中国共産党の最高軍事機関である中央軍事委員会の張又俠副主席が当局の調査を受けているとの情報が飛び交う中、SNS上では張氏が逮捕直前に残したとされる「習近平への公開書簡」が急速に拡散している。
全文4,000字を超えるこの文書は、習近平国家主席の「大院兄弟(同じ敷地で育った幼馴染としての盟友)」の立場から綴られた政治的な遺書とも取れる内容だ。しかし、現時点でその真偽を証明する手立てはない。書簡は2025年12月に口述されたとされ、両者の決裂が決定的となった要因として「軍事委員会主席責任制の私物化」を指摘。さらに、張氏が台湾への武力侵攻に強く反対し、習氏に対して第21回党大会での引退を求めていたことが記されている。
錯綜する「張又俠失脚」情報、ネット上は「パラレルワールド」化
張又俠氏の失脚に関する公式な詳細は不明だが、習近平氏に次ぐ軍のナンバー2という重鎮であるだけに、様々な憶測が飛び交い、ネット上では真偽不明の情報が入り乱れる「多元的なナラティブ(語り)」が形成されている。
「軍内部が動揺している」「一部の将校が辞表を提出した」といった情報は、主に海外の政治評論番組や匿名の内部告発をソースとしており、クロスチェック可能な一次情報は皆無に近い。主な流言は以下の通りだ。
「部隊の北京入り・勤王」映像の拡散
X(旧Twitter)などのSNSプラットフォームでは、「各地の解放軍部隊が北京へ向かっている」「張又俠を救出するための『勤王(君主を守るための挙兵)』だ」と主張する写真や動画が大量に投稿されている。台湾の政論番組でもこれらが取り上げられているが、撮影場所、時間、部隊番号などは特定されていない。衛星画像やオープンソース・インテリジェンス(OSINT)による裏付けもなく、現時点では検証待ちの素材、あるいはフェイク映像の域を出ない。
「全人民に告ぐ書」の出現
また、「全人民に告ぐ書」と題された文書もネット上に出現した。全軍・全民に蜂起を呼びかける内容で、張又俠氏や、同じく動静が注目される劉振立(統合参謀部参謀長)の異変と関連付けて拡散されている。しかし、発信元や執筆者は不明であり、実際に動員効果があった形跡や、権力中枢の関与を示す証拠は見当たらない。
拡散する「公開書簡」の中身 台湾侵攻と独裁への批判
今回最も注目を集めているのが、『張又俠から習近平への一通の公開書簡』である。ネット上で流布するこの文書は、両者の決裂の核心を以下の2点にあると主張している。
- 「軍委主席責任制」の変質:習近平氏が制度を悪用し、「家長制(家父長的な独裁)」で軍を私物化していることへの反発。
- 台湾侵攻への反対: ロシア・ウクライナ戦争による「空白期間」を利用した台湾への武力侵攻に対し、張氏が軍事的合理性から反対したこと。 (関連記事: もはや習近平氏の台湾侵攻を止める者はいないのか?張又侠氏ら軍トップ失脚の衝撃 研究者が読み解く中国軍の「次の一手」 | 関連記事をもっと読む )
書簡は、習氏に対し独裁を終わらせ、次期党大会で権力の座を降りるよう迫る内容となっている。しかし、現存するのは電子テキストのみで、本人の署名入り手書き文書などは確認されていない。
専門家の間では、これが事実である可能性と共に、反習近平派による創作、あるいは党内の動揺を誘うための「認知戦」の一環である可能性も指摘されている。中国政治のブラックボックス化が進む中、この怪文書は習近平体制下の不安定さを象徴する現象となっている。
公開書簡の中身「軍の私兵化」と「台湾侵攻の無謀さ」を痛烈批判
ネット上で拡散しているこの公開書簡は、自身が逮捕されることを予感し、あらかじめ公開を許可したものであると前置きした上で、中国共産党の権力中枢に生じた巨大な亀裂を暴露している。
中でも最も体制を揺るがす告発は、「中央軍事委員会主席責任制」が習近平氏による独裁体制へと変質したことへの不満だ。書簡は、この制度が集団指導メカニズムを保障するものから、単なる一人独裁の法的カモフラージュへと徹底的に歪められ、習氏個人の「家長制(家父長的支配)」に堕落したと批判。軍の戦略策定から情勢分析、人事登用に至るまで、すべてが主席の一存で決定されている現状を嘆いている。
公開書簡は、異例のスピードで抜擢された将官たちが、国家や国民ではなく、指導者個人に恩義を感じて忠誠を誓っている現状を危惧している。軍内部で推し進められる「習主席の良き戦士」といった文化大革命を彷彿とさせる個人崇拝キャンペーンは、現場で広範な反感を買っているという。
人民の軍隊が指導者の「家兵(私兵)」と化すことは、最高指導者の戦争への意志が、専門的な軍事的判断を凌駕するための地ならしになりかねないとの懸念が記されている。
さらに公開書簡は、武力による台湾統一の幻想を打ち砕き、壊滅的な戦争のシナリオを予測している。 一旦開戦すれば、その結果は「数十万の兵士を海に沈めても無駄」であり、日米の介入は必至であると断じている。その際、中国南部の沿岸にある軍事施設、橋梁、石油備蓄基地などの重要目標は数時間以内に破壊され、国家の海外資産も凍結され、最終的には「党も国も滅びる」の絶望的な境地に追い込まれると警告している。
公開書簡によれば、第20期三中全会の期間中、張又俠氏と習近平氏の間で激しい衝突が発生したという。導火線は以下の2点であったとされる。
- 習氏が軍内部で「あまりにも多くの人間を突貫で抜擢した」ことへの反対。
- 習氏が提案した「全国を戦時体制に移行させ、このタイミング(時間的な窓)で台湾を攻略する」という狂気じみた提案への断固たる反対。
この衝突は極めて激しく、激昂した習氏が体調を崩して病院へ搬送される事態となり、三中全会は一時開催不能の危機に陥り、最終的に党の長老が仲裁に入ったと記されている。
公開書簡は、自身と習氏が「同じ軍区の宿舎(大院)で育った兄弟」であり、だからこそ諫言する責任があると強調している。この諫言は、深刻な個人的反省と歴史的教訓に基づいている。
(関連記事:
もはや習近平氏の台湾侵攻を止める者はいないのか?張又侠氏ら軍トップ失脚の衝撃 研究者が読み解く中国軍の「次の一手」
|
関連記事をもっと読む
)
著者は自身が犯した重大な過ちとして、「習近平の憲法改正(国家主席の任期撤廃)を支持したこと」を率直に認めている。そして、軍人の忠誠に関する究極の問いを投げかけている。「指導者の命令が国家と人民の利益に反する時、真の忠誠はどこに帰すべきなのか」と。
原文の重要ポイント抜粋
「もし私に万一のことがあれば、この手紙を公開してほしい。私が捕まるということは、間違いなく他にも多くの者が道連れになるだろう。我々に規律違反や違法行為があったわけではない。理由はただ一つ、私と習近平同志が理解する中央『軍委主席責任制』に相違があるからだ」
「私には軍事クーデターを起こす条件が揃っていた。だが、私は断固としてそれをやらなかった。動乱があまりに大きく、一度コントロールを失えば国家は内戦に陥り、真っ先に犠牲になるのは双方の罪なき兵士たちだからだ」
「第一の理由は、私が『中央軍委主席責任制』に反対していることだと言われるだろう。考えてみてほしい。もし軍委主席が長年の軍の腐敗に本当に責任を負っているのなら、私が反対などするだろうか? 私が反対しているのは、軍委主席責任制が『家長制』に変質し、あまりに細かく具体的に管理しすぎることだ。あらゆる事案において、自分を天才的な専門家であり、英明な統帥だと思い込んでいることだ」
「彼はとりわけ、自らが陣頭指揮を執る壮大な戦争を望んでいる……だが、数十万の軍人が海を埋め尽くしても、台湾島には近づけないだろう」
「最後に、近平同志に対していくつかの希望を述べたい。一つは、第21回党大会で任期を終え引退すること。二つは、いかなる形式の戦争も発動しないこと。三つは、米国が確立した国際秩序を尊重すること。四つは、真誠な改革開放を行うことだ」
ネットで流出した「張又侠氏から習近平氏への公開書簡」
もし私に万一のことがあれば、この手紙を公開してほしい。私が捕まれば、間違いなく多くの者が連座するだろう。だが、我々に規律違反や違法行為があったわけではない。理由はただ一つ、私と習近平同志の間で、中央『軍事委員会主席責任制』に対する解釈が異なっていたからだ。もちろん、台湾への武力統一、ロシアとの戦略的連携、そして高級将校の拙速な抜擢についても重大な意見の相違があった。
これらの相違は党内・軍内では正常な現象であるはずで、本来は科学的かつ民主集中制の手続きを経て解決されるべきだ。しかし現在、彼は『特殊な方法』でこれを解決しようとしているようだ。
近平同志に伝えたい。この手紙を書いている時、私はかつて趙紫陽が言った『我々はもう歳だ、どうなっても構わない』という言葉を思い出している。私には軍事クーデターを起こす条件が揃っていた。だが、私は断固としてそれをやらなかった。動乱があまりに大きく、一度コントロールを失えば国家は内戦に陥り、真っ先に犠牲になるのは双方の罪なき兵士たちだからだ。
私に対して非常手段が取られたとしても、私は抵抗しない。善悪と正義は、人々の心が天秤にかけて判断するものであり、歴史が明らかにしてくれると信じている。私の心は平穏だ。これらの言葉を残すことで、近平同志が目を覚ますことを願っている。勝者となるなら品格を持ち、越えてはならない一線を守るべきだ。あくどいことをしてはならない。『頭上三尺に神明あり(お天道様は見ている)』のだ。
断言できるが、私を逮捕するなら、それは3〜5人が密室で共謀するクーデター方式で行われるだろう。党中央政治局の集団討論を経ることなく、しかし『中央の名義』で実行・公表されるはずだ。
誰が規律違反をしているのか? 1989年(天安門事件)で規律と法を破ったのは鄧小平であり、趙紫陽ではなかった。だが、鄧小平は少なくとも1992年に改革開放を堅持した。今回、もし私が捕まれば、極めて高い確率で、近平は中国を北朝鮮に変えてしまうだろう。一心不乱に台湾武力統一を目指し、いつでも軍隊を使って国内に戒厳令を敷くようになる。
逮捕後、どのような罪名が着せられるのか。第一条は間違いなく『中央軍事委員会主席責任制への反対』だろう。考えてみてほしい。もし軍委主席が長年の軍の腐敗に本当に責任を負っているのなら、私が反対などするだろうか? 私が反対しているのは、軍委主席責任制が『家長制』に変質し、あまりに細かく具体的に管理しすぎることだ。あらゆる事案において、自分を天才的な専門家であり、英明な統帥だと思い込んでいる。
毛沢東ですら、これほど軍隊をコントロールしなかった。人民の軍隊が党の軍隊にいることはまだしも、個人の『私兵』になってしまうことは最も恐ろしいことだ。異例なスピードに抜擢された者たちは、恩義を感じて無原則に忠誠を誓い、『習主席の良き戦士』などという文革そのもののスローガンを創作している。かつては情報が閉鎖されていたから宣伝も成功したが、情報が発達した現代において、本心からあなたを偉大な領袖として崇拝する者はいない。むしろ反感を買うだけだ。
ネット上の動画でも見られるように、近平同志が会場に現れると全員が起立して拍手をする。まるで北朝鮮の金正恩と同じだ。現場での私の態度も皆が見ただろう。私は内心反発し、居心地の悪さを感じていた。これも『軍委主席責任制への反対』と見なされるのだろう。
海外では私と近平同志の内紛が騒がれており、軍の情報部門も頻繁に情報を整理して見せてくれるが、私は一笑に付してきた。もし私が捕まるなら、問題は我々の制度そのものにある。制度を変えなければ、誰もが次の被害者になり得るのだ。
党の指導とは、最高指導者が事細かに全てをコントロールすることではない。人民を導いて法と戦略を制定し、全ての党員がそれを遵守することだ。軍隊に対する党の指導も同様だ。『軍委主席責任制』とは、集団指導の下での責任制であり、軍委トップが三軍の統帥となるのは戦時のみであるはずだ。平時の戦略策定、情勢分析、人事登用を、軍委主席一人の言葉で決めてはならない。
近平同志と私との決裂は、まさにこれらの点において生じた。さらに深刻なのは、彼が常に戦争を始める機会をうかがっており、心の底から「壮大な戦争」を自ら指揮したいと熱望していることに私が気づいてしまったことだ。南シナ海での衝突や、とりわけ中印国境で起きた紛争など、本来は全く必要のないものだった。
私は、戦争というものを身をもって経験した人間だ。指導者がひとたび戦争を発動すれば、無数の兵士たちがその命を犠牲にする。だが時が過ぎれば、両国の指導者は再び親しげに握手し、「同志、兄弟」と呼び合うのだ。これは英明な指導者がなすべきことではない。
かつて私と共に戦い、戦死した兵士や将校たちは、今も国境の地に埋葬されたままだ。彼らの父母や兄弟は、ひと目会いたいと願っても、そこへ行く旅費すらない。平和な時代にこのような悲劇を生み出したのは、鄧小平の罪業である。多くの人は知らないだろうが、鄧小平は自らの権力を万人の上に置くため、1982年に憲法を改正し、この「中央軍事委員会主席責任制」なるものを作り上げたのだ。毛沢東の時代には、このような制度は存在しなかった。
鄧小平はこのことを決して宣伝しなかった。彼は、この改憲が自身の独裁的集権のために行われることを知っていたからだ。当時、軍事委員会では楊尚昆らが画策し、これを成立させた。鄧小平の改憲も、習近平の改憲も、実態は一部の重要人物が裏で決定し、全国人民代表大会(全人代)は政治局が決めた通りに通過させざるを得なかったに過ぎない。手を挙げなければ逮捕される、それが実情だ。
その後、鄧小平が趙紫陽や胡耀邦といった同志を排除し、長安街で戦車を走らせて発砲し、人民を鎮圧できたのも、すべてはこの「軍委主席責任制」があったからだ。この制度が、彼に最高権力を与えたのである。
振り返ってみてほしい。鄧小平はこれほど多くの罪悪を積み重ねたが、それは鄧家の人々にとって良い結果をもたらしただろうか? 党と国家、そして人民にとって良いことだっただろうか? 私が習近平同志に諫言するのは、実は彼と彼の家族のためを思ってのことだ。結局のところ、我々は同じ「大院(軍幹部用居住区)」で育った兄弟であり、彼に本音を言えるのは私しかいないからだ。
台湾を攻撃し、さらに米国や日本と戦争になれば、かつて鄧小平が行ったベトナム戦争や学生鎮圧のように簡単には終わらない。彼の家族、そして我々の国家には無限の災難が降りかかり、数万、数十万の軍人が犠牲になるだろう。私はその結末を想像することさえ恐ろしい。そのような戦争の果てにクーデターが起き、あるいは党と国家が人民によって転覆された時、戦争を発動した指導者に対して「血の清算(凄惨な報復)」が行われないと言い切れるだろうか? 考えるだけで戦慄する。
軍隊とは国家と人民を守るためのものであり、戦争をするための道具だと考えるのは、当然ながら重大な誤りだ。私が軍事委員会にいる間は、まだ彼を説得し、あるいは彼が重大な過ちを犯さないよう制約することもできる。だが、一旦私が逮捕されれば、劉振立やその他多くの同志たちも拘束されるだろう。軍の中枢は彼が自ら選んだ将官たちで埋め尽くされ、我が国は「軍国」と化し、いつでも戒厳令が敷かれる北朝鮮のような国になり下がるだろう。その問題は、文化大革命よりも深刻だ。
私と習近平同志の確執について言えば、それは第20期三中全会の前から始まっていた。彼は軍の人事ルールを完全に無視し、あまりにも多くの人間を「突貫人事」で抜擢したため、大量の将兵の不満を招いた。さらに深刻なのは、彼らが手にした権力とボス(習)からの信任を笠に着て、軍内で徒党を組み、私を処罰するための証拠集めを始めていたことだ。
私と近平同志の衝突は、第20期三中全会の場で決定的なものとなった。対立点は二つ。一つは人事問題、もう一つは軍を使って全国を戦時体制に移行させ、ロシアがウクライナを攻撃している「今」という時間窓を利用して、台湾を攻略するという提案だった。
私と劉振立同志はこれに反対し、張升民同志は沈黙を守った。私は「軍委は民主集中制を重んじるべきだ」と主張したが、近平同志は「中央軍委主席責任制に違反している」と私を糾弾した。その結果、彼は激昂のあまり体調を崩して病院へ搬送され、三中全会は中断寸前まで追い込まれた。当然ながら、この内情を知る者はごく僅かだ。常務委員たちが動揺する中、党の長老たちが仲裁に入ったのだ。
後に海外メディアで報じられた「北戴河の合意」の内容は、概ね事実である。 第一に、近平は第21回党大会での再選を求めないこと。 第二に、党と国家の安全のために適度な分権を行うこと(蔡奇が党務、李強が国務院、私が軍委を担当し、実質的な常務指導体制とする)。 第三に、中央の最高意思決定における重大なミスを防ぐため、中央政策決定協調機関を設立すること。これらはその後のニュースを見れば明らかだろう。
三中全会の後、長老たちが活発に動き出したのは、軍部の力が権力バランスを保っていたからだ。しかし、問題はどこにあるのか。蔡奇や李強をはじめとする政治局常務委員たちは、すべて近平が自ら引き上げた人物であり、完全に彼一人の指令に従っている。彼らは近平なしには権威を保てないため、むしろ上に一人の独裁者がいて、何かあればその「ボス」が責任を負ってくれる体制を好んでいるのだ。国家や人民がどのような災難に見舞われようと、彼らには関係ない。コロナ禍での彼らの振る舞いが、まさにそうだったではないか。
私は党中央の活動を無視するわけにはいかず、ある時は婉曲に断り、ある時は協力せざるを得なかった。この構造を変える力は私にはなく、引退した老同志たちも無力だ。彼らが最終的に私に対して手を下す可能性は極めて高いが、長老たちが私の逮捕を支持することはないだろう。
もし私に罪があるとするなら、一つ目は「習近平の憲法改正(任期撤廃)」を支持したことだ。軍部の背景なしに、蔡奇が党・政府システムを動かすだけであれを成し遂げることはできなかった。その結果、近平は過激化し、第20回党大会の会場から胡錦濤前総書記を強制退場させるという暴挙に出た。私は震え上がった。第18回党大会で、錦濤同志は高潔な精神で全ての権力を近平に譲った。それなのに、10年後に前総書記をこのように扱うのか? 人として守るべき一線があるはずだ。
原因は誰もが知っている通り、錦濤同志と近平の間で、胡春華を政治局常務委員・政協主席にすると合意していたにもかかわらず、春華は常務委員はおろか、政治局にさえ入れなかったからだ。
二つ目は、私が受動的にせよ、近平のロシアに対する「上限なき支援」を支持してしまったことだ。これは実質的にロシアのウクライナ侵攻を支持したことになり、欧州全体とウクライナの我が国に対する敵意を招いた。当時、我々はロシアの実力を過大評価し、電撃戦でウクライナを占領できると踏んでいた。その後、彼らが我々の台湾解放を支持してくれるはずだと。
だが結果はどうだ。ロシアもウクライナも我々を恨んでいる。先日私がロシアを訪問した際、接待の格式こそ高かったが、会談の内容は極めて非友好的だった。無意味な戦争で、同じ民族が殺し合っている。もし我々が台湾を攻撃すれば、全く同じ結末を迎えるだろう。
もう一言言わせてほしい。台湾解放、祖国統一の大業を成し遂げたいという思いは、本来私にもあった。だが後に劉亜洲(りゅう・あしゅう)の分析を聞き、私は冷や汗をかいた。「数十万の軍人を海に沈めても、台湾島には近づけない」と。
開戦すれば日本が介入し、続いて米国が参戦する。中国南部の沿岸にある軍事施設、橋梁、石油備蓄基地は、数時間以内に日米連合軍によって破壊されるだろう。我々も台湾のいくつかの建物を破壊できるかもしれないが、最終的には莫大な賠償を負わされ、海外資産は凍結される。「国破れて山河なし」、まさに亡党亡国の道だ。
近平同志の問題は、彼の周りにいるご機嫌取りたちにある。彼らは近平を「絶世の偉人」とおだて上げ、「台湾を解放すれば中国の夢が実現し、毛沢東よりも偉大で栄光ある存在になる」と吹き込んでいる。誰かが真実を言えば、その場で平手打ちを食らうかもしれない。劉亜洲のように真実を語る賢明な人間は牢獄にいるしかない。私も例外ではないかもしれない。
私を逮捕した後、彼らは必ずや多くの罪名をでっち上げるだろう。「国家反逆」「腐敗」などは極めてあり得る。世界中に私を「売国奴」「腐敗分子」だと知らしめる必要があるからだ。だが考えてほしい。私は中央軍事委員会副主席であり、安全に引退すれば国家級の待遇が保証されている。なぜ祖国や党を裏切る必要があるのか。
私がロシアや米国と接触したのは国家利益を守るためであり、情報の交換も権限の範囲内だ。実は米側との交流の際、彼らは意図的に最高機密を漏らしてきた。我々の軍事基地の写真、核施設の配置図、さらには党指導者の私邸の詳細に至るまで見せてきたのだ。彼らの目的は明白だ。「ハイテク技術で毎日空から監視しており、すべてお見通しだ。戦争など起こすな、勝ち目はないぞ」という警告だ。
腐敗について言えば、家からトラック一杯のドルや人民元が出てくるなどということがあり得るだろうか? おそらく彼らは、私の家から札束が運び出されるようなフェイク映像を捏造し、米国メディアを利用して私の罪を並べ立てるだろう。それらはすべて「演出」だ。真に受けないでほしい。
私と近平の対立はとっくに公然化している。もし巨額の富があったなら、とっくに処分しているはずだ。この年齢、この地位にある私にとって、富など雲散霧消するようなものだ。秦城監獄で余生を送るか、あるいは近平に銃殺されるなら、なおさらそのような物は不要だ。
そういえば昨年、近平は第38軍の元軍長、徐勤先氏の裁判映像を見たがり、我々もそれを取り寄せて見た。5時間にも及ぶ映像を見て、私は衝撃を受けた。この忠義の将軍のために涙し、一睡もできなかった。この映像は軍の高級将官たちも見たが、後に誰かが海外へ流出させたようだ。近平がこれを見てどう感じたかは知らないが、屈辱を耐え忍んででも人民に銃を向けることを拒んだ彼こそが、真の軍人だ。
我々は「軍委主席責任制」がもたらした罪と悪果を反省せねばならない。もし無原則に、非人間的な命令にまで従い、最高権力が何の制約も受けないなら、我が国はさらなる災難に見舞われるだろう。軍人が善悪を問わず、永遠に党と領袖、そして軍委主席個人にのみ忠誠を誓うなら、我々は許されざる罪を犯すことになる。
最後に、近平同志に対していくつかの希望を述べたい。
第一に、第21回党大会で任期を終え引退すること。これは三中全会でのあなたの約束だ。
第二に、いかなる形式の戦争も発動しないこと。軍隊は国家と家を守るためのものだ。
第三に、米国が確立した国際秩序を尊重し、永遠に米国を敵に回さないこと。
第四に、真誠な改革開放を行うこと。もし中国人民を愛しているなら、権利を民に返し、延安時代の民主憲政の約束を果たすべきだ。
近平同志がもし本当に私を捕らえたなら、各メディアがこの手紙を公開してくれることを望む。そして、彼自身にもこの手紙を読んでほしいと願っている。
以上の内容は私の口述であり、友人が整理したものである。私が目を通し、公開を許可した。秘書の関与はない。
張又俠 2025年12月
世界を、台湾から読む⇒風傳媒日本語版 X:@stormmedia_jp
編集:柄澤南 (関連記事: もはや習近平氏の台湾侵攻を止める者はいないのか?張又侠氏ら軍トップ失脚の衝撃 研究者が読み解く中国軍の「次の一手」 | 関連記事をもっと読む )


















































