11月3日の投開票まで約3週間に迫った米国中間選挙を前に、日本記者クラブは10月13日、連続企画「2026米中間選挙」の第1回研究会を開催した。
国際基督教大学(ICU)名誉教授の森本あんり氏が「例外主義の国から普通の国へ―トランプ政権の歴史的な位置づけを再考する」と題して講演し、米国の政治潮流やキリスト教ナショナリズムの台頭、建国以来の政教分離原則の変容について、歴史的・神学的な視点から幅広く分析した。
建国250年の米国で変わる国家観 キリスト教ナショナリズムの排他性を指摘
森本氏は冒頭、建国250年を迎えた米国で、国家の自己認識が大きく変化していると指摘した。
40年前の1986年、フルブライト留学生として参加したバージニア州での信教の自由に関する記念事業を振り返り、当時の米国が誇りとしていたのは軍事力や経済力ではなく、思想や良心の自由、宗教的多様性と寛容を保障する「第一の自由(First Liberty)」だったと説明した。こうした理念は、1988年に発表された「ウィリアムズバーグ憲章」にも示されている。
一方、今年5月に開催された建国250周年関連行事「Rededicate 250(リディディケート250)」については、神の下にある国として米国を再び神にささげることを掲げながら、登壇した宗教指導者がキリスト教ナショナリズムや新使徒運動(NAR)に関係する人々と、ごく少数のユダヤ教指導者に限られていたと指摘した。
森本氏は、米国人口の約3割を占める無宗教層や他宗教の人々が事実上排除され、「アメリカ人であること」と「キリスト教徒であること」を同一視する排他的な国家観が顕在化したと論じた。
米国の政教分離はなぜ重要なのか トクヴィルとジェファソンの思想を解説
森本氏は、フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルの議論を引用し、米国社会では宗教が国家権力と結びつかなかったからこそ、人々の生活習慣や価値観を形成する強い力を持ち続けてきたと説明した。
また、トーマス・ジェファソンが起草し、1786年に成立した「バージニア信教自由法」に言及した。
国家が特定の宗教を公認・優遇すれば、人々の信仰に偽善が生まれ、結果として保護しようとした宗教そのものを堕落させると指摘。国家と宗教の双方が弱体化する危険性を説いた。
その上で、政治権力が特定の宗教を取り込もうとする行為は、かえってその宗教の社会的な信頼性を失わせる結果を招くと論じた。
「丘の上の町」は優越性ではなく警告 アメリカ例外主義の歴史を再検討
続いて森本氏は、米国の国家観を象徴する「アメリカ例外主義」について、一般に広まっている解釈を再検討した。
森本氏によると、この表現の背景にある新約聖書のマタイによる福音書は、「山の上にある町は隠れることができない」という意味であり、他国に対する優越性や国家の栄光を示すものではなかった。
むしろ、常に人々の目にさらされているからこそ、自らの言動を厳しく律するよう求める戒めだったと説明した。
さらに、旧約聖書の申命記に触れ、繁栄を追い求めて信仰をないがしろにすれば滅びを招くという警告が込められていたと指摘した。
こうした説教は約300年にわたり広く読まれることがなかったものの、後世になって米国の成功を祝福する言葉として都合よく読み替えられたという。
また、「例外主義」という用語そのものも、17世紀のピューリタンに由来するわけではないと説明した。
大恐慌期にも米国の労働者が共産主義革命を起こさなかった現象を、史的唯物論から見た「例外」と捉えた20世紀のコミンテルンやスターリンによる、共産主義内部の異端を批判する文脈で用いられたという歴史的経緯を紹介した。
リンカーンが重視した自己批判の精神 現代のキリスト教ナショナリズムとの違い
森本氏は、植民地時代から米国社会に根付いてきた「アメリカン・ジェレマイアド」と呼ばれる伝統にも言及した。
これは、繁栄によって信仰が損なわれる危機を告発し、人々に悔い改めを促す宗教的な言説の伝統であり、信仰と世俗的な繁栄の間に緊張関係を保つ役割を担ってきたと説明した。
その一例として挙げたのが、南北戦争期のエイブラハム・リンカーン大統領の姿勢だ。
リンカーンは、戦争における神の裁きは敵対する南部だけでなく、勝者となる北部にも等しく向けられると考えていたという。
これに対し、森本氏は、現代のキリスト教ナショナリストは国家が抱える悪や問題の原因を、世俗主義者やリベラル、移民、性的少数者、メディアなど、自分たちの外部に求める傾向が強いと批判した。
神を「悪しき米国を裁く超越者」から「善なる米国を外部の敵から守る存在」へと変質させていると論じ、米国が本来持っていた自己批判の伝統を失いつつあることを神学的な問題として指摘した。
米国憲法は「キリスト教国家」を前提とせず 政教分離を支えた信仰者たち
森本氏は、米国が建国当初から制度上のキリスト教国家として成立したわけではないことも強調した。
合衆国憲法の制定に際しては、神への祈念やキリスト教への直接的な言及が意図的に避けられたと説明。公職への就任宣誓についても、宗教的な誓いではない「確約」という選択肢が設けられていることを挙げた。
また、政教分離を推進したのは、合理主義的な啓蒙思想家だけではなかったという。
宗教的迫害を経験したバプテストなど、敬虔なキリスト教徒も政教分離の実現に協力していた事実を紹介し、現代のキリスト教ナショナリストが唱える「信仰と不信仰の戦い」という対立構図は、歴史的事実に反すると論じた。
歴史資料に対する学問的な検証を軽視し、国民にとって心地よい愛国的な神話を広める大衆向けの歴史家や、それを無批判に称賛する政治指導者の存在が、誤った歴史認識の拡大につながっているとの見方を示した。
米連邦最高裁で進む政教分離原則の見直し 中間選挙後も長期化か
近年の米連邦最高裁判所では、20世紀後半に確立された厳格な政教分離の判断基準が見直され、歴史や伝統的な慣行を重視する保守的な判断が相次いでいる。
森本氏は、その代表例として、政教分離に関する従来の判断基準である「レモン・テスト」を挙げた。
こうした司法判断の変化について、11月の中間選挙でどのような結果が出ても、政教分離原則の再解釈を進める潮流は長期化するとの見通しを示した。
さらに、米国のキリスト教は、国家に依存しない「自由教会」の伝統と、宗派間の市場競争原理によって活力を維持してきたと説明した。
しかし、宗教が国家権力と結びつくことで、かえって制度化や形骸化が進み、宗教としての活力を失う可能性があると指摘した。
その結果、米国のキリスト教は、日本における仏教のように、社会や文化の底流に埋没していく過程をたどる可能性があると予測した。
また、トランプ大統領がかつて「例外主義」を嫌悪し、「アメリカ・ファースト」を掲げて、各国がそれぞれ自国第一で行動すればよいという考えを示したことにも言及した。
こうした変化を踏まえ、森本氏は、米国が特別な使命を背負う「例外的な国」であることをやめ、欧州諸国や日本と同じ「普通の国」へと向かっているとの見方を示した。
政教分離とリベラリズムが抱えるジレンマ 「ベッケンフェルデ命題」で警鐘
講演の終盤には、政教分離制度とリベラリズムが現代社会で直面する根本的な問題を取り上げた。
森本氏は、政教分離とは自由で平等な公共空間を保障するための手続き的な枠組みにすぎず、その空間で人間が何を信じ、何を愛するべきかという実質的な価値や目標までは提供しないと指摘した。
その結果、公共空間で共有される価値観が失われ、空虚さが広がった場合、ナショナリズムや排外主義が強い求心力を持って、その空白を埋めてしまう危険性があると警告した。
さらに、ドイツの法学者エルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデが提起した「ベッケンフェルデ命題」を引用した。
これは、自由で世俗的な国家は、自らの力だけでは生み出せない社会的な前提条件に依存して成立しているという考え方だ。
森本氏は、他者への信頼や寛容、法を守る精神といった価値を例に挙げ、自由な社会を維持するためには、制度だけではなく、それを支える共通の倫理的基盤が必要だと説明した。
その上で、自由な公共空間の中で社会がどのような共通の価値秩序を追求するのかという根本的な問いが見失われていることこそ、現代社会の最大の危機だと警鐘を鳴らした。
米中間選挙で民主党から主流派教会の牧師が出馬 共和党との宗教的背景の違い
質疑応答では、11月3日の米中間選挙をめぐる宗教勢力の動向にも話が及んだ。
森本氏は、今回の選挙で、民主党から長老派やメソジスト派などプロテスタント主流派(メインライン)の教会に属する現役牧師が多数立候補していることに注目した。
こうした動きは極めて異例だと指摘し、共和党側の牧師候補との宗教的な背景の違いについて説明した。
共和党から出馬する牧師は、教派組織による制約が比較的少ない独立系教会やペンテコステ派などを背景とする人々が目立つ一方、民主党では、教派組織による一定の統制を受ける主流派教会の牧師が立候補しているという。
また、米国社会の保守化や中間層の空洞化、国際社会における自由主義秩序の揺らぎについても質問が寄せられた。
森本氏は、冷戦期の米国には、異なる思想や価値観を受け入れる精神的・経済的な余力があったものの、現在はそうした寛容さが失われているとの認識を示した。
さらに、経済格差の固定化が進む中、米国内だけでなく国際社会でも分断が深まり、その流れはもはや不可逆的な段階に入りつつあるとの厳しい見方を示した。