキングホリデーを申請していたものの、コロナ禍により渡航が叶わなかった。また、日本酒への情熱から「Miss SAKE Taiwan 2020」に選ばれ、唎酒師の資格も取得したが、京都での授賞式に参加できなかったことが心残りだった。日本での生活は彼女にとって未完の夢であり、それを実現するために、ここ1~2年の間に日本行きを決断した。
「まずは日本へ」決断の背景——タイミングがすべて
自らの決断について、6年以上にわたり個人メディアを運営してきたDashさんは、「天時・地利・人和(良いタイミング・環境・人間関係)」が揃った今こそが最適な時期だと感じたという。決意を固めた彼女は、「今がその時」と自分に言い聞かせ、2023年に日本の語学学校へ留学し、半年間日本語を学んだ。その後、台湾へ帰国し、日本でのキャリアを本格的に築くことを決意。日本での生活スタイルが、彼女の理想とする価値観や人生観と合致していることを確信し、2024年の初めに再び日本へ渡った。そして今もなお、夢に向かって努力を続けている。
許琬珍さんは、「日本酒への深い愛情が、私が一人で日本へ渡る大きな原動力になった」と語った。(写真:黃信維)日本での企画発想——旅行と日本酒が最大のインスピレーション
理想の目標についてDashさんは、「日本での重要な発想の一つは旅行であり、特に日本酒は私の重点的なテーマの一つ」と語る。彼女にとって、日本酒への愛は日本での生活を決意した大きな原動力だった。唎酒師の資格を持ち、これまでに500種類以上の日本酒を試飲しており、日本国内のさまざまな日本酒イベントにも積極的に参加している。今後も台湾の法律を遵守しながら、さらに日本酒を紹介していく予定だ。
また、彼女は日本の四季の変化に着目し、季節ごとの特色を生かした日本酒との組み合わせを考案。例えば、春の花見と一緒に楽しむお酒や、冬の鍋料理に合う酒など、食文化と融合させながら、より深い体験を提供したいと考えている。これにより、台湾の視聴者にも日本の文化や食の魅力をより豊かに伝えることができると期待している。

許琬珍さんは、「日本酒への深い愛情が、私が一人で日本へ渡る大きな原動力になった」と語った。(写真:黃信維)
四季を感じる日本の魅力
Dashさんは、日本酒には地域ごとの特色が色濃く反映されており、日本国内で手に入れることで、より新鮮で最高の状態の日本酒を楽しめると語る。特に、日本の四季の移り変わりがはっきりしている点は、台湾とは大きく異なる魅力だという。
「日本では季節ごとに旬の食材を使い、食文化が形成されている。また、景色や植物も四季に応じて変化するため、自然の移り変わりを実感できるのが素晴らしい。こうした季節の変化を感じながら暮らせることが、とても心地よく、楽しさを感じる部分です」と彼女は話す。
一方、日本での生活の中でDashさんが特に恋しく思うのは、台湾の屋台グルメだという。「日本には台湾のような屋台文化がなく、あの小吃(シャオチー/台湾のローカルグルメ)が恋しくなります」と笑う。また、台湾の人々の温かさや親しみやすさが、日本とは大きく異なる点として挙げる。
「東京のような大都市では、人と人との距離が少し遠く、冷たく感じることもあります。都会ならではの孤独感が強いと感じることもありますね。でも、日本酒を飲む場では、そういった人々の距離が一気に縮まり、まるで別人のように打ち解けることも多いです」と、彼女は日本と台湾の違いを語った。
許琬珍さんは、自身の人生経験がとても豊富だと語り、茶道や日本酒のテイスティングを教えていただけただけでなく、三立テレビで2年間司会も務めたことがあるという。(写真:黃信維)想像以上の困難——KOLが語る日本での挑戦
Dashさんは、日本での生活を始めてみて、多くのことが想像以上に難しいと実感したという。彼女は、「日本の文化には、ある程度の排他性があると感じることがあります。東京で新しい身分で生活することは、住居探しや通信契約など、あらゆることをゼロから始める必要がありました。この過程は、私の人生観にも大きな影響を与え、非常に大きな挑戦となりました」と語る。
日本でのコンテンツ制作の難しさ
現在、彼女の個人メディア運営は順調に進んでいるものの、言語の壁があるため、時には英語やジェスチャーを駆使しながらコミュニケーションを取ることもあるという。しかし、日本での映像制作には台湾と異なる課題があり、特に肖像権の問題には注意が必要だと感じている。
「日本では、撮影禁止の店舗が多く、肖像権に対する意識も非常に高いです。台湾では、YouTubeやInstagramのReelsなどで、通行人の顔がそのまま映ることがよくありますが、日本ではほとんど見かけません。多くの動画では、顔をモザイク処理する必要があります。そのため、日本で映像を制作する際には、事前の準備段階から細心の注意を払う必要があります」と彼女は語る。
YouTubeへの挑戦と今後の展望
「日本での生活が落ち着くまでは、なかなか本格的にYouTubeに取り組む余裕がありません。日々の仕事に加え、普段の生活もあるため、SNS運営は空いた時間でしかできません。特に、Reelsのような縦型動画に対して、YouTubeは横型動画が主流なので、編集作業により多くの時間と労力が必要になります。個人で運営するメディアとしては、この点が大きな制約となります」と彼女は説明する。
それでも彼女は、「今後、生活がさらに安定したら、YouTubeでもコンテンツを展開し、より幅広い視聴者に向けた情報発信をしていきたい」と語る。特に横型動画については、「視覚的な表現において最も魅力的な形式」として、彼女の理想とする形を目指したいと考えている。
「完全にリセット」——台湾の安定した生活を捨て、日本で再スタート
Dashさんは、自身の経験について、「茶道や日本酒のテイスティングを教えたこともあり、人生経験はかなり豊富です。台湾では、三立テレビの番組『其實沒那麼難(実はそんなに難しくない)』の司会を2年間務めていました。また、イベント企画会社で働いていましたが、コロナ禍の影響で退職しました。その後、皮革製品の販売や講座の開設、さらには車の販売員や百貨店の販売スタッフなど、さまざまな仕事を経験しました」と話す。
このような多様な職歴を経て、最終的に彼女は日本行きを決断し、これまでの台湾でのキャリアを「完全にリセット」することを選んだ。
「自分でも『まるで“断頭式”のように台湾の生活を切り捨てた』と感じています。多くの人は『そんなに長年築き上げたキャリアを捨てるなんて、頭おかしいんじゃない?』と思ったでしょう。でも、これは長年心の中に根付いていた夢なんです」と彼女は語る。
一般的に、人が大きな決断をするとき、周囲は「恋愛の失敗が原因なのでは?」と考えがちだが、彼女の場合はそうではなかった。
「単純に、自分が本当にやりたいことに挑戦したかっただけです。台湾では、忙しさのあまり、何かを“準備する時間”が永遠に訪れないと感じていました。好きなハンドメイドの仕事、講座の開設、広告撮影……毎日が忙しく、気づけば時間が過ぎていく。だからこそ、『準備が整う日を待つのではなく、今こそ飛び込むべきだ』と思いました。たとえ困難があっても、それは成長の一環です」と彼女は話す。
未来の目標——完璧ではなく、"不完全な美"を楽しむ
Dashさんは、将来的に日本での生活を安定させ、より多くの日本の伝統文化や芸術に触れていきたいと考えている。「人間は完璧にはなれない。でも、時には“未完成の美”を楽しむことが大切だと思います。この考えが私の心理的な追求であり、日本に来る理由のひとつでした」と彼女は語る。
帰国への思い——「まだ挑戦は終わっていない」
台湾を離れ、日本での新生活をスタートさせたDashさんだが、時には「台湾に帰りたい」と思うことはあるのだろうか?「もちろん、時々そう思うこともあります」と彼女は正直に語る。しかし、すぐにこう続けた。
「でも、私はまだ本気で挑戦しきっていません。自分の限界まで努力しない限り、『本当にやり切った』とは言えないと思っています。それはどんな目標にも当てはまることで、まるでピラミッドを登るようなものです。途中で辛くなっても、頂上にたどり着いた人だけが見られる景色がある。その景色を見ずに諦めるのはもったいない。だからこそ、私はまだここで踏ん張りたいんです」と彼女は語った。
彼女は、日本での生活を「ゲームの初心者モード」に例えた。
「今はまるでゲームの初心者モードみたいな感じです(笑)。生き延びることが最優先で、毎日が挑戦。でも、それが楽しくもあり、苦しくもあるんですよね」また、台湾を離れた人の多くが、「せっかくここまで来たのだから、簡単には帰れない」と考えることがあるという。Dashさんもその一人だ。
「誰しも、最初は『絶対に成功させる!』という気持ちで海外に出ます。でも、現実はそんなに甘くない。途中で挫折しそうになることもあります。だからこそ、大切なのは“安全な逃げ道”を考えることではなく、『本当に全力を尽くしたのか?』と自分に問いかけることだと思います」と彼女は言う。
「今がその時」——人生で最も重要なタイミング
Dashさんは、日本行きを決めたタイミングについて、こう語る。「人生には、『今がその時だ』と感じる瞬間があると思います。私はまさに、そのタイミングでした。もし今行動しなければ、ずっと『やらなかった後悔』を抱えることになると思いました。だからこそ、このチャンスを逃すのはもったいない。心の中では、もう答えは決まっていたんです」
最後に、彼女は自分の最終的な目標についてこう語った。
「日本で安定した生活を送り、自分の好きな仕事に取り組むことが理想です。そのために、もっと多くの日本の伝統文化を学び、深く理解したい。特に日本の職人文化に興味があるので、今後は職人技や工芸の分野も探求していきたいと思っています」