待望の瞬間が訪れた。半導体業界において世界的な影響力を誇るNVIDIAのジェンスン・フアン(黄仁勳)CEOが、台湾を訪問。ワールドユニバーシティゲームズでは聖火ランナーを務め、注目を集めたが、メディアや産業界の関心は別の点に集中していた──同社の海外本部の設置場所である。
5月19日、黄氏はNVIDIAの台湾本部を台北市北投・士林エリアに設置する方針を表明。正式な所在地は明言を避けたものの、「北士科(士林北投科学園区)」が有力視されている。
黄氏は会見で「この台湾本部を“星群”と呼ぶことができる。以前から候補地を探していたが、どの市長も非常に協力的だった。結果として非常に良い取引ができた」と述べた。一方で「ちょっと高かったが…」と冗談交じりに語り、台北市の一等地であることをほのめかした。
では、激しい誘致合戦の中で、台北市はどのようにしてNVIDIAを引き寄せたのか。

AI産業のリーダー NVIDIAが海外本部をどこに設置するか、世界の注目が集まっている(写真/劉偉宏撮影)
NVIDIAを巡る争奪戦、台湾各地が動く
2025年1月、米ラスベガスで開催された「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」において、黄氏は「2025年上半期に2度台湾を訪れ、海外本部の設置地を決定し、同年のComputexで発表する」と明言。この発言が各地方自治体を巻き込んだ“争奪戦”の火種となった。
経済部の郭智輝部長は、NVIDIAが求める選定条件を次のように明かしている。「少なくとも3ヘクタールの土地が必要」「高い専有率が確保できること」「建物は3階建ての低密度が望ましい」。NVIDIAはすでに台北と新竹に拠点を構えているが、それはいずれも本部機能であり、工場や研究施設ではない。こうした条件が示された後、台北市、新北市、彰化県、桃園市などが名乗りを上げた。

NVIDIAは約半年前、台湾への本部設置を発表。全国の自治体が、CEOのジェンスン・フアンにアピールを続けてきた。(写真/劉偉宏撮影)
新北・桃園も“極秘オファー”で勝負
新北市は林口、新店の両地区で3ヘクタールを超える候補地を提示。侯友宜市長自らがビデオ会議に出席し、誘致に力を入れた。桃園市も複数の候補地を挙げた結果、最も競争力があると見なされたのが、高鉄桃園駅に近いA19駅にある「アジアシリコンバレー・イノベーションリサーチセンター(亜シリコン創)」であった。
桃園市の関係者によれば、同エリアには複数の強みがある。第一に交通利便性。高鉄桃園駅(A18)から1駅、空港からも約10分と好立地。第二に、土地の所有権が明確で、市政府が保有しているため、契約手続きがスムーズである。第三に、AI関連の産業クラスター。台湾のNVIDIA関連43企業のうち、22社が桃園市にあり、AIサーバーの最大生産地でもある。さらに、地盤が安定しており、地震のリスクも比較的低い。

NVIDIA誘致に向けて、新北市の侯友宜市長(左)と桃園市の張善政市長(右)も全力を尽くしたが、最終的に台北市の蔣萬安市長(中央)が勝利した。(写真/顏麟宇撮影)
台北市が勝ち取った理由──情報漏洩に極秘命令
それでもNVIDIAは、最終的に台北市士林・北投地区を選んだ。士北科を最初に提案したのは地元議員の張斯綱氏。台北本部の既存オフィスが市内にあることもあり、生活圏の変化が少ないことが決め手の一つとなった。また、士北科は天母・石牌エリアに隣接し、外国人が多く住むエリアである点も好都合だった。米国人学校や日本人学校もあり、生活利便性が高い点も評価された。
張氏は以前から士北科の利点を訴えていたが、台北市がこの件を半年にわたり極秘に進めていたため、自身も報道で知ったという。台北市政府は情報漏洩を防ぐため、極秘命令を出し、関係者に口外を禁じた。違反した場合は解雇処分となる厳しい規定が設けられていたという。交渉を担当した李四川副市長も、一切口を閉ざしたままだ。

台北市政府はNVIDIA誘致のため、李四川副市長(写真)を中心に極秘の専門チームを立ち上げていた。(写真/顏麟宇撮影)
極秘プロジェクトチーム、全方位支援で誘致成功
関係者によれば、交渉は蔣萬安市長が自ら黃氏とメールでやり取りを行い、即時対応を続けたという。「黃仁勳氏はトランプ大統領が直接会談するほどの人物。台北市の代表として交渉できるのは蔣市長だけだった」と話す。
ただし、蔣市長の公務は多忙を極めており、単なる土地の提供だけではNVIDIAの要求を満たせないと判断。李四川副市長の下に5〜8名から成る極秘プロジェクトチームが編成され、工場建設に伴う法規制、周辺交通、都市計画などを網羅的にサポートする体制が整えられた。市政府として、社員の生活のみならず、企業運営全体を見据えた提案を行い、台北が選ばれた背景にはこうした努力があった。
なお、台北市は士北科以外にも、中山北路の花博園区、松山空港南側の松南營區、新通航聯隊、富錦營區などを候補に挙げていた。しかし、それぞれに課題があった。たとえば花博園区には台湾の重要文化財である「円山遺跡」が存在し、開発には文化財保護の観点から困難が伴う。松南營區は軍との調整が必要であり、開発には高いコミュニケーションコストが想定された。

NVIDIAと台北市の交渉は、蔣萬安市長がCEOのジェンスン・フアンと直接やり取りする形で進められた。(写真/柯承惠撮影)
土地問題は未解決、新光金との交渉が焦点に
黃氏は本部設置場所について「士林・北投」と言及したものの、市政府側はT17・18ブロックが含まれるかどうかをまだ明言していない。今後は、この地域に地上権を保有する新光金控との交渉が焦点となる。
金融業界の関係者は、交渉の可能なシナリオとして次の三つを挙げている。第一に、新光金が市政府との既存契約を自発的に解除したうえで、その土地をNVIDIAに移転する案。第二に、台北市政府が行政的な調整を行い、新光金に協力を促す案。第三に、新光金が自社でビルを建設し、完成後にNVIDIAに賃貸する形で、市政府が間接的に支援する案である。
これらの選択肢はいずれも交渉の難航が予想されるが、特に新光金が一度取得した土地の権利を手放すことは容易ではない。ただし、金融業界の内部関係者によると、新光金側は必ずしも台北市の政策に強く反発しているわけではなく、実際にはかつて成功を収めた新板特区(板橋エリア)のモデルを再現したい意向があるという。そこでは高級ホテルや健診センター、岩盤浴・炭酸泉施設などを備えた全年齢対応型の複合施設が事業として成立しており、同様の展開を望んでいるとされる。
ただし、新板特区はすでに発展が進んでいるのに対し、新光金が2021年に約50億元(約240億円)を投入して取得した士林の土地は、依然として未開発のままであり、期待との乖離が課題となっている。

新光金控は北士科エリアのT17・T18に50年間の地上権を保有しており、NVIDIA本社の進出にはこの障壁を乗り越える必要がある。(写真/顏麟宇撮影)
本社誘致の先に見据えるのは、新体制との連携の行方
関係筋によれば、ここ数年の建設資材価格の高騰により、当初の建設費見積もりを大幅に上回る可能性が出てきている。試算によれば、1棟あたりの建設費は100億元(約480億円)を超える見通しであり、T17・18両地を含めた総投資額は150億元以上(約720億円)に達する可能性がある。すでに新光グループは新光金の支配力を失っており、こうした状況下での大規模投資には財務的な再検討が不可欠となる。
最大の不確定要素とされるのが、いわゆる「奇摩子」問題である。2024年8月22日、台新金控と新光金控はそれぞれの取締役会において、株式交換を通じた合併案を正式に承認し、合併後は「台新新光金融控股有限公司」と社名変更することが発表された。これは事実上、台新金が新光金を買収する形であり、今後の経営権は台新側が握る可能性が高まっている。
このため、NVIDIAの台湾本社設置を巡る協議の相手先が、従来の新光金から台新金へと変化する可能性がある。一方で、企業経営においては「イメージ」や「社会的評価」が重要視されることもあり、台北市政府としてはそうした側面を利用した交渉余地を残しているとも見られている。