トランプは関税で製造業を救おうとしているが、《WSJ》:アメリカがどのように「負けた」のかをまず理解せよ!

2025年4月10日。労働者がインドのムンバイ、ダラヴィ・スラムの工場で衣服を縫製している。(AP)
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アメリカのトランプ大統領は包括的な関税政策の実施に固執し、製造業を回帰させて「アメリカを再び偉大に」する誓いを立てている。経済学者たちは一般的に関税の効果に疑問を呈しているが、アメリカの製造業を再興すべきかどうかについては様々な意見がある。『ウォール・ストリート・ジャーナル』は13日、この問いに答えるためには、アメリカがどのようにして当初「製造大国」の地位を失ったのかをまず理解する必要があると指摘した。

アメリカの製造業は現在1280万の雇用を提供しており、民間部門全体の雇用人口と比較して9.4%に過ぎないが、1950年代にはこの割合は約35%だった。『ウォール・ストリート・ジャーナル』によると、アメリカがその当時、世界の製造業大国へと躍進できたのは、複数の環境要因が絡み合った結果である。

美國「非公部門」就業人口中,製造業所佔的比例。
アメリカの「非公共部門」雇用人口における製造業の割合。

アメリカ製造業の台頭

20世紀初頭、アメリカは互換部品(interchangeable parts)と大量生産の工場システムを先駆けて採用した。その後、第二次世界大戦が勃発し、多くの国が戦火に見舞われる中、アメリカは製造能力を大幅に拡大していた。戦後は中産階級が成長し、多くのアメリカ人が自動車や家電などの耐久消費財を大量に購入し始めた。この期間、アメリカのメーカーにとって最大の顧客はアメリカ自身だった

『ウォール・ストリート・ジャーナル』によると、戦時中の技術的突破の恩恵を受け、当時は食洗機、テレビ、ジェット機など多くのものがハイテク製品だった。そして技術的リードを維持するためには、研究開発チームと生産工場が緊密に協力する必要があり、したがって「アメリカ国内での生産」は合理的だった。さらに、20世紀初頭に推進された「高校教育普及運動」により、アメリカは当時世界で最も教育水準の高い労働力を持っていた。これも発展に貢献した。

サービス業が徐々に製造業に取って代わる

1950年代に入ると、アメリカの製造業が経済全体に占める割合は減少し始めた。『ウォール・ストリート・ジャーナル』によると、一方では人々がますます裕福になり、旅行、外食、医療などのサービス業に消費の重点を移し始めたためである。ケース・ウェスタン・リザーブ大学(Case Western Reserve University)の経済学教授ヘルパー(Susan Helper)は次のように説明している:「お金が増えても、車は数台あれば十分なので、サービス業にお金を使い始める。」

美國消費者支出中,商品和服務所佔的比例。
アメリカの消費者支出における商品とサービスの割合。

雇用構造もアメリカ人の消費習慣の変化に伴い変化し、ホテル、銀行、法律事務所、病院などでの仕事を求めてサービス業に転職する人が増えた。1960年代半ばから1980年代初めにかけて、製造業の雇用人口はほぼ停滞していたが、サービス業の雇用人口は増加し続けた。

他方、衣服などの一部の非耐久消費財の生産は、徐々に労働コストの低い南部諸州に移り、その後さらに賃金の低いラテンアメリカやアジアなどの地域で大量生産されるようになり、アメリカも輸入を増やした。時間が経つにつれ、ジューサーなどの比較的軽量な耐久消費財も主に輸入に頼るようになった。