《独占スクープ》薄瓜瓜の母・谷開来に預けた百点の貴重絵画が「取り戻せず」 米国籍台湾実業家が習近平に支援求め書簡

米国籍の台湾実業家・程家昌(左)と薄熙来夫人の谷開来(右)は親密な私交があり、両者は「ホーラス投資顧問有限公司」を共同経営していた。(林庭瑤撮影)
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元重慶市党委書記・薄熙来の息子である薄瓜瓜が静かに台湾を訪れ、宜蘭羅東博愛病院の創設者・許文政の孫娘である許惠瑜と結婚し、台湾の婿となる。薄氏と許氏の結婚式が11月23日に盛大に執り行われる前に、《風傳媒》の取材によると、米国籍の台湾実業家が薄瓜瓜の母親である谷開来に絵画の返還を求めている。谷開来の実家に預けられた芸術家・汪亞塵の110点の絵画は、数千万米ドルの価値があるとされ、中国国家主席習近平および国台弁主任宋濤に書簡を送り、協力を求めている。

この米国籍の台湾実業家とは、薄瓜瓜の幼少期の海外後見人で、過去に谷開来と親密な関係にあった程家昌(字は毅君)である。程家昌と薄瓜瓜の母親・谷開来は、旧知の友人であり、また会社の共同経営者でもあった。程家昌が習近平に宛てた書簡では、自身は私蔵する意図はなく、巡回展示や関係機関への寄贈という形で、汪亞塵大師の芸術作品を中華文化を伝える媒体とし、さらに両岸の文化交流協力の「公共財」としたいと述べている。

谷開来と会社を共同経営し、関係があったとの噂も​

薄瓜瓜の母親・谷開来は、息子の名前にちなんで「瓜ママ」と呼ばれている。谷開来の父親は中国共産党建国時の少将・谷景生で、母親の范承秀は范仲淹の子孫であり、まさに「名門の出」である。谷開来は美貌で短髪が知的な印象を与え、さらに聡明で有能な様子が際立ち、幼少期から強い性格で「五哥(五番目の兄)」というあだ名があった。文化大革命後の1978年に北京大学法学部に合格し、卒業後「開来法律事務所」を創設し、在米台湾実業家の程家昌と「ホーラス投資顧問有限公司」を共同経営していた。

美籍台商程家昌(本名程毅君)就是薄瓜瓜小時候的海外監護人,與薄瓜瓜的母親谷開來的交情甚篤。(林庭瑤翻攝)
​​米国籍の台湾実業家・程家昌(中央)は薄瓜瓜(右)の幼少期の海外後見人で、薄瓜瓜の母親・谷開来とは親密な関係にあった。(林庭瑤撮影)​

谷開来は夫とともに出世を重ね、薄熙来は大連市長、遼寧省長、商務部長を歴任し、その後重慶市党委書記に転任、谷開来も市長夫人、省長夫人、部長夫人から書記夫人となった。谷開来は薄熙来の二番目の妻で、一子の薄瓜瓜を産んでいる。谷開来は英国人実業家ヘイウッド殺害事件や大連のアナウンサー張偉杰失踪事件に関与したため、冷酷な魔性の女性として描かれ、「中国のジャッキー」とも呼ばれている。

特にヘイウッド殺害事件は、権力闘争と政治抗争に関わり、大きな話題となった。谷開来は英国人実業家ヘイウッドを重慶に誘い出し、2011年末に谷家の使用人・張曉軍と共謀してヘイウッドを殺害した。谷家がヘイウッド殺害事件の証拠を徐々に消滅させていったため、王立軍は自身も「口封じ」される恐れを感じ、さらに薄熙来が王立軍の頬を怒って平手打ちしたことから、王立軍は夜陰に紛れて米国駐成都総領事館に逃げ込み、政治亡命を求めた。2012年、谷開来はイギリス人実業家ヘイウッド殺害の容疑で、死刑判決を受けたが2年間の執行猶予付き(死刑執行猶予)となり、2015年に無期懲役に減刑された。 (関連記事: 中国元重慶トップの息子、台湾の病院創業家と結婚へ 薄瓜瓜氏が極秘来台し家族と対面 関連記事をもっと読む

谷開来が収監される前、大連時代の程家昌との関係は浅からぬものがあり、二人は「ホーラス投資顧問有限公司」を共同経営していた。メディアでは、谷開来がある台湾の実業家と恋に落ちたと報じられ、その実業家とは程家昌だと言われている。この件について、程家昌は回答を避けている。程家昌は以前から谷開来とは親しく、薄瓜瓜が幼い頃にアメリカのサマーキャンプに参加した際の後見人を務め、また谷開来と薄瓜瓜のイギリスの学校見学にも同行している。

美籍台商程家昌(中)陪同谷開來(左二)、薄瓜瓜(右三)、徐明(右二)赴英國參觀學校。(林庭瑤翻攝)
​​台湾実業家・程家昌(中央)は谷開来(左から2番目)、薄瓜瓜(右から3番目)、徐明(右から2番目)とともにイギリスの学校見学に同行。(林庭瑤撮影​
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