日本の人気モデル兼女優の小倉ゆうかは中国語を愛し、HSK5級(中国語検定試験、最高は6級)に合格している。彼女が初めて中国語に興味を持ったのは16歳の時、初めての台湾旅行でのことである。現地の人々から受けた温かい援助と、台湾の人々の親切さに深く感動し、それが中国語学習を始めるきっかけとなった。母語は日本語だが、現在の中国語は非常に流暢なレベルに達している。小倉は最近『風傳媒』のインタビューで、2018年に初めて台湾でイベントを開催して以来、ずっと応援し続けてくれているファンがいることに触れ、そういったファンは「とても大切な人」だと語った。
今年26歳の小倉さんは千葉県出身のタレント・モデルで、これまで青春的な活力とグラビアアイドルとしてのイメージで広く注目を集めてきた。2013年に「Seventeen」誌のモデルオーディションに参加し、芸能界入りを果たした。人気が上昇するにつれ、『咲-Saki-阿知賀編』や『人狼ゲーム』など多くのドラマや映画に出演し、演技力の可能性を示した。2021年には所属事務所を退社し、グラビアアイドル活動を終了。個人の成長にも重点を置くようになり、現在は日本での活動を継続しながら、海外での活動展開も視野に入れ、積極的に新しい可能性を探っている。
ホテル代で旅費が底を突き、台湾の街で涙
チャレンジ精神旺盛な小倉さんは、16歳の高校生の時に一人で台湾を訪れた。日本で宿泊費を前払いしたと思っていたが、桃園のホテルに到着してから現地での支払いが必要だと判明。宿泊費を支払った後、所持金は1万円余りしか残っておらず、旅行はまだ8日も残っていた。お金が足りずに台湾の街を歩きながら泣いていたところ、桃園復興路にある仙草店の前を通りかかった。店主は彼女の落ち込んだ様子を見て声をかけてくれた。翻訳アプリを使い、英語と日本語を交えて店主とコミュニケーションを取り、最終的に日本にいる母親と連絡を取ることができた。翌日、台湾の銀行で母親から送金された旅費を受け取り、この危機を乗り越えることができたそうだ。
最も印象に残っているのは桃園の「原記嫩仙草」で、周辺の通りや環境は今でも鮮明に覚えていると語った。桃園の雰囲気は大都市の忙しさとは全く異なり、濃厚な人情味に溢れており、若者も年配者も優雅で自然な装いをしていることに理想的な場所を見つけたと感じたという。「当時、店主がすべてを助けてくれた」と語る。当時は中国語が話せなかったものの、初めて台湾で仕事をした際に、特別にこの仙草店の店主を訪ねた。店主は彼女のことを覚えており、通訳を通じて彼女の仕事を知ると、特別に応援の言葉をかけてくれ、満々の支援と温かさを感じたという。
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仙草店の店主への感謝を込めて今年も台湾へ
小倉さんが最近仙草店の店主を訪ねたのは2024年4月で、台湾を訪問した際に花蓮地震の状況を特に気にかけた。この訪問は彼女にとって特別な意味があった。というのも、初めて店主と流暢な中国語で会話ができたからである。かつて助けてくれた人と中国語で会話ができるようになり、過去のコミュニケーションができない状態から現在は中国語で気持ちを伝えられるようになったことは、非常に意味のある成長だったと振り返った。この再会で店主との距離がより近くなり、二人の交流はより温かく深いものになったと感じている。
中国語学習による成長について、自分を助けてくれた人と相手の言語で会話ができることは非常に喜ばしいことであると語っている。相手の言語でコミュニケーションを取ることで特別な親近感が生まれるためである。また、中国語学習の初期には、中国語の声調が日本語より多く、より強調されているため、よく相手が怒っていると誤解していたが、学習と理解が深まるにつれ、そうではないことに気付いたという。中国語を習得したことで、より多くの人とコミュニケーションが取れるようになり、自分の世界が広がり、異なる国の友人と交流できるようになって、視野と人脈が広がったと感じている。
台湾でファンミーティング開催 より一層、中国語を学習に励む
小倉さんは、過去にグラビア撮影を主な仕事としていた時期を振り返り、当時はまだ中国語を習得しておらず、SNSでも台湾関連の投稿は特にしていなかったが、すでに多くの台湾のファンがいたと語っている。2018年に初めて台湾でファンミーティングを開催した際、周りのスタッフが宿泊手配や台湾メディアのインタビュー対応、ファンとの交流イベントの企画など、細かい部分まで非常に丁寧に準備をしてくれた。台湾のファンとより良いコミュニケーションを取るために、彼女は中国語の学習を始めた。ファンミーティング前には、「こんにちは、私は小倉ゆうかです。みなさんにお会いできて嬉しいです」といった簡単な中国語の挨拶を懸命に覚えた。
日本に帰国後も、映画やテレビなどを通じて中国語学習を続け、次第に中国語という言語の細かな部分や魅力に惹かれていった。中国語学習で直面した課題について、仕事の関係で頻繁に異なる場所に行く必要があり、台北、台南、上海、北京など異なる都市出身の複数の教師から学ぶことになったと語っている。これらの地域では発音が異なるため、最初は毎回学ぶ発音が前回と違うことに戸惑い、教師からも発音が正確でないと指摘されることが多かった。しかし、各地の訛りの違いは自然な現象だと次第に理解し、「私にも私なりの訛りがある」ということを受け入れ、恥ずかしがらずに中国語を話せるようになった。
自主的に「言語交流会」を企画
学習好きな彼女は「言語交流会」まで企画し、言語を愛する人々に機会を提供している。小倉さんはイベントの企画時、意図的に控えめな姿勢を保った。これは、ファンがアイドル追っかけのために参加するのを避け、日本語と中国語学習の真の交流を促進し、参加者が学習に専念できるようにするためである。そのため、個人のアカウントではなく、専用の「言語交換カフェ」のSNSアカウントを作成してイベントを宣伝した。それでも、ファンがこのイベントを見つけたことには少々驚いた。しかし、これらのファンが彼女の影響で中国語学習に励み、急速に上達している様子を見て、非常に喜んだそうだ。現在も、不定期でこのようなイベントを開催している。
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「言語交流会」を始めたきっかけについて、日本で流暢に中国語を話せる人が実際には少ないことに気付き、自身は日本在住の台湾人の友人が比較的多く、また中国語に興味を持つ日本人の友人も多いものの、これらの人々がどのように学習を始めればよいか分からないことが多いため、このようなイベント企画を決めたと語っている。現在では多くの友人から中国語に関する質問、例えば特定の単語の意味や中国語での表現方法などについて質問を受けることがあり、これは彼女にとって特別な経験となっている。また、もともと映画やテレビ、演技が好きだということから、将来的に中国語で役を演じる機会も望んでいる。
台湾での仕事 機会があれば是非挑戦したい
インスタグラムで52.2万人、Xでも14.3万人のフォロワーを持つ小倉ゆうかさんは、現在は写真撮影関連の仕事は行っていないものの、将来の様々な芸能活動の機会に対してはオープンな姿勢を持ち、より多様な挑戦を試みる意欲があると語っている。2024年7月には、SNSで台湾での写真を共有したことについて、台湾での仕事の計画については、現時点では具体的な予算や計画はないものの、機会があれば台湾での活動に挑戦したいと述べている。芸能活動以外にも、数人の日本人の友人と1年以上かけて二日酔い防止用の飲料を開発し、このプロジェクトは現在ほぼ完成し、段階的に普及を進めていく計画である。
異なる分野への進出について、将来的にはこの商品を若者が頻繁に集まって飲酒する娯楽施設に普及させ、最終的にはドラッグストアでの販売を目指している。中国語と日本語を話せる人物として、健康に有益な商品をより多くの人々に紹介し、特に両国間でより深い文化と商品の交流を築きたいと考えている。これまでに大きな困難に直面したことがあるかという質問に対し、仕事と生活の中で確かに多くの挑戦があったと率直に語ったが、困難は自分だけの経験ではなく、誰もが様々な困難に直面すると強調している。
中国語学習の先輩として、興味を持つ人々へのアドバイス
「中国語学習の先輩」として、中国語学習に興味を持つ日本人にいくつかのアドバイスを述べた。多くの人が中国語は難しいと感じるかもしれないが、最も実用的な単語をしっかりと覚えることが重要だと指摘。時々忘れることがあっても、繰り返し記憶する努力をしているという。なぜなら、継続的に練習を続ければ、会話の中でこれらの単語が自然と出てくるようになるからである。過去には頭の中に多くの中国語の単語があっても、話すことを躊躇していたが、中国語を話す友人が増えるにつれて、徐々に流暢になっていった。そのため、諦めずに練習を続ければ、言語能力は徐々に向上すると皆を励ましている。
台湾について、小倉さんの最も好きな食べ物は葱油餅で、早く台湾に戻ってこの美食を味わいたいそうだ。台湾のファンへの感謝の気持ちを述べる際、2024年10月に台湾のファンが彼女のインスタグラムにコメントを残し、2018年に初めて台湾でファンミーティングを開催して以来、ずっと応援し続けていると伝えてきたことに触れた。彼女は非常に驚いたという。なぜなら、彼女の仕事は多くの変化を経験し、また自身はSNSの投稿が少なく、1年間投稿しないこともあるからである。このように黙々と支援し続けてくれる台湾のファンに非常に感動し、これらのファンは「とても大切な人たち」であり、彼女も同様に彼らのことを忘れることはなく、この支援をしっかりと心に留めておくと述べている。
インタビューの過程で、彼女は仕事の経験や学生時代に助けられた出来事について非常に真摯に語っていた。これらは全て彼女にとって成長の経験であり、だからこそ堂々と語ることができている。また、中国語で内容を表現しようと真摯に取り組む姿勢からは、長期的な学習の成果が見て取れる。重要な形容詞や説明の際には日本語の語彙も用いて内容の感覚を表現し、その専門性と真摯さが伝わってきた。現在も「打拼(がんばる)」と表現されるように日々努力を重ねており、毎日のスケジュールは非常に忙しいが、真摯に向き合っている様子が伺える貴重なインタビューとなった。