台湾・外交部長の林佳龍氏と国家安全会議(国安会)秘書長の呉釗燮氏の不仲説が、ここしばらく政界を騒がせている。外交界のみならず立法院でも注目の話題となり、与野党議員が相次いで取り上げるほどだ。さらに報道頻度も増し、台湾に駐在する各国外交団の間でも関心が高まっているという。11月4日には国民党立法院党団が記者会見を開き、「すでに龍がいるのになぜ燮を生むのか」と古いことわざを引用し、外交と国安部門の「内紛」や「足の引っ張り合い」を批判。民進党政権の外交能力を痛烈に非難した。
注目すべきは、半年前、林佳龍氏が国会質疑で、呉釗燮氏の元秘書・何仁傑氏が関与したスパイ事件は「外交に深刻な損害を与えた」と指摘し、政治責任は「本人が判断すべきだ」と述べていた点だ。もっとも最近は、不仲説をたびたび否定している。10月16日の外交・国防委員会から11月5日の特別報告まで、林氏は毎週立法院で報告を行い、その都度、呉氏との関係が話題にのぼった。林氏は「絶対に噂だ」と強調しつつ、「背後に認知操作の意図がある」とも指摘。では、両者の間に実際どれほどの「わだかまり」があるのか。「龍燮( 林佳龍氏と呉釗燮氏) の確執」は実在するのか。
林佳龍氏(写真)と呉釗燮氏の不仲説は、ここしばらく政界の話題となっている。(写真/柯承惠撮影)
就任直前は称賛、直後に不満の声 2024年5月2日、林佳龍氏の外交部長就任は蔡英文前総統が早期に発表し、頼清徳総統が正式に指名した。外部では「派閥への論功人事」との批判もあったが、退任間近だった呉釗燮氏は立法院外交・国防委員会の答弁で林氏への期待を問われ、「外交部での活躍を期待している」と公に称賛していた。
しかし、その良好な雰囲気は長くは続かなかった。林氏の就任から1カ月足らずで、「呉氏が林氏を外交の素人と見なしている」という報道が流れた。1年後、台湾の外交的苦境が国際メディアで取り上げられるようになると、林氏は7月と8月に日本とフィリピンを訪問、さらに9月には国連総会期間中にニューヨークを訪れた。これを受け、外交・国防委員会の国民党議員である馬文君氏は「内部情報を漏らした人物がいる」と指摘。「外に情報を出せる政府関係者が誰かは、想像に難くない」と暗に呉氏側を示唆した。
前任の呉釗燮氏(中央)から林佳龍氏への交代は実現したが、良好なムードは長く続かなかった。(写真/顏麟宇撮影)
対立の発火点は駐美代表人事か では、林・呉両氏の関係に亀裂が生じたのはどこからか。『 風傳媒』 によると、最も敏感な争点は駐美代表の人事である。頼清徳政権発足直後から、駐米代表の俞大㵢氏の交代説が取り沙汰されていた。俞氏は「ラテン派」として駐美に派遣されたが、当初から暫定的な配置と見られており、台湾が代表を置くスペインのポストが2024年7月から空席となっていたことから、「スペイン語に堪能な俞氏を転任させるため」との見方が広まっていた。この噂は外交界で繰り返し浮上し、2025年7月初めにはメディアで報じられるまでに至った。
しかも、この人事報道は「大規模リコール運動」や、頼総統の中南米歴訪に合わせた米国通過問題、「米中首脳会談」の直前など、政局的に敏感な時期に相次いで出た。さらに国安会副秘書長の趙怡翔氏が後任に内定したとされ、「米国務省が指名した人物」との噂まで流れた。趙氏はトランプ政権期に米政府関係者との人脈を築いていたことで知られる。しかし、駐米 代表交代の報道はその都度否定され、「根拠のない情報だ」と外交部が声明を出し、米国務省も「完全な誤報だ」と異例のコメントを発表した。
関係者は「駐米 代表は米国務省や政府高官、議会、シンクタンクなど多方面と日常的に接触している。だが、台湾側の連絡窓口が複数存在すると混乱を招きやすい」と語る。実際、度重なる人事報道の影響で、米国側からも「誰が台湾政府を代表しているのか分からない」と困惑の声が上がったという。この混乱こそ、林氏と呉氏の間に生じた微妙な「心のわだかまり」を象徴している。
駐米代表・俞大㵢 氏(写真)の交代説は、頼清徳総統の就任直後から取り沙汤されてきた。(写真/AP撮影)
米国業務をめぐる発言権争い 越権との批判も 関係者によれば、呉釗燮氏が国安会の諮問委員である徐斯儉氏を駐米代表の後任に据えようとした背景には、米国関連の外交案件で主導権を維持したいという意図があるという。実際、呉氏は7月初旬、自身のSNSで外交部より先に「ヒューストン事務所を通じてテキサス州知事との協力を要請した」と発言しており、米国案件への強い関心を隠さなかった。
ただし、「国家安全会議組織法」によれば、国安会は総統に対し、国防・外交・両岸関係など国家の基本方針について助言を行う「諮問機関」と規定されている。これを踏まえ、国民党の賴士葆議員は、呉氏が外交部に先行して州政府と連携を模索した行為を「越権」と批判。一方、民進党の呉思瑤議員は「制度上の連携の範囲内」と擁護したが、民進党内部でも呉氏の行動に懸念を示す声があるとされる。
関係者によれば、呉釗燮は国安会諮問委員の徐斯儉氏(写真)を駐米代表の後任に据えたい意向だという。(写真/顏麟宇撮影)
週例会議で顔を合わせる二人 実務レベルでは協力的 「龍燮対立」「外交の二つの太陽」などと報じられる一方で、外交部関係者は「二人の不仲説は誇張されすぎている」と語る。林佳龍氏は「非典型的な外交部長」とされるが、実際には毎週の国安会議に出席しており、「不和と呼べるような関係ではない」という。外交関係筋も、「個人的な相性はさておき、外交部と国安会の連携は良好だ。 林氏は重要な判断を下す前に国安会の意見を尊重しており、呉氏との業務上の衝突はない」と強調した。両者は複数の合同会議やグループにも定期的に参加しており、「表面上の摩擦よりも実務の協力関係の方が現実的だ」とみられている。
国安会の海外出張、外交部の支援が不可欠 2025年度の国安会予算案では、職員の海外出張費が約771万台湾ドル(約3,780万円)にとどまる一方、外交部の同項目は約2,779万台湾ドル(約1億3,600万円)に達しており、その差は顕著だ。だが、国安会職員が海外出張を行う際には、外交部の後方支援が不可欠である。外交関係者によれば、国安会に限らず、立法院や行政院など各機関の国外訪問においても、外交部と駐在代表処が行政面・実務面のサポートを担っているという。
「国家安全会議処務規程」に基づき、現在122人の職員を抱える国安会には、行政実務を担当する第三組の各課が設けられている。ただし、現地での出張時には外交官が同行するケースがほとんどであり、特定の行程を除いて外交部の協力が常に求められる。したがって、林佳龍氏と呉釗燮氏の間にどのような「心のわだかまり」があったとしても、外交部と国安会の実務協力に支障は出ていないのが実情だ。
国安会の海外出張には、現地での外交部による支援が欠かせない。(写真/鍾秉哲撮影)
林佳龍と徐斯儉、欧州外交で二正面作戦 「龍燮対立」をめぐる議論が続くなかで、林佳龍外交部長の就任以降、台湾外交はむしろ新たな突破口を見せている。蔡英文政権下で呉釗燮氏が外相として築いた欧州ネットワークを基盤に、林氏はこれをさらに発展させた形だ。9月には2度にわたり欧州を訪問し、オランダのシンクタンク「ハーグ戦略研究センター(HCSS)」およびポーランドの「ワルシャワ安全保障フォーラム」に出席。台湾の「再武装」と「再工業化」をテーマに、サプライチェーン再構築における台湾の役割を訴えた。特に「非中国依存の供給網(Non-Red Supply Chain)」を軸に、経済安全保障分野での台湾の貢献を強調した。
2回目の訪欧では、林氏は徐斯儉国安会諮問委員と共にワルシャワ安全保障フォーラムに参加。終了後はそれぞれ別ルートで行動し、林氏はフランスを極秘訪問してパリでアフリカ諸国の台湾駐在代表を集めた会議を開催。一方、徐氏はベルギー・ブリュッセルを訪れ、NATO本部や欧州委員会が所在するロベール・シューマン広場周辺で欧州官僚と会談した。両者はそれぞれの立場から台湾と欧州の経済安全保障協力を深化させる方向性を打ち出し、互いのメッセージは一致していた。
林佳龍外交部長が招かれ、ポーランドのワルシャワ安全保障フォーラムで基調講演。(写真/外交部撮影)
外交と国安の競争と共存 頼清徳政権の信頼は林佳龍に こうした動きを見ると、国民党が批判する「足の引っ張り合い」という構図よりも、外交部と国安会の「良性競争」に近い。外交関係者によると、林佳龍氏の欧州外交戦略は頼清徳総統と卓栄泰行政院長の全面的な支持を受けている。林氏はまた、米国関連の外交にも注力しており、学生時代から複数回の訪米を重ね、市長時代を通じてワシントン関係者とのネットワークを築いてきたとされる。そのため、国安会側のルートとは別に、林氏自身が独自の対米パイプを持つ。
頼清徳氏も林佳龍氏を深く信頼しているとされ、重要な外交判断では林氏の意見を参考にすることが多いという。外交筋によれば、林氏は駐米代表の俞大圹氏と直接やり取りを行い、連絡を密にしている。また、現駐米副代表の楊懿珊氏は林氏の元側近であり、林氏が対米政策を深く把握していることを示している。「小手先の存在ではなく、頼政権の中枢にいる」と評する声もある。
一方、あまり知られていないが、トランプ政権が4月初旬に「関税自由化」を発表する直前、呉釗燮氏は外交部政務次長の陳明祺氏を伴い訪米し、トランプ政権関係者と「非公開ルート」で接触していた。これに対し、2024年8月末の訪米時には林佳龍氏は同行していなかった。関係者によると、それは頼清徳総統の指示によるもので、林氏には台北で待機し、米国発表の内容を即座に報告する役割が与えられていたという。陳氏の同行は、緊急連絡体制を整えるための“現場要員”としての措置だった。
頼清徳総統(右)は対米関係で林佳龍外交部長(左)を重用している。(写真/柯承惠撮影)
火消しか、それとも再燃か 呉釗燮の出方が焦点 林佳龍氏と呉釗燮氏の関係は、業務領域の「越境」をめぐって緊張が生じているものの、現時点で外交・国安両面の政策運営に支障は出ていない。欧州戦略は順調に進展し、対米関係も安定している。外交関係者は「省庁ごとに意見の違いはあっても、政府は最終的に一つのチームとして動いている」と強調する。
林氏はこの1カ月間、立法院での質疑応答や記者会見で不仲説について問われるたびに「噂だ」「私たちは台湾チームだ」と火消しに回ってきた。さらに「この噂の背後には認知戦の影がある」とも発言し、明確に鎮火姿勢を取っている。一方、総統府も複数回にわたり事態の沈静化を図った。
ただ、今後の焦点は呉釗燮氏の対応にある。立法院で国安会予算が審議される際、「魔法部の王」「新たな戦神」と皮肉られる呉氏が、野党議員からの厳しい質問にどう答えるか。沈静化に成功するのか、それとも再び火をつけるのか。その答えが、「龍燮対立」という物語の次の展開を決定づけることになりそうだ。