東京で暮らして13年半を迎える作家の明太子さん。現在はフリーのライター・編集者として活動しながら、一児の母として日々を送っている。もともとは雑誌編集者として働いていたが、その後日本に移住。東京での生活や子育て、異文化との向き合い方について発信を続けてきた。
日本在住13年半を超える著名作家・明太子さんは、現在東京で暮らす自由業のライター、編集者、そして母親でもある。(写真/黃信維撮影)台湾メディア「風伝媒」のインタビューでは、自身のこれまでの日本生活を「二重エンジンのライフスタイル」と表現。「日本社会への理解が深まる一方で、自分が本当に望む生き方も見えてきた」と語っている。
13年という歳月の中で、さまざまな壁を乗り越え、柔軟に対応する力を身につけてきたという彼女。必要なときには、自分を守る術も覚えた。そんな彼女は現在、第5作目となる著書の執筆に取り組んでおり、2025年中の出版を予定している。
日本在住13年半を超える著名作家・明太子小姐は、現在東京で暮らす自由業のライター、編集者、そして母親でもある。(写真/黃信維撮影)来日当初は日本語が全く話せず、まずは語学学校で1年半学んで日本語能力試験N1を取得。しかし、実際の職場では言葉だけでどうにかなるものでもなかった。収入を早く得たいという思いから、外国人向けの雑誌編集部に入り、日本語に不安を抱えながらも、中国語と英語を活かして記事の執筆や編集に関わった。
生活拠点は、学術的な雰囲気が漂う落ち着いた地域。しかし、子どもが小学校に入学すると、文化の違いによる衝撃が次々と訪れた。特に大きな壁になったのが、スポーツチームでの教育観の違いや、いじめの問題。
彼女が比較的穏やかな子育てを心がけていたことが、周囲の保護者に疑問視され、ある母親からは公の場で激しく非難されることもあった。「競技に参加させている以上、親はもっと厳しくあるべき」といった価値観に衝撃を受け、この出来事は彼女と子どもに深い傷を残した。気持ちの整理がつくまでには約1年を要したという。
日本在住13年半を超える著名作家・明太子さんは、現在東京で暮らす自由業のライター、編集者、そして母親でもある。(写真/黃信維撮影)その後、外国人支援センターに足を運び、女性スタッフとの対話を通じて、こうした問題が日本社会では決して珍しいことではないと知る。学校や教育委員会の対応方針を教わり、どう向き合っていけばよいのかを学んでいった。
「日本の競争文化は“強い者が生き残る”という考え方が根強く、弱さに対する共感が欠けている」。そう語る彼女にとって、この価値観は自らが育ってきた教育観とはまったく異なるものだった。この体験を忘れたくないと考え、記事としてまとめて発表したところ、大きな反響を呼ぶ。
それをきっかけに、出版社の編集長から声がかかり、小学校入学後に直面した文化的ギャップや制度との格闘をテーマに、新たな書籍の執筆が正式に決まった。
彼女は「今回の新作はこれまでの育児エッセイの続編とも言えるけれど、単なる個人の体験記にとどまらず、日本社会の価値観や文化的なギャップにも切り込んだ内容になっている」と話す。外国人として日本で子育てをする中で、良い部分は柔軟に取り入れながら、台湾的な教育観をどう保つかにも触れている。
現在すでに一部執筆が進んでおり、第5作目の出版は2025年中を予定している。当初は前年中の完成を目指していたが、書き進めるうちに日本社会のまだ知られていない側面を深掘りすることになり、試行錯誤が続いているという。「今まで見たことのない日本社会を描く一冊になる」と意気込みを語る。
東京での育児は、子どもがいなかった頃の生活とはまったく違っていた。以前は自由に取材や仕事に打ち込めていたが、今は家庭の事情を優先せざるを得ず、社会の構造そのものについても考えるようになった。
たとえば、日本では育児の負担が母親に偏りがちで、台湾で一般的な祖父母によるサポートもあまり期待できない。さらに、父親の育児参加は今も決して多いとは言えず、それは昔のアニメやドラマの中の話ではなく、今現在の現実でもある。
「子どもが病気になって会社を休むと、それだけでプレッシャーをかけられたり、最悪の場合は解雇されてしまうことも今でも起きている」。そんな状況を目の当たりにして、日本の価値観に無理に合わせようとするのではなく、自分自身の軸を持つことの大切さに気づいたという。
「文化や育ちが違えば、努力だけでは越えられない壁もある。以前はもっと馴染もうと必死だったけれど、今は自分のやり方を大事にしている」と語る。スポーツチームでの保護者トラブルを経験したとき、どれだけ頑張っても受け入れられない現実を突きつけられた。「社会に合わせようと無理をするよりも、自分の強みを活かして、楽しく生きる方法を見つける方が大切だと思う」。そう語る彼女は、無理に周囲と同じになる必要はないと気づいた。
これまでに『明太子さんの東京生活手帖』や『東京ふた目ぼれ』などの著書を出版。個人サイトやSNSを通じて、日台の文化の違いや日々の気づきをユーモラスに綴り、多くの読者から共感を集めてきた。
東京に移住したきっかけは偶然だった。もともとはイギリス留学が転機となり、そこで現在の夫と出会う。卒業後はイギリスで2年間働き、その後2人で東京へ。来日当初は日本語がまったく話せず、英語で会話しながら日本語の世界に一歩ずつ踏み込んでいった。
その後、雑誌編集の仕事を通じて日本語環境に慣れ、取材を重ねる中で言語力を磨いていった。職場では日常的に日本語を使うようになり、台湾の読者向けの記事は中国語で執筆しながら、日本の職場に馴染んでいった。数年後、妊娠を機に出張が多い編集業から離れ、働き方を見直すことにした。
4〜5年間の就業経験の中で、日本語力は大きく向上。取材を通して東京という街への理解も深まり、その経験が執筆のインスピレーションにもなっていった。文化的なショックに満ちた日々の記録が、彼女の第一作の出発点となった。
「台湾からの文化発信はまだ一方向的で、日本では“台湾=グルメと観光”というイメージが根強い」。そう語る彼女は、台湾に住む日本人がもっと安心して暮らせるような、双方向の文化交流が必要だと考えている。
日本人にぜひ知ってほしい台湾文化を尋ねると、まず「朝ごはん文化」が挙がった。バラエティ豊かで中西折衷の台湾の朝食は、日本のシンプルな朝食とは対照的。夫も台湾では毎日のようにニラ餅をリクエストするほど気に入っているそうだ。
また、「台湾の人情味もぜひ体感してほしい」とも話す。多くの日本人が一人旅で訪れ、見知らぬ人の親切に感動するという。日本では人との距離感が一定に保たれている一方で、台湾では自然に会話が生まれる。その違いが、日本人にとっても新鮮な学びになるはずだと語る。
将来的には、一時運営していたPodcastの再開も視野に入れている。元同僚と共に取材の裏話や日々の観察を配信していたが、多忙のため一旦停止。耳で楽しめるコンテンツとして、家事の合間に聴ける手軽さも魅力だという。Podcastはリスナーとの距離が近く、まるで会話に参加しているような感覚を味わえるところが気に入っている。
これまでの作品は主にエッセイやコラムだったが、今後は小説や脚本にも挑戦したいと考えている。家庭をテーマにした丁寧な物語を描く作家、たとえば湊かなえの作品に触れたことで、新しい創作意欲が湧いた。「子どもが小学校に通うようになってから、“ママ戦争”という言葉の意味が分かってきた」と話し、保護者同士のプレッシャーや競争が、今後の作品のテーマにもなりそうだ。
彼女は「日本に来る台湾人が増えている今、ただ“溶け込む”ことを目指すのではなく、自分の生き方を見つけてほしい」と呼びかける。「自信や独立心を持っていれば、むしろ尊敬されることも多い」。他人に合わせ続けていると、それが当たり前になってしまうが、自分の軸を示せば理解が得られる場面もあるという。この考え方は、彼女が日本で読んだ『嫌われる勇気』の内容とも重なっていた。
さらに、「理不尽なことをすべて“文化の違い”で済ませてしまってはいけない」とも話す。「それは違う、と感じたときに、ちゃんと違和感を持つことも大事」。日本社会の中にも地域やコミュニティによる多様性があり、すべてが同じではないと気づいた。
「この社会に馴染むということは、ただの妥協じゃない。自分の価値観を守りながら、どうすれば心地よく生きていけるか。そのバランスを探すことが何より大事なんだと思う」。