百度(バイドゥ)のCEO・李彦宏(リー・イェンホン)氏は2023年、自社のAI製品「文心一言」を発表したが、その操作デモが事前収録だったと後に認めたことで、「ChatGPTじゃなくてChatPPTだ」と中国国内で揶揄されることに。当時は「中国のAIはアメリカの車のテールランプすら見えない」とまで言われていた。
しかし、2025年の「トランプ2.0」就任当日、中国の大規模言語モデル「DeepSeek-R1」が突如登場し、世界を驚かせた。アメリカの株式市場にも影響を与え、「AI版スプートニク・ショック」と呼ばれるほどのインパクトをもたらした。
ChatGPTとDeepSeekの出現により、これまで視野の外だった「米中AI戦争」が一気に表舞台へ。トランプ氏でもバイデン氏でも、アメリカが中国の技術的・地政学的台頭を警戒しているのは共通している。
米国務長官のマルコ・ルビオ氏も「中国はEV、造船、再生エネルギー、高速鉄道で世界をリードしている」とし、航空宇宙、生物工学、ロボティクス、材料技術、半導体などでも急速に進展していると語った。DeepSeek-R1が世界を揺るがした今、次に問われるのは「AI競争で勝つのはどちらか」「アメリカは中国のAI開発を本当に止められるのか」という点だ。
NVIDIAへの規制はすでに2年に渡る
アメリカはここ2年、NVIDIAの先端AIチップを中国に輸出させないよう規制を強化。たとえ中国向けに性能を落として設計されたH20であっても、販売には政府の許可が必要となった。
だが『フォーリン・ポリシー』誌は、こうした規制が実際にどれほど効果を発揮しているのかについて疑問を呈している。Huaweiの半導体技術における継続的な突破も、議論を再燃させた。
スタンフォード大学の中国技術政策研究者グラハム・ウェブスター氏は、「バイデン政権は2023年10月にH800の対中販売を禁じた。NVIDIAはその規制ギリギリのラインに合わせた製品を大量に作ったが、それが“非愛国的だ”と怒られた」と語る。ただしウェブスター氏は、NVIDIAの姿勢は一貫しており、「手が届く顧客すべてに最先端チップを届け続けている」と擁護する。
NVIDIAがGPUを初めて発売した1999年、用途はゲームやグラフィック処理に限られていた。だが20年後、それがAI開発における不可欠なツールになると誰が想像できただろう。
CEOの黃仁勳(ジェンセン・ファン)氏は今やシリコンバレーを代表する億万長者に。NVIDIAの製品は米国の対中輸出制限の中心ターゲットとなった。2019年(トランプ1.0時代)から始まった対中チップ規制は、バイデン政権でも拡大され続けている。
(関連記事:
黄仁勲氏が漏らしたため息──NVIDIAを襲うチップ規制の誤算
|
関連記事をもっと読む
)
常に一歩遅れている米国政府
とはいえ、米国政府の動きは「常に一歩遅れている」とも言われる。トランプ氏が再びホワイトハウス入りした今、そのAI・貿易戦略が定まらないことが大きなリスクとなっている。今年4月2日、トランプ氏は“解放日”関税を発表したが、最初は全世界に向けていたものの、のちに中国に絞って修正。習近平国家主席に直接電話をかけ、米中貿易交渉の再開を図ったという。
AI戦争においては、「TikTok規制」など逆転的な動きと、「チップ規制強化」のような継続方針が混在。その間にも中国は次々と技術的成果を発表し、アメリカに「進捗通知」を送り続けているような状態だ。
ジョージタウン大学安全保障・新興技術センターの戦略責任者ヘレン・トナー氏は「DeepSeek-R1の出現は、ワシントンが中国のスピードを読み違えていた証拠だ」と語る。バイデン政権がH800の輸出禁止を発表する前に、中国はすでに大量の先端チップを備蓄済みだったという。
『フォーリン・ポリシー』はこの状況を「モグラ叩き」に例え、「ワシントンのハンマーは常に一歩遅れている」と指摘。H20の規制発動前、中国企業はすでに130万個以上を注文済みだった。
規制が厳しくなるほど、中国AIの発展が速くなる?
アメリカが中国への先端AIチップの輸出を厳しく規制する中、逆に中国側の対応力や技術革新を加速させるのではという懸念が高まっている。
北京・清華大学でAI国際ガバナンスを専門とする肖茜氏は、「DeepSeekの登場は、中国のAI関係者に大きなインスピレーションを与えた。米国の制裁や禁輸措置があっても、中国企業は追いつく道を見出せることを証明した」と話す。
スタンフォード大学のテストデータでも、中国のトップAIモデルが米国に急速に追いついている様子が見て取れる。北京拠点の投資会社01.AIを率いる李開復氏も、今年3月にロイターに「米中のコア技術の差はすでに3ヶ月以内まで縮まった」と語っている。中国では自前の高性能チップ開発が急ピッチで進み、NvidiaのH20に対抗するAscend 910c、H100に対抗する910dなどが続々登場している。
肖氏は「トランプ政権の政策は予測不能。その不確実性のなかで、企業は自律性の強化を最優先している」と指摘する。
AIが戦場を変える?台湾有事とチップ規制の板挟み
中国の軍事力にAIが加われば脅威が一段と増す――。そう考える輸出規制支持派は、規制強化の手を緩めるべきではないと主張している。ただ、中国軍の内情は不透明で、研究者にとってはその技術進展や具体的な計画を見極めるのが難しいのが実情だ。
専門家が特に警戒しているのは、AIによるサプライチェーンの最適化や、無数のドローンをAIで統制し、台湾侵攻に用いるようなシナリオだ。軍と民間技術の融合を国家戦略とする中国にとって、AIの軍事応用は当然の流れともいえる。実際、トランプ政権でもバイデン政権でも、この点では一致しており、高性能チップの中国流入を徹底的に制限すべきだとの立場を取ってきた。
(関連記事:
黄仁勲氏が漏らしたため息──NVIDIAを襲うチップ規制の誤算
|
関連記事をもっと読む
)
ワシントンD.C.にある新アメリカ安全保障センター(CNAS)でインド太平洋安全保障プロジェクトの副主任を務めるジャコブ・ストークス氏は、「中国の軍事近代化の足を引っ張ることは極めて重要だ。とりわけ、我々の技術が利用されかねない高性能チップの分野では、ある程度のリスクや代償は覚悟すべき」と述べている。
一方で、輸出規制の影響はすでに米企業の利益に直接打撃を与えており、「コストが高すぎる」とする見方も根強い。中国の半導体エコシステムは急速に自立性を強めており、米企業がワシントンの規制に従う限り、段階的に中国市場から排除されつつある。利益が落ち込めば当然、研究開発費も削られる。その結果、将来的に中国企業との競争で後れを取るリスクがある。
コンサルティング会社DGA-Albright Stonebridge Groupでテクノロジービジネスの責任者を務めるポール・トリオーロ氏は、「『H20禁令』は“他人を不利にしても自分が得しない”典型例だ」と指摘する。この政策によってダメージを受けるのはむしろ米国側のハードウェア企業で、効果は限定的だという。また、輸出規制を支持しているマイルズ・ブランテージ氏(OpenAI元政策研究責任者/現Institute for Progress研究員)も「短期的には確かにチップ供給を絞る効果はある。ただ、彼らの進行を一時的に遅らせたとしても、それは長期的な解決策にはならない」と述べている。
さらに問題なのは、米国が規制に注力するあまり、AIの安全性をめぐる対話のチャンネルを自ら壊してしまっている点だ。本来、バイデン政権は中国の抑制と同時に、安全基準づくりにおける協力を進めようとしていたが、現実には米中競争が全面的な対決モードに突入し、そうした対話は後回しになった。
肖氏は「国際的な議論の場は非常に限られており、米中間には根本的に信頼がない。現時点で両国がAIの安全について話し合うのは難しい状況だ」と語る。そのうえで、「今は各国の自主的な規制に頼るしかないが、それは長く続く対策にはならない」と懸念を示している。
短期では抑え込めても、問題はむしろその先にある
アメリカの輸出規制が中国の技術発展を完全に止めるには至っていない。とはいえ、実務的な成果はあったと評価する声も少なくない。とくにAI分野では、次なるブレイクスルーに不可欠とされる先端チップの大量確保こそが、大きな差別化要因になる。
マイルズ氏は、中国のAI企業が今もなおアメリカ製チップを手に入れようとしている動きに着目する。それは、規制がAI訓練の規模そのものにブレーキをかけていることの証しだと指摘している。
バイデン政権とトランプ政権の両方でホワイトハウスの対中政策顧問を務めたリザ・トビン氏(Garnaut Global常務取締役)は、「イノベーションの方法は無数にあるが、計算能力の確保は今でも米国が強みを持つ分野。大量のチップと計算資源を動員できることが、決定的なスケールの差につながっている」と語る。
その一方で、トビン氏は「スケーリングとAIに対する需要は今も増え続けているが、今の優位は“絶対”でも“永久”でもない」とも付け加えている。つまり、現状にあぐらをかいていれば、簡単に追い抜かれる可能性もあるというわけだ。
シンガポール南洋理工大学の助教授であるステファニー・カム・リー・イー氏は、AI分野での競争が激化するなか、アメリカはより長期的な戦略へと舵を切るべきだと強調する。
カム・リー・イー氏は「AIをめぐる主導権争いは一過性の短距離走ではなく、数十年にわたるイノベーション、粘り強さ、そして国家としての野心の競争になる。ここでの勝敗は、将来の国際的な地位を左右する」と述べている。
そのうえで、アメリカが取るべき戦略として以下の点を挙げている:
・中国によるプラットフォーム支配や技術標準化の主導を阻止
こうした複合的な取り組みを通じて、単なる「先行者」ではなく、AI領域における「持続的なリーダーシップ」の確保が求められている。