「最強高校生」からV1昇格の主力へ──張育陞、日本5年目で語る恩師と成長の軌跡

2025-06-07 10:13
かつて「最強高校生」と称された日本プロバレーボール選手の張育陞は、2019年から日本プロバレーボールリーグのVOREAS北海道で活躍している。(北海道VOREAS提供)
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張育陞選手は2019年から日本プロバレーボールリーグのVOREAS北海道で活躍しており、9月には《風傳媒》のインタビューを受け、その心の旅路について語りました。日本に進出することになった経緯について話す中で、現在同じチームでプレーしている台湾の先輩、陳建禎選手にも特に言及しました。彼は、「ブラックドッグ(陳選手のニックネーム)は私の目標であり模範です。同じチームで一緒にプレーできることをとても嬉しく思っています」と強調しました。また、昨年の杭州アジア大会の試合についても印象に残っていると述べましたが、残念ながら良い成績を収めることはできませんでした。

張育陞選手のバレーボールキャリアは非常に早くから注目されており、かつて「最強の高校生」とも呼ばれていました。台中出身の彼は、豊原高商に通っていた高校時代、2017年の高校バレーボールリーグの決勝戦で、5セット目で一人で6点を獲得し、チームを5連覇の偉業へと導きました。2019年には海外に進出し、当時は日本バレーボールリーグの二部リーグに所属していたVOREAS北海道に加入しました。2020/2021シーズンには敢闘賞、ベストサーバー賞などの個人賞を獲得し、2021/2022シーズンではチームが優勝し、最高栄誉選手賞、得点王、ベストサーバー賞などを再び獲得しました。2022/2023シーズンではチームが再び優勝し、多くの個人賞を受賞しました。また、同年には大分三好ヴァイセアドラーを打ち負かし、見事に一部リーグへの昇格を果たしました。

張育陞選手は、小学四年生の頃からバレーボールを始めたと述べました。当時は運動が好きで、大雅国小のバレーボールチームが有名だったため、入部し、その後ずっとプレーを続けています。バレーボールの競技に取り組む中で困難や挑戦に直面したかどうかについては、「これまでずっとプレーしてきた中で一番大切なのは、自分の性格だと思います。自分は負けず嫌いな性格で、同時に試合に出るチャンスを必死で掴もうと努力してきました」と語りました。 (関連記事: 中国、台湾を「中国台北」と呼称:「中華台北はスポーツ分野に限定」と強弁 関連記事をもっと読む

日本職業排球選手張育陞。(北海道VOREAS提供)
日本に渡った理由について、張育陞選手(右)は、「当時19歳で、先輩の陳建禎選手が海外で活躍しているのを見て、自分も日本でプレーすることを最初の目標にしました」と話しました。(北海道VOREAS提供)

言葉の壁も乗り越えて――張育陞選手が語る、日本での苦難と今の自信

日本に進出することになった理由について、張育陞選手は、「当時19歳でしたが、ブラックドッグ(陳建禎選手)が海外で活躍しているのを見て、自分も日本でプレーすることを最初の目標にしました。日本のプロバレーボールリーグはアジアで非常にレベルが高く、男子バレーもトップクラスの水準です。自分の実力を試してみたいと思いました」と述べました。また、「19歳で初めて日本に来たときは、英語も日本語もできなかったので、言葉を覚えるのに多くの苦労がありました。さらに、初年度は当時のチームキャプテンと同じポジションだったため、ほとんど出場機会がありませんでした。そのため、言語や技術の面で大きな挫折を感じましたが、今は克服できたと思います」と振り返りました。