複数のモンゴルメディアが報道しているように、モンゴル外務省は2025年6月に情報総局の元局長であるフールツ(Bat Khurts)を新しい駐台代表に派遣する予定であるが、フールツはヨーロッパでの人権記録が劣悪である。国連人権理事会はこの人物をモンゴルの国連官員に任命することを二度拒否した。また、彼は人員の強制連行越境に関与した疑いで、ドイツ政府により国際手配され、イギリスで拘留された。実際、これはモンゴルが台湾外交に対して行った初めての「小さな動き」というわけではない。2024年に台北駐ウランバトル代表処が行う予定だった国慶酒会は、「ペスト」問題でキャンセルされた。
フールツがヨーロッパでモンゴル人を拉致した過去
フールツはかつてモンゴルの反腐敗部門副部長を務め、2014年から2020年にかけてモンゴル情報総局の局長に昇進した。最も論争を呼んだ行動として、2003年5月15日にフランスで保護を求めていたモンゴル国民ダミラン(Enkhbat Damiran)がフランスのレストランの外でフールツにより拉致され、無断でベルギーの首都ブリュッセルに連行された後、モンゴルのドイツにある大使館に「密輸」された。
外部メディアの当時の報道によれば、ダミランはモンゴル大使館で短期間拘留された後、その年の5月18日に薬を飲まされ、車椅子でモンゴルの航空便に乗せられ、首都ウランバートルへ送られたという。ダミランはウランバートルに戻った後に拷問を受け、その過程は国連人権理事会によって記録され、フールツの大きな汚点となった。ドイツ政府は国際手配を行った。

「アムネスティ・インターナショナル」が2003年12月5日に発表したニュースリリースによれば、ダミランは1998年頃から2003年に拉致されるまでフランスで暮らしていたという。2003年5月15日、モンゴル情報人員は彼を違法に拘束し、薬を投与し、暴力を振るったとされている。
ダミランはモンゴル当局により、一名の政治家の殺害に関与したとして、強制送還された。アムネスティ・インターナショナルは当時、ダミランがウランバートルの情報総局(GIA)の本部で数日間単独で拘束され、殺害事件への関与を認めるように強要されたが、成功しなかったと指摘している。
2010年9月、フールツはロンドンを訪れたが、ドイツ当局が発行した「ヨーロッパ逮捕令」に基づき、着陸直後にイギリス当局に逮捕され、ロンドンの刑務所に収監された。 モンゴル政府は当時、フールツをロンドンに誘い込んで逮捕したとして、イギリスを非難した。その後、フールツはダミランの拉致容疑でイギリスの刑務所に収監された。モンゴル政府はこの拉致事件についてフランス、ドイツ、ベルギー各国に謝罪した。

メルケル訪問で釈放される
フールツの逮捕後、一時はモンゴルとイギリス政府間の緊張を招いた。その後、フールツは2011年にドイツに引き渡され、「拉致」の罪で指名手配されていた。 2011年9月、ドイツの当時のメルケル首相がモンゴルを訪問する三週間前にドイツはフールツの告発を取り下げ、彼は釈放されモンゴルに帰国した。
しかし、フールツは公職を離れた後、モンゴル国民への拷問に関与していたため、2020年に拷問や拉致など人権侵害の罪でモンゴル最高裁判所から三年の刑を言い渡された。
フールツが自由を取り戻した後、新たにモンゴル国の駐台代表として提名され、台湾におけるモンゴルの最高責任者として、モンゴル国内では世論の批判を受けている。
最近、2024年10月8日にウランバートルのホテルで実施予定だった駐モンゴル代表部の国慶酒会が「ペスト」を理由にモンゴル当局によって現場が封鎖されたこともあり、台湾とモンゴルの関係に対する懸念が高まっている。これに対し、外交部は昨年10月22日の記者会見で記者の質問に答え、「外交部はこの件を非常に重視しており、10月8日に事が発生した直後にモンゴル側に厳重な関心を表明し、慎重に対処するよう要求した。現在、我々はモンゴル側からの正式な回答を待っている。」と述べた。
編集:柄澤南 (関連記事: ロシア、台湾を敵対国家として列挙 台湾外交部:民主主義国家と共にウクライナ支援を継続 | 関連記事をもっと読む )
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