外交部では、海外駐在地の人事異動が相次いでいる。最新の異動は5月21日に行われ、行政院が駐インド代表の葛葆萱氏を外交部の常務次長に昇任させることを承認。これにより、現職の常務次長である陳立国氏は、駐チェコ代表に転任することになった。また、現在チェコに駐在している柯良叡氏は台湾に戻り、研究デザイン会の主任に就任する予定だ。
その一方で、総統府は5月19日、3件の人事を発表。注目を集めたのは、民進党前立法委員の林昶佐氏が駐フィンランド代表に任命され、台湾海洋大学法政学院教授の江雅綺氏が駐英公使に就任するという内容だった。この2人の起用には、外交の専門性や実務経験の不足を指摘する声が上がっており、とりわけ江氏の博士号にまつわる過去の論争が再び取り沙汰されている。
海外駐在は多くの外交官にとって憧れのポストだ。そのため、頼清徳総統が総統命令によって林氏や江氏を特任したことについては、「基層の士気を下げる」「事務官の昇進機会が圧迫される」といった懸念も出ている。こうした声に対し、外交部長の林佳龍氏は「駐在人事はすべて法に基づいて行われている」と説明。「異動を希望する人がいれば知らせてほしい、夢を叶える手助けをする」とも語った。現在、台湾の特任大使は計18人、政務公使は8人であり、『駐外外交領事人員任用条例』の規定に沿っているという。
林氏と江氏の任命は、林佳龍氏と頼清徳氏が緊密に連絡を取り合いながら決定したものだ。批判を受けながらも政権が彼らをヨーロッパに送り出すことにこだわる背景には、どんな戦略的意図があるのだろうか。
頼清徳政権は林昶佐氏・江雅綺氏を大使級ポストに任命したが、これが現場の士気を損なうとの声も。写真は外相・林佳龍氏。「希望があれば誰でも相談してほしい、夢をかなえるお手伝いをする」と語った。(柯承惠撮影)
メタルの聖地フィンランドに「巨星」林昶佐氏を派遣 林昶佐氏の駐フィンランド代表への特任は、国内では議論を呼んでいるが、海外メディアはまた違った反応を見せている。『ニューヨーク・タイムズ』のワシントン特派員は彼を「適任」と評価。ニューヨーク・ブルックリンのメタル専門誌『Metal Injection』も、「スカンジナビアの大使を務めるならメタルバンドのメンバーであるべき」と好意的に紹介した。
過去には国家台湾交響楽団の劉玄詠氏が駐オーストリア代表に任命されたが、今回の林氏の人事は、林佳龍氏が掲げる「総合外交」の実践でもある。なお、駐フィンランド代表処は外交システム上では「冷衙門(人気がなく重要性が低いとされるポスト)」とされており、フィンランドは台湾人駐在希望地としては人気が低い。実際、台湾とフィンランドの交流は活発とは言えず、貿易や観光も目立った数字は出ていない。交通部観光局の統計では、過去10年間にフィンランドを訪れた台湾人は1万946人にとどまり、北欧5カ国中で3番目。比較として、同時期にドイツを訪れた台湾人はその約60倍、フランスでは約45倍にのぼる。
2024年10月、総統府は国立台湾交響楽団の劉玄詠氏をオーストリア駐在代表に任命。劉氏はかつてオーストリアに留学経験がある。(写真/AP通信)
「冷衙門」フィンランドで新たな同盟構築を目指す林昶佐氏 とはいえ、ここ数年で台湾とフィンランドの関係は着実に深まっている。フィンランド外務省は2021年6月に『対中政策白書』を改定し、それまで外交戦略の中核としていた「一つの中国政策」について再検討を始めた。さらに、2019年にはフィンランド国会の法制委員長Ville Tavio氏が、台湾の世界保健総会(WHA)参加を公の場で呼びかけ、2020年には投資促進に関する覚書を署名。2025年2月には航空サービス協定も結ばれた。
また、2023年2月にはフィンランド国会の台湾友好グループがコロナ禍後に初めて台湾を訪問。その後も毎年、国会議員の訪問団が来台しており、関係強化の流れは続いている。
北欧諸国は一貫して人権や普遍的価値を重視している。今回の林氏の派遣には、価値外交の深化とともに、冷衙門とされるフィンランドにおける新たな前線構築という任務もある。欧州連合(EU)は、すでに国連総会第2758号決議が台湾を言及対象としていないと表明しているが、フィンランド政府はまだこれに関する明確な発言をしていない。中国による法的圧力が強まる中、林氏にはフィンランドを台湾支持へと引き寄せる外交的責任がある。
さらに2024年11月には、バルト海の海底ケーブルが破壊される事件が発生。これが澎湖や馬祖の海底ケーブル断裂事件と手法が類似しており、インフラ保護が国家安全保障上の重要課題となっている。こうした情勢の中、林氏の任務は単なる外交にとどまらず、将来の台湾・フィンランド間の安全保障対話の基盤を築く意味合いも持っている。
台湾の人気バンド「閃靈」ボーカル、林昶佐(Freddy)氏がフィンランド駐在代表に任命。ヘヴィメタルの聖地での異色人事に注目が集まっている。(Facebookより)
海底ケーブルで進む「冷戦」 民進党会議で江雅綺氏が報告 頼清徳氏も警戒感 海底ケーブルをめぐる問題では、英国がロシア船による疑わしい動きを警戒している。西北ヨーロッパやその周辺の海域で、海底ケーブルを含む水中インフラの周辺にロシア船が頻繁に出没しており、英国議会は2025年1月下旬に調査に乗り出した。
2025年3月28日には、英国駐台代表のルース・ブラッドリー・ジョーンズ氏が台湾入りし、総統府で頼氏と面会。デジタル分野における台英間の補完性や協力の可能性に触れ、「英国のデジタルレジリエンスは台湾から多くを学べる」と話した。英国政府も2025年4月に新たな「ネットワークセキュリティとレジリエンス法」の策定を開始し、デジタルインフラや重要基盤の保護を含めた法案を年内に議会へ提出する方針を示している。
現在、台湾海洋大学で教授を務める江氏の研究は、英国が掲げる政策目標と一致する部分が多いという。外交筋によれば、江氏が駐英副代表に相当する公使に任命された背景には、こうした台英間の共通課題があると見られ、今後は海底ケーブル関連での交流や経験共有が進むことが期待されている。
江氏自身も「英国への留学経験から特別な思い入れがある」と語り、今後もデジタルガバナンスやレジリエンス、セキュリティといったテーマで尽力し、台湾と英国の関係をより一層深めていきたいとの意欲を示している。
中国による海底ケーブル切断が国際的な安全保障の課題となる中、外交部は江雅綺氏の専門性を生かして英台交流の強化を期待。写真は台澎間の海底ケーブル断裂現場付近で確認された中国資本の貨物船「宏泰168」。(海巡署提供)
博士号に疑義? 江雅綺氏の学歴めぐり劉靜怡氏が疑問呈す 江氏はデジタル政策に関する専門家として知られているが、その博士号をめぐって過去に学術倫理の問題が指摘されている。2025年5月19日、江氏の人事が発表された後、台湾大学国家発展研究所の所長であり中央研究院の研究員でもある劉靜怡氏は、「これは今年最大の驚きの外交人事」とコメント。5日間で40件以上の投稿を通じて、江氏の学位表示に関する疑念を投げかけた。
実は、江氏が「社会科学博士」として取得した学位を「法学博士」と称して約10年間登録していたことが問題視され、当時の学術倫理案件審査小組で召集人を務めたのが劉氏だった。法律系の教授ら7人による初審では全会一致で「処分すべき」との判断が出たものの、後の再審では「法律を学んでいれば法学博士と称して問題ない」との意見が強く出され、1票差で処分案が否決された。結果、処理ガイドラインが定める「3分の2以上の同意」という条件を満たさなかった。
台大国際関係学部長で中研院研究員の劉靜怡氏(通称「劉大砲」)は、江雅綺氏の外交任命にたびたび疑義を呈している。(写真/柯承惠撮影)
「学位の書き間違いが10年も続くなんて…」劉氏が追及 江氏は2012年に英国のダラム大学(Durham University)で博士号を取得。その後、台湾では世新大学法学院の助教授を経て、2022年から台湾海洋大学で教鞭をとり、2023年には教授へ昇進した。 これまでに文化部や国家発展委員会の顧問、情報通信研究所のプロジェクト相談員、台湾電力や中央通信社の取締役、さらに政府系の審議委員などを歴任してきた。
公的機関は、江氏の専門性と職歴を評価して採用したと強調しているが、もしも学歴を偽っていたとすれば、倫理面で深刻な問題を抱えることになる。劉氏は「外交官には専門性だけでなく、高い倫理観が必要。中国の工作に取り込まれるリスクもある」と指摘。
さらに、「自分が取得した学位の所属学部を知らない人がいるだろうか? ましてや、学位の名称を10年も『間違えて書いていた』と主張するなんて、どんな意図があるのか」と批判を強めた。
外交官は国家を代表し、安全保障の最前線に立つ存在。専門性と品格が強く求められる職務である。(写真/柯承惠撮影)
江氏「博士論文の内容は一貫して法学」 大学側の書簡も提示 その声明は2021年4月に公表されたもので、博士課程の終盤でリーズ大学の法学院からダラム大学の応用社会科学院に籍を移したと説明。その際も研究テーマは変わらず、指導教授も法学分野の専門家で、口頭試問も法学教授が担当したとした。そのため、「登録が社会科学部であったとしても、法学博士としての訓練を受けており、社会学博士とは称せない」と述べている。
さらに江氏は、これまでにすべての場面で卒業証明書類を正規に提出しており、「学歴詐称や隠蔽は一切していない」と主張。指導教授の推薦書やダラム大学法学部長の公開書簡も公開しており、「あなたの博士号を法学博士として見なすこと、法学部職への応募資格について、問題はないと考えている」との内容が記されていた。
英国は外交の要所。江雅綺氏の博士学位をめぐる議論は、彼女の駐英任命前から物議を醸していた。(AP通信)
学歴に“混乱”? 江氏の博士号記載に不正の疑い、国科会は「依然として問題あり」 江氏が取得した博士号の証書には、「社会科学と健康学院が授与した博士(PhD awarded in the Faculty of Social Sciences and Health)」と記されている。彼女は2012年にイギリスのダラム大学・応用社会科学部を卒業しており、当時の法学部も同じ「社会科学と健康学院」に属していた。
ダラム大学では社会科学系と法学系の博士号は同じ枠組みで授与されるため、学位証明書に大きな違いはないとされる。『風傳媒』は、2013年にダラム大学で法学博士号を取得した世新大学・科傳法センター主任の翁逸泓氏に取材。翁氏は江氏の学歴を巡る疑念については知らないとしながらも、自身の博士号にも同様の記載があると語った。ただし、江氏が自身の卒業学部を明示せずに「法学系」として表記していた点には、説明不足との指摘が出ている。
こうした経緯がありながらも、学術倫理を審査する委員会では博士号の捏造とは認定されなかった。しかし、国家科学技術委員会(国科会)は2022年6月、江氏が最優等学士の学歴記載欄に「法学院」と記入していたことについて、事実とは異なると判断し、「依然として問題がある」と認証した。総統府が人事命令を出す前に、すでに外交部はこの状況を把握していたとされる。
江雅綺氏の学歴については、学倫審議で偽造は成立しないとされたが、国科会は2022年に学歴記載に不実があったと認定している。(写真/陳明仁撮影)
疑念相次ぐも、外交部は江氏の説明を全面的に支持 江氏の博士号に関する問題が報じられて以降、外交部は人事を再検討するかどうかについて明確な立場を示していない。ただ、これまでの対応を見る限り、外交部は江氏の説明をそのまま受け入れている様子がうかがえる。
外交部は『風傳媒』の取材に対し、江氏の学歴問題について、本人がすでに説明していること、さらに英国の指導教官および法学院長の説明があったこと、そして2022年6月26日の科学技術部のプレスリリースで詳しい説明がなされており、博士号の偽造は成立せず、学術倫理上の問題にもならなかったと述べた。
また、国科会は2025年5月21日、改めて江氏がダラム大学の博士号を所持していることを明言しているという。
江雅綺氏の博士号に関する疑念が浮上する中、外交部は本人の説明をおおむねそのまま受け入れている姿勢を見せている。(写真/鍾秉哲撮影)
外交官に求められるのは「専門性と品格」 江氏は予定どおりロンドンへ こうした中で、民間からは疑念の声がやまず、劉靜怡氏は林佳龍氏が進める「総合外交」が「詐欺外交」になっていないかと疑問を呈している。
過去には外交部が任命人事を撤回したケースもあるが、今回の江氏に関しては、外交部と総統府はすでに方向性を定めており、江氏は2025年8月下旬までにロンドンの駐英代表処に赴任する予定だ。
外交部は、江氏の任命について「外交政策および総合業務の必要性、本人の経歴と専門性を考慮して決定された」と説明しており、今後は駐英代表の姚金祥氏を補佐し、台湾とイギリスの経済交流を推進する意向を示している。
ただし、外交官が海外に駐在するということは、現地で台湾を代表する立場となることを意味する。そのため、誠実さや品格といった人間性も外交の中核的な能力とされる。江氏が副代表として、台湾の国家イメージをどのように体現していくのか、その力量については、現場の外交官や国民の間でも意見が分かれている。