18日に台湾総統府で開催予定だった「重要国家安全情勢に関するブリーフィング」は、民衆党主席・黄国昌氏および国民党主席・朱立倫氏が相次いで出席を拒否する姿勢を示したことにより、実現に至らなかった。総統府の大礼堂に設置された200インチの大型スクリーンも、結局使用されることがなかった。このブリーフィングを自ら提案・招請した頼清徳総統は、今回の事態について「残念である」との意を表明し、野党も中国の脅威に対し共に向き合う必要があると強調した。
国家安全に関するブリーフィングが開催中止となった理由──頼清徳総統が「残念」と語った背景とは
今回「突如として登場」した国家安全ブリーフィングは、実のところ、頼清徳総統が2025年5月20日の就任1周年談話の中で打ち出した構想である。総統はこのブリーフィングを、「与野党対話を促進し、政党間の協力を強化する」ための取り組みと位置づけ、「国家利益を最優先にし、国家安全の確保を前提としたうえで」、「率直かつ誠実に意見を交わし、国家の大計を共に論じる」場とする意向を示していた。しかし当時から、こうした頼総統の「新提案」に対しては懐疑的な見方が少なくなかった。というのも、与野党対話は本来、総統就任当初に着手すべき重要課題であり、すでに1年を経過していることに加え、頼総統自身が「大規模リコール運動」の背後にいる「黒幕」とも指摘されている。そうした中で、野党側の国民党・民衆党両党のリーダーが無邪気に応じるはずがなかった。
「国家安全ブリーフィング」の提案については、早くから多くの論者が「鴻門の会」(表向きは和解の場だが、実際は相手を陥れるための策略という意)にたとえていた。そんな中、頼清徳政権はもはや演出すら控え、「極秘」に分類される会議であることを明言。法令上20年間の機密保持が義務づけられていること、そして総統府が非公開・ライブ配信なしの閉鎖型会議に固執していたことが明らかになった。国民党と民衆党の両党主席が出席を見送ると、頼総統は「残念だ」と口にした。果たしてその「残念」とは、与野党対話の好機を逸したことへの嘆きだったのか、それとも野党を「訓戒」する機会を逃したことへの無念だったのか――その答えは、言わずもがなであろう。台湾の民主政治が本質的に抱える弱点は、与野党間の信頼関係の欠如にある。しかも、それは構造的な問題であるだけでなく、時の政権の振る舞いによってさらに悪化してきた歴史がある。1995年、当時民進党主席であった施明徳氏が提唱した「大和解のコーヒー」は、党内の反発により実現しなかった。理由は、「大和解」が一部の民進党支持者から「台独放棄」と受け止められたためである。
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また、『連戦回憶録』には、国民党の連戦氏が当時の陳水扁総統から突然の会談を仕掛けられた経緯が詳述されている。2000年10月27日に実現した「扁連会」では、連戦氏が約2時間の会談の中で、第四原発(核四)問題の解決策などを提案した。だが、会談を終えて総統府を出た直後、民進党政権は核四の建設中止を発表。これに対し連戦氏は、「誠意を欠くだけでなく、多数党への露骨な侮辱だ」と厳しく非難している。

総統府が設置用意した200インチのスクリーンが写された写真が公開された。(総統府提供)
表では笑顔、裏では背中に刃──次につながらない政党和解
「人類が歴史から学んだ唯一の教訓は、何ひとつ学んでいないということだ」──この有名な言葉は、台湾の民主政治に対する強烈な皮肉として響く。「二発の銃弾事件」を経て、激動の中で再選を果たした陳水扁元総統は、2005年2月24日、親民党主席・宋楚瑜氏と台北賓館で「扁宋会」を開催した。陳氏は書家として揮毫した「誠実」の二字を墨宝として宋氏に贈呈し、当時のメディアは一斉に「政党和解の第一歩」として報じた。しかし、その「第一歩」に続く「第二歩」は、ついに踏み出されなかった。民進党陣営内部からは「鬼に薬を処方させるようなものだ」と陳氏の姿勢を非難する声が上がり、その後、宋楚瑜氏が訪中した際には、陳氏が「宋氏は米国で陳雲林と密会していた」などと一方的に発言するなど、信頼は完全に崩れた。「扁宋会」からわずか1年後、宋氏は「陳水扁には誠意も信用もない」と断言するに至った。
そして現在、やはり少数与党の立場にある頼清徳総統もまた、自らを「多数派の大統領」であるかのように振る舞ってきたが、就任から1年を経て、ようやく野党との対話に言及し始めた。そのタイミングは、極めて示唆的である。というのも、今年4月には行政院長・卓栄泰氏の主導で与野党による国政協議が行われたが、民進党の柯建銘・党団総召は会議冒頭から、国民党の傅崐萁・党団総召に席を譲るよう迫り、中央の座を奪い取った。柯氏と頼主席が「大規模リコール」の火を全国に拡散させた直後、国民党と民衆党は「中国共産党の共犯者」「習近平の代理人」と名指しで批判され、頼総統は国家安全ブリーフィングの招請を行う前に、まずリコール運動の主導者たちと面会していた。表では笑顔を見せながら、裏では刃を突き立てる──その「誠意」は、こうした行動によって如実に示されている。

国家安全に関するブリーフィング破局に関し、賴清德氏は18日に民進党中執会で「私は、政党は『競合』することはあっても『ゼロサム』になってはならないと信じている。政策主張は異なっても、国家への忠誠義務は一致すべきだ。」と述べた。(資料写真、民進党提供)
破局が約束された前提のもと、「ゼロサム」という戻れない道を歩むことになる
両岸問題においても、頼清徳総統の二枚舌の手法が浮き彫りとなっている。口では対岸との交流や善意、対話を謳い、小規模な両会協議を通じて関係改善を図ると主張するが、実際には「九二共識」を認めない前提の下で、中国側が依然として我方と政治的接触を持つ姿を演出しようとしているに過ぎない。このあからさまな策略に北京が騙されるはずがない。まして頼政権が中国大陸出身配偶者を標的に内部分断を図り、両岸関係の完全断絶を目指していることから、彼らの発する一切の両岸に関する言説は、説得力と信頼性を著しく欠いた空虚なものに終始している。
頼政権が直面する最大の困難は、信頼危機である。だが頼総統はあらゆる計算を巡らせながらも、問題の根本が自らにあることを見誤っている。彼の行動のすべてには政治的な計算がにじみ出ているものの、数多くの矛盾を露呈させている。国家機密とされた「極秘国家安全ブリーフィング」が、相手に「売国」の汚名を着せる罠であるのではないかとの疑念は絶えず、提案された瞬間から人々の信頼を得ることはできなかった。頼総統の一連の理解不能な「神業的な政治操作」を唯一合理的に説明できるのは、最初から事態を収束させる意図などなかったということであり、それは彼の高慢な本性に完全に符合するものである。
言い換えれば、いわゆる「国家安全ブリーフィング」は、頼清徳政権に対する社会の不満をなだめるための見せかけに過ぎなかったと言える。台湾民主政治の過去の教訓や頼総統本人の執拗な性格を考えれば、このように前提条件を過度に設定した「与野党対話」は、最初から破綻する運命にあった。事後、頼総統は民進党の中央執行委員会で「政党は『競合』できても、『ゼロサム』ではあってはならない」と発言したが、これはもはや政治的な皮肉としか言いようのない言葉である。台湾民主の沈滞と悪化の最大の元凶は、与党が「ゼロサム」のゲームに迷い込み、大権を握りながらも周囲を顧みず振る舞っていることにある。頼総統が主導する「大規模リコール運動」はすでに不可避の段階にあり、与野党の対話の可能性を完全に断ち切り、野党との「ゼロサム」の道を突き進む決意を示しているのである。