社説:賴清德の「民主主義」は狭すぎる

賴清德總統1日以「以民主厚植國力,迎向世界新局」為題,發表新年談話。(顏麟宇攝)
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賴清德総統は元旦の演説で、3000字を費やし「民主主義で国力を強化し、世界の新時代に向かう」というビジョンを語っている。その構想は壮大だが、残念なことに賴清德の目に映る、そして口にする「民主主義」はあまりにも狭く、かつての民進党、さらには賴清德自身の過去の姿勢とも矛盾している。さらに遺憾なことに、2024年の一年間賴清德が最も損なってきたのはまさに「民主主義」だった。

年越しの10日前、賴清德は立法院が可決した「公職選挙罷免法」「憲法訴訟法」「財政収支区分法」の3法改正案に否定的な見解を示し、「民主国家の権力分立の原則を没収し、民主国家における人民主権の真髄に背く」と述べ、「民主主義の紛争は『より大きな民主主義』で解決すべき」と主張。多くの人々が疑問を抱いた。民主主義は民主主義であり、大小の区別があるのだろうか。

10日後、その謎は解けた。賴清德は「国内の政治的対立は、憲政体制内で、民主的な方法に従って」解決すべきと強調し、例えば、行政院には再議請求権があり憲法裁判所の判決を通じて、さらには「人民には選挙・罷免・創制・複決の権力があり、より大きな民主主義の力を結集し、主権在民の真髄を示すことができる」と述べてた。賴清德は控えめな言い方をしているが、「多数の民意」(立法院)に対する態度と手順を完全に示している―再議・違憲審査・罷免・あるいは住民投票である。国家指導者がこのような立場を取れば、立法院の民進党団が戦いの太鼓を鳴らし続けるのも無理はない。これは政治的対立の解決ではなく、次の選挙の号砲を早めに鳴らすようなものである。

再議請求は無駄、罷免は混乱、違憲審査は「全滅」

再議請求・違憲審査・罷免、あるいは住民投票は確かに憲政のメカニズムである。しかし、賴清德の問題は「より大きな民主主義」ではなく、議会における「多数派の民主主義」という政治的現実を直視しようとしないことにある。民進党はすでに総統に公布を要請した「憲法訴訟法」に対して再議請求を行うと表明しているが、民進党の議席数では再議請求は必然的に否決される。後に公布要請される「公職選挙罷免法」「財政収支区分法」も同様である。行政院の立場を表明する以外、民進党にとって再議請求は無駄な一手に過ぎない。しかし、この無駄な一手を打ってこそ違憲審査を請求できるという、これは単なる通過儀礼である。 (関連記事: 岩屋外相の「冷静な現実論」 日台関係の真相を探る ~本田善彦・ジャーナリスト~ 関連記事をもっと読む

しかし、憲法裁判所は死刑廃止実質化と国会改革法案という二つの重要判決を経て、大法官に対する社会的信頼はほぼ崩壊している。そのため「憲法訴訟法」改正案が提出され、賴清德が指名した7人の大法官候補者が「全滅」する結果となった。大法官候補者の「全滅」は、民進党陣営の内部分裂にも起因している。大法官の半数が賴清德と民進党という「二重の少数派」の刀を持った従者として続投しようとしても、誰もそれを止められないが、それは半分の憲法裁判所をさらなる嘲笑の的にするだけである。多数の民意の承認を得られず、多数の国民感情に合致しない憲法判決が、どうやって「憲政秩序を維持」できるのだろうか。