3兆円の巨額投資、日本が水素エネルギーに「国運」を賭ける理由
川崎重工業は2022年、世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」を用い、オーストラリアから日本へ液化水素を海上輸送した。これにより、マイナス253度に冷却・圧縮された水素の長距離海上輸送が可能であることが実証された。(資料写真/hydrogenenergysupplychain.comより)
2021年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)以降、世界各国が「2050年カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)」へと舵を切る中、日本は数年にわたる技術実証と方針策定を経て、2025年、ついにエネルギー戦略の重要な転換点を迎えた。
経済産業省が発表した最新の『エネルギー白書2025』において、欧米によるグリーンエネルギー分野での攻勢や、EV(電気自動車)・電池サプライチェーンにおける中国の独占的地位に対抗すべく、「水素社会」の実装ロードマップが正式に確立された。日本政府は3兆円規模の支援を投じ、2030年までに日本主導による国際的な水素・アンモニア供給網(サプライチェーン)の構築を目指している。
日本における水素戦略の地位はどう変わったのか
かつて水素は「夢のエネルギー」と期待されながらも、高コストとサプライチェーンの欠如が普及を阻む壁となっていた。しかし、2022年のロシアによるウクライナ侵攻が招いた世界的なエネルギー危機、そして2050年カーボンニュートラルへのタイムリミットが迫る中、その戦略的地位は劇的に変化した。最新のエネルギー白書では、水素、アンモニア、合成燃料(e-fuel)、および合成メタン(e-methane)が、将来の日本のエネルギーにおける確固たる「選択肢の一つ」として定義されている。
2021年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)では、世界各国が相次いで2050年のカーボンニュートラル達成を宣言した。(資料写真、AP通信)資料によれば、2024年は日本の水素発展史における分水嶺となった。国会で成立した「低炭素水素等の供給及び利用の促進に関する法律(水素社会推進法)」が同年10月に施行。これにより、水素政策は単なる短期的な補助金事業から、法律による長期的保障を得た国家戦略へと昇華したのである。
白書は、世界中で「資源と適地の争奪戦」が起きていると指摘。資源に乏しい日本は、法整備と財政支援を通じて日本企業の海外における権益確保(「囲い込み」)を後押しし、将来の水素ソースを確保しなければならないと強調している。
「素材」と「輸送」で欧米への劣勢を覆す
今回の白書では、水素サプライチェーン構築への強い意志が示された。特に水電解装置(エレクトロライザー)の分野において、装置の大型化・規模拡大で先行する欧米に対し、日本は異なるアプローチで勝負を挑む。
旭化成などの企業は、アルカリ水電解装置の「大型化とモジュール化」に取り組んでいる。(写真:旭化成公式サイトより)また、水素普及の最大のボトルネックである輸送面においても、日本は先行している。川崎重工業は2022年、世界初の液化水素運搬船「すいそふろんてぃあ」により、豪州から日本への海上輸送を完遂。水素をマイナス253度に冷却・圧縮して長距離輸送する技術を実証した。
世界初、大型商用石炭火力でのアンモニア混焼
「すいそ ふろんてぃあ」の実証成功を受け、政府は2030年代に現行の32倍の積載量を持つ中型船の建造を計画。同時に海上輸送量の規制緩和に着手し、大規模商用化への道を整えている。
海外から調達した水素の使途として、最も重要なのが電力と運輸分野だ。白書では、以下の企業による成果が挙げられている。
- 三菱重工業(MHI): 2023年に大型ガスタービンでの水素10%混焼検証に成功、2025年度には水素100%専焼バーナーの開発完了を目指す。
- 川崎重工業: 2024年に5MW級の大型ガスエンジンを開発し、水素専焼による安定燃焼を実現。
- IHI・JERA: 2024年、碧南火力発電所(1GW級)においてアンモニア20%混焼実証に成功。これは大型商用石炭火力発電所における世界初の快挙であり、アンモニア混焼発電の実用可能性を証明した。
IHIとJERAは2024年、1GW級の碧南火力発電所を使用し、アンモニア20%混焼の実証に成功した。(資料写真:戸田建設公式サイトより)運輸部門においては、2023年の燃費規制強化により乗用車の平均燃費は19.8km/Lまで改善。エコカー減税も2026年4月まで延長され、HV(ハイブリッド車)やEVの普及を後押ししている。特筆すべきは、CO2排出源として比重の大きい商用車対策だ。政府は2023~2024年で800億円超の予算を投じ、物流業界の電動化シフト(GX)を強力に推進している。
規制緩和でFCVと産業のコスト構造を変える
水素燃料電池車(FCV)の普及に向け、日本政府は極めて重要な規制緩和に踏み切った。燃料電池車に搭載される高圧水素タンクの法定耐用年数を、従来の15年から「25年」へと大幅に延長したのである。
この一見地味な技術基準の改正は、FCVの長期保有コストを劇的に引き下げ、コスト意識の厳しい物流業界において水素トラック導入のハードルを下げる呼び水となる。同時に、運営コストが高止まりしている水素ステーション(加圧所)についても、無人運転の安全性検証を進め、収益性の改善を急いでいる。
- 航空分野: 2030年までに国内航空会社の燃料使用量の10%を「持続可能な航空燃料(SAF)」に置き換える数値目標を設定。輸入頼みではなく、国内でのSAFサプライチェーン構築を義務付けた。
- 鉄道分野: 国土交通省は2025年4月、水素燃料電池列車の導入に向けた技術基準の省令改正を完了。これにより、地方路線のディーゼル車が、水しか排出しない水素列車へと置き換わる未来が現実のものとなった。
将来、日本の鉄道を走るディーゼル機関車は、水のみを排出する水素機関車に置き換わる可能性がある。(写真:Facebookページ「鉄道風情」より)3兆円の「値差支援」 鶏と卵のジレンマを打破する
この「鶏が先か、卵が先か(需要がないから高い、高いから需要がない)」というジレンマを解消するため、日本政府は英国の洋上風力発電における成功事例(CfD制度)をモデルに、大規模な「値差支援(価格差補填)」制度を導入した。
『エネルギー白書2025』によれば、政府は水素・アンモニアと既存化石燃料との価格差を埋めるため、総額3兆円規模の予算を確保。この支援策は2024年11月から2025年3月にかけて企業の公募が行われた。
例えば、電力会社が発電燃料として高価なグリーンアンモニアを採用する場合、石炭との価格差分を政府が補填する。これにより、企業は倒産リスクを負うことなくクリーンエネルギーへの転換が可能となる。白書は、この支援を「鉄鋼・化学などの難脱炭素産業」および「サプライチェーンの中核となる発電産業」に重点的に配分する方針を明記している。これは、日本の水素市場に火をつけるための「最後の一手」と言える。
「水素クラスター」による効率化と国家の野心
燃料代の補填に加え、インフラの分散による非効率性の解消にも着手した。2025年3月から開始された「拠点整備支援」は、特定の港湾や工業地帯に「水素クラスター(集積地)」を形成することを目的としている。
貯蔵タンクやパイプラインを企業間で共有し、大規模需要を集中させることで、スケールメリットによるコストダウンを狙う戦略だ。
資源小国の焦燥と「国運」を賭けた挑戦
最新のエネルギー白書は、日本のエネルギー需給の青写真を示すだけでなく、水素を国家戦略の最重要事項へと押し上げた。
- 3兆円規模の値差支援
- 20年先を見据えた法整備と規制緩和
- 豪州や東南アジアとの強固なサプライチェーン構築
これら一連の動きは、日本政府が文字通り「国運」を水素に賭けていることを示している。背景にあるのは、台湾と同様、資源を持たない島国としての深層的な焦燥感と、エネルギー安全保障への野心だ。
日本は今、「技術」と「資本」の強引なまでの結合によって、エネルギー競争が白熱するグローバル市場のゲームルールを再定義しようとしている。次世代エネルギーの覇権を握れるか否か。今後5年間の動向が、日本の、そしてアジアのエネルギーの未来を決定づけることになる。
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