「台湾との断交・北京との国交樹立を決断」カーター元米大統領死去  習近平の主張『太平洋は中米両国を受け入れられるほど大きい』に同意

カーター元米大統領が逝去、享年100歳。生前「台湾との断交」という重大な決断を下した。(写真/AP通信)
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2024年12月29日、カーター(Jimmy Carter)元米大統領が自宅で安らかに逝去した。享年100歳。カーターは冷戦期の最後の重要な政治家であるだけでなく、米国史上最長寿の大統領でもある。

退任後、国際人道支援と調停活動によりノーベル平和賞を受賞し、様々な行動で後世の米国外交戦略の展望に影響を与えた。

しかし、台湾に対するカーターの重要な影響を語るなら、必ず1979年の台湾放棄を決断した時点から始めなければならない...『風傳媒』がここで振り返る。

ピーナッツ農家から大統領へ:カーターの政治的台頭はどれほど「幸運」だったか?

多くの人々のカーター初期の経歴に対する印象は「ジョージア州のピーナッツ農家」に留まっている。ホワイトハウス入りする前は、上院議員を1期と州知事を1期務めただけだ。1970年代、OPECが引き起こした世界的な石油危機により、米国は高インフレと深刻な失業の泥沼に陥り、カーターの威信も打撃を受けた。

しかし、まさにこの不確実性に満ちた雰囲気が、「政治素人」というイメージで対立候補を打ち破る機会を与え、1976年の大統領選挙で予想外の勝利を収めることができた。

人権の名の下に:カーターの「道徳外交」はどこまで進めるのか?

カーターは自由(理想)主義を行動方針とすることを自負し、道徳的価値と人権保護を支点とすることで、米国の国際的影響力を最大限に発揮できると考えた。彼の政権は、地政学的理由で人権を犠牲にすることはないと宣言し、人権侵害を行う政府への経済的・軍事的支援を削減して、方針転換を迫るとまで述べた。

しかし、現実はそれほど単純ではなかった:ニカラグアの独裁者ソモサ(Anastasio Somoza Debayle)などのケースでは、米国はむしろこれらの強権政権を支持し、共産主義勢力の台頭を阻止することを選択し、人権基準の実際の運用において「選別」の柔軟性が存在することを示した。

北京との国交樹立、台湾の放棄:これは純粋な地政学的計算だったのか?

カーター在任中の最も議論を呼んだ外交政策の一つが、中華人民共共和国との正式な国交樹立でした。そして1979年1月1日に速やかに「中華民国」との公式関係を終結させました。この行動は米国のソ連包囲網の一環とみなされましたが、台湾は突如として長年の後ろ盾を失い、大きな衝撃を引き起こした。

実際、カーターは晩年、中国との国交樹立はアジア地域の安定促進に有益だったと述べ、台湾が民主化への道を進んだのは、米国が国民党政権を過度に「保護」しなくなったことが一因だとも示唆している。

この見解に対して、外部の評価は分かれていますが、カーターが地政学的計算において、より大きな協力相手を選択したことは否定できない。 (関連記事: 論評:司法判決は道徳的裁きではない、7000万台湾ドルの保釈金は誰を破壊できるか? 関連記事をもっと読む

中国人民の旧友?カーター晩年の対中姿勢は依然として鮮明

退任後も、カーターは北京との対話を続けた。彼が設立したシンクタンクと財団は、長年米中交流を推進。