国民党の新党首・鄭麗文氏が就任してまだ半月。白色テロ時代の犠牲者を追悼する秋季慰霊大会に出席し、「共産スパイ」とされる呉石氏を追悼したことが波紋を呼んだ。与党・民進党からは激しい非難が起き、国民党内でも「政党イメージに影響しかねない」との不安が広がっている。
しかし、党内関係者によれば、これらの騒動は「まだ序章にすぎない」。本当の難題は、これから国会で審議される2026年度の国防予算だという。行政院が発表した2026年度中央政府予算によると、国防費は9,495億元(約4兆6,500億円)で、GDPの3.32%に相当。前年より1,768億元(約8,600億円)増加し、伸び率は22.9%に達している。
このほかにも「非対称戦闘・戦闘レジリエンス特別予算」と呼ばれる約1兆3,000億元(約6兆3,000億円)規模の大型計画が準備されており、審議はこれから本格化する見通しだ。国民党は審議の中で「削減」「凍結」「抑制」など、どの戦略を取るかの方針を統一する必要がある。鄭麗文氏は就任前から一貫して「国防費の急増には反対」の立場を取っており、外国メディアの取材でも明確にそう発言している。
国民党の国防予算対応は米国との関係のみならず、2026年・2028年の選挙情勢にも影響を及ぼす可能性がある。写真はイメージ。(写真/柯承惠撮影)
「台湾は米国のATMではない」 鄭麗文氏の挑発的発言 行政院が8月下旬に公表した2026年度中央政府総予算では、国防費は9,495億元でGDP比3.32%。2025年度より1,768億元増の22.9%増と大幅な伸びとなった。ただ、総予算はなお立法院本会議で停滞し、委員会審査にも入っていない。このため、超高額な年次国防予算や特別予算を前に、国民党の院内会派は「審議で抑制するのか、削減か、凍結か、それとも通すのか」という対応方針を内部で擦り合わせる段階にある。
一方、鄭麗文氏は就任前の海外メディア取材から一貫して、国防費の大幅増に反対の立場を明言。AFPに対しては、民進党政権の軍拡は「上限なき空白小切手」であり、「米国の期待は台湾の合理的負担をはるかに超えている。台湾は米国のATMではない。本当にそんな金はない」と批判。ドイチェ・ヴェレのインタビューでも「国防費がGDP比3%超は多すぎる」と言い切った。
頼清徳政権(中央)は2026年度の国防費を9,495億元(GDP比3.32%)に編成した。(写真/顏麟宇撮影)
米国と真っ向から AITは腹に一物 外交通の国民党関係者によれば、鄭氏は「両岸の和解と対話が進めば、軍拡に投じる資金を健保・教育・介護などの民生に回せる」とも海外メディアに語っている。国民党の伝統的な国防・対中路線に沿う主張ではあるが、今このタイミングでは「米国側には極めて刺々しく聞こえる」と同関係者は指摘する。台湾の国会第一党が国防費増を拒み、自助努力の意思を示さないどころか、米国が最も警戒する中国との協調に傾くシグナルになりかねない。つまりトランプ政権下の米国と正面衝突する構図だ。
「このところAITの担当者が鄭麗文氏の名を出すと、明らかに苛立ちを隠さない」と同関係者。AITの台湾防衛への関心は、2022年末に蔡英文総統が義務役期間を4カ月から1年へ延長した際にも表れた。AITは即座に歓迎を表明する一方、国民党系メディアを率いる趙少康氏が延長に公然と反対し「国民党が政権を取れば元に戻す」と発言すると、党本部に説明を要求。朱立倫氏は「趙氏の見解は個人的なもので、党の立場ではない」と火消しに追われた。米側がこれまでも国民党に対し、極めて強い姿勢で臨んできたことを示す一件である。
国民党要人は、鄭麗文氏の国防方針は米側には極めて刺激的に響くと指摘。写真は8月、AITが国民党の立法委員と会い米台の防衛協力を協議した場面。(写真/AIT公式Facebook)
AITはまず「握手」、次に「圧力」へ 鄭麗文氏が米国への懐疑的な姿勢を明確にしながらも、アメリカ在台協会(AIT)は意外にも慎重な対応を取っている。鄭氏の国民党主席当選から2日後、AITは祝意を伝え、グリーンガーン所長が直接会談の場を設ける方向で調整を進めている。会談では国防予算や対中政策について意見交換を行う予定だという。
国民党関係者によれば、米側は「まず礼を尽くし、次に圧力をかける」戦略を取る見通しだ。まだ2026年度の国防関連予算は立法院で審議されておらず、アメリカが注目しているのは「鄭氏が今後どのような姿勢を示すか」である。事前の対話で方針を軟化させられれば、あえて国民党全体に圧力をかける必要もない――そんな思惑が透けて見える。
しかし、アメリカの思惑通りに事が運ぶとは限らない。鄭氏が主張する「国防費がGDPの3%を超えるのは過剰」という意見は、台湾国内では広く共感を呼んでいる。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計によると、主要15カ国のうち国防費がGDP比3%を超えるのは、戦時下のイスラエル(8.8%)、ロシア(7.1%)、ウクライナ(34%)、そして世界中に派兵を行うアメリカ(3.4%)程度だ。台湾の2026年度国防予算は、まだ特別軍事予算(約1兆3,000億元=約6兆3,000億円)が加わっていない段階でもGDP比3.32%に達し、すでにアメリカ並みの水準にある。
さらに、政府支出に占める国防予算の割合で見れば、台湾は33.17%と、イスラエル(14.54%)やロシア(29.9%)を上回り、日本や韓国など主要先進国よりも高い。教育や社会福祉の予算を圧迫する懸念は拭えず、国民の多くが「軍拡より生活を」と考えるのも自然だ。
国民党のベテラン党務関係者は、「アメリカは台湾に高関税を課したままで、6,000億元(約2兆9,000億円)を超える武器の納品も滞っている。そうした中で“アメリカに頼りすぎではないか”という空気が国内に広がっている」と話す。鄭氏の“反軍拡”発言は、まさにこの世論の追い風を受けている。
いくらが妥当か 国防予算、すんなり通す気はない 行政院は2026年度総予算で、国会が可決した軍・警察・消防職員の給与引き上げ分を盛り込まなかった。このため、国民党と民衆党(白陣営)は中央政府の予算審議を棚上げにしている。国民党はAIT(アメリカ在台協会)に対し、「国防予算を滞らせているのは民進党政府であって、われわれではない」と説明する口実を得た格好だ。
AIT関係者と面会したある国民党議員によると、「国軍は人員が年々減り、志願兵の中には違約金を払ってまで退職する者もいる。新しい武器を買っても操縦・整備する人が足りず、戦力に支障が出ている」と指摘。国民党が軍人給与引き上げ法案を推進したのは「志願兵が辞めずに軍に残るため」であり、「人材確保こそが真の防衛力」だと強調したという。
米側もこの説明には一定の理解を示しており、「今やボールは民進党と頼清徳政権の手にある」との見方が党内で広がっている。特別軍事予算「非対称作戦・戦闘レジリエンス」への対応は次の段階の課題であり、現時点で焦る必要はないとの声も多い。
国民党はAITに対し、軍人の処遇改善こそが実効的な自衛力の確保につながると説明し、米側も一定の理解を示している。(写真/柯承惠撮影)
選挙年の軍費カットは危険な賭け 関係者によれば、国民党の立法院会派も鄭主席の党本部も、「超高額な国防予算と1兆元超の特別予算をそのまま通すことは絶対にあり得ない」との立場で一致している。立法委員の徐巧芯氏も「国防費のGDP比は3%が上限」と主張し、鄭氏の「3%を超えるのは多すぎる」との見解と軌を一にしている。結果として「GDP比3%以内」が、国民党や民衆党が来年度予算審査で採用する共通基準となる可能性が高い。
ただし、GDP比3.32%の国防費を3%に抑えるには、9,495億元(約4兆6,500億円)から8,579億元(約4兆2,000億円)へ約915億元を削減する必要がある。これに加え、7年総額1兆3,000億元(約6兆3,000億円)とされる「非対称作戦・戦闘レジリエンス」特別予算(年平均約1,900億元=約9,200億円)を加味すれば、実質的には少なくとも2,800億元(約1兆3,600億円)の削減が必要となる計算だ。
「昨年、国防費を数十億元削減しただけで『防衛弱体化』『親中売国』と批判され、民進党が大規模なリコール運動を仕掛けてきた」と党関係者は振り返る。2026年の地方首長選、2028年の総統・立法院選を前に、米国を刺激し、再び“親中”のレッテルを貼られるリスクを冒してまで大幅削減に踏み切る議員は少ないという。
ある国民党議員も本音を漏らす。「予算審議では多少“形だけ”削ってみせる程度で、実際には大ナタを振るえない。選挙で勝てなくなる」。唯一、本格的な削減対象になり得るのは、度重なる問題で進水も遅れている国産潜水艦「海鯤(ハイクン)」プロジェクトだという。「軍がもし次の建造予算を出してくるなら、ここは正当に全額カットできる」と議員は語る。民進党も反論しにくく、世論の支持も得やすい。
国民党の立法委員は大幅な国防費削減には踏み込めず、唯一の標的はトラブルが続く国産潜水艦「海鯤」後続艦の予算とみられる。(写真/台湾船提供)
米国が納得し、中国も不満を示さない 鄭麗文氏の最初の試練 鄭氏が直面するのは米国だけではない。彼女は就任前後、「私は中国人」と発言し、中国側への融和姿勢を示してきた。国共交流の再開や、習近平氏との会談(いわゆる「鄭・習会談」)を視野に入れているともされる。
だが、北京が注視する国防予算で反対姿勢を貫けなければ、米国に屈したとの印象を与え、中国側の信頼も失う恐れがある。結果として、国共関係の改善も、両岸和解も遠のくことになりかねない。
国民党のベテラン議員は言う。「鄭麗文氏は、米国を刺激せず、中国を怒らせず、なおかつ2026年の選挙を不利にしないよう舵を取らねばならない。これが彼女にとって最初の、そして最大の試練になるだろう」。