生前退位を選択した日本の上皇・明仁さまは23日、92歳の誕生日を迎えた。健康状態が安定していることが改めて明らかになるとともに、明仁上皇は、日本で確認できる歴史上、最も長寿の天皇という記録をさらに更新した。これまでの最長寿記録は、父である昭和天皇が残した87歳8か月だった。
日本メディアの報道を総合すると、明仁上皇は今年5月に検査のため入院し、「無症候性心筋虚血」と診断された。さらに7月には心臓治療のため再び入院している。宮内庁は、現在の体調について「比較的安定している」と説明している。
一方で医師団は、心臓への過度な負担を避けつつ、一定の筋力を維持する必要があるとして、上皇に対し、無理のない範囲で毎日散歩を続けるよう助言している。
【祝】上皇さま92歳の誕生日 歴代の天皇で最長寿https://t.co/BiL9TWSRJ0
— ライブドアニュース (@livedoornews)December 22, 2025
上皇さまは5月に「無症候性心筋虚血」と診断され、7月にも治療で入院された。宮内庁によると、症状は比較的安定していて、心臓に負荷がかからない形で毎日、上皇后・美智子さまと散策するなど、運動を続けられているという。pic.twitter.com/w8QKdxtauG
史料で確認できる日本の長寿天皇上位5人を見ると、92歳を迎えた明仁上皇のほか、父の昭和天皇、江戸時代の後水尾天皇(84歳2か月)、平安時代の陽成天皇(80歳9か月)、江戸後期の霊元天皇(78歳2か月)が名を連ねる。
現在92歳の明仁上皇は、東京・皇居で、昭和天皇と香淳皇后の長男として誕生した。幼少期の称号は「継宮(つぐのみや)」で、上に4人の姉、下に弟の常陸宮正仁親王と妹の島津貴子がいる。
太平洋戦争末期には、皇族疎開のため地方へ移り住んだ。近衛師団への入隊を希望したこともあったが、昭和天皇の許可が下りず、軍歴は持たなかった。

1952年、18歳で皇太子に立てられ、翌年には父の代理として英国を訪問し、エリザベス2世女王の戴冠式に出席。帰国後は学習院大学で学んだ。
テニスや馬術などのスポーツを愛好していた明仁上皇は、軽井沢でのテニス大会をきっかけに、のちの上皇后・正田美智子さまと出会う。日清製粉グループ創業家出身の美智子さまとの交際は急速に深まったが、皇太子妃が民間出身であることから反対の声も上がった。
しかし、昭和天皇の理解と明仁皇太子の強い意志により、1959年に成婚。結婚の儀は国民から熱烈に祝福され、美智子さまは日本史上初の「民間出身の皇后」となった。


夫妻の間には2男1女が誕生し、長男が現在の徳仁天皇、次男が秋篠宮文仁親王、長女が結婚により皇籍を離れた黒田清子さんである。
皇太子として在位37年目に父・昭和天皇が崩御し、明仁さまは第125代天皇に即位。元号は「平成」と改められ、新たな時代の幕開けを象徴した。
天皇としての公務とは別に、明仁上皇は魚類学者としても知られ、ハゼ亜目を専門に研究してきた。日本魚類学会の会員でもあり、国際的な学術誌『サイエンス(Science)』や『ジーン(Gene)』などに複数の論文を発表している。
その学術的功績を称え、研究分野では2つの新種が明仁上皇の名にちなんで命名されており、魚類研究への貢献は国内外で高く評価されている。
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編集:梅木奈実

















































