プロ野球・読売ジャイアンツの終身名誉監督、長嶋茂雄氏(享年89)の告別式が6月8日、東京都內でしめやかに執り行われた。会場には生前の笑顔を捉えた遺影が掲げられ、巨人軍のチームカラーであるオレンジと白の花で飾られた祭壇には、背番号「3」のモニュメントが設置された。さらに、1959年の天覧試合でサヨナラホームランを放った際に使用されたバットや、現役時代のユニホーム、グラブ、2013年の国民栄誉賞の盾、セ・リーグ新人王のトロフィーなど、球史に残る品々が展示された。
前日の通夜(7日)には、盟友・王貞治氏や堀内恒夫氏、長嶋氏の後任監督を務めた原辰徳氏、中畑清氏、そしてまな弟子である松井秀喜氏を含む126人が参列した。
告別式では王氏に続き、松井氏(50)が登壇。現役時代から長嶋氏と深い師弟関係を築いてきた松井は、静かな口調で弔辞を読み上げ、恩師への思いを言葉に託した。
松井氏は弔辞の冒頭、「監督、きょうは素振りないですよね?」と語りかけ、「その目を見ていると、『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです」と、亡き師の姿を思い浮かべながら語り始めた。
松井氏は1992年のドラフト会議で長嶋氏に指名された際のエピソードに触れ、「タイガースファンだった私は、心の中でちょっとズッコケました」と当時の心境を回顧。その後、長嶋氏から直接電話を受け「松井君、待ってるよ」と声をかけられ、「あっという間に私の心は晴れました」と話した。
現役時代、松井はマンツーマンでの素振り指導を日課としており、「監督がユニホームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と二人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした」と語った。
長嶋氏の現役時代を知らない世代として生まれたことについて、松井氏は「その時代を生きていないからこそ、私は野球の神様・長嶋茂雄という存在を、普段、普通の自分として接することができた。それが私にとって、非常に幸運だった」と述べた。
長嶋氏が監督を退任する日、松井氏は「これが最後の素振りだ」と思いながら練習に臨み、途中で涙が止まらなくなったという。そんな松井に対し、長嶋氏は「何泣いてんだ。タオルで涙ふいて、ほら振るぞ」と声をかけてくれたと振り返る。松井は「それが最後だと思っていましたが、翌日もやりました。次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。それが私の幸せです」と語った。 (関連記事: 「我が巨人軍は永久に不滅です!」長嶋茂雄氏、89歳で逝去 「ミスタープロ野球」が歩んだ伝説の生涯 | 関連記事をもっと読む )
また、松井氏は現役時代に一度だけ「サードを守らせてください」と直訴したことがあったという。すると長嶋氏は、「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」と返したという。松井は当時その意味が分からなかったが、ある日、長嶋氏の自宅で素振り練習をしていた際、ジョー・ディマジオのバットと写真が飾られているのを目にし、「本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、その選手のようになれと言ってくれたことに、幸せを感じました」と語った。