台湾在住の中国籍配偶者である 「 亜亜 」( 本名: 劉振亞)は、台湾政府により「武力による統一を扇動した」として居留許可を取り消され、出国命令を受けた。3月25日夜、彼女は台湾を離れた。
メディアの報道が徐々に収束しつつある中でも、この事件の波紋は止まらなかった。特に、中央研究院の陳培哲院士をはじめとする76名の各界人士は3月26日、「台湾の民主法治と平和安全を守る声明」を発表し、「亜亜 事件」は台湾の言論自由が急速に圧迫されつつあることを示す象徴的な出来事だと警告した。
民粹化する言論空間、日台で共通する世論構造 「 亜亜 事件」は、言論の自由、国籍・身分の境界、国家認同という三つのテーマが交錯するものであり、両岸関係の緊張を背景に、台湾社会内部の不安と対立をあらわにした。この論争は日本の世論にも波及し、東アジアの地政学的連関と日台が共有する認知構造を反映するものとなった。
亜亜 は中国帰国後、4月上旬に中国国営メディア『環球人物』のインタビューに応じ、台湾で子どもたちが出自と立場のために学校でいじめを受けたことを語った。また、ネット上での「中国に戻っても歓迎されない」との噂を否定し、「台湾独立は死路だ」と強調した。これに対し、台湾の大陸委員会は、彼女の発言は今後の再入境審査に影響する可能性があると回答した。
5月13日、亜亜 は数日間の沈黙を破って中国の動画プラットフォームTikTok で復活し、新たな動画で、 台湾内政部長の劉世芳による「政治的迫害」を訴え、「台湾には中国人を中国の土地から退去させる資格はない 」と主張した。これに対し劉世芳は、「武力統一を主張すること自体が違法であり、法に照らして曖昧な余地はない」と反論した。統独の対立と主流イデオロギーの言説支配、さらにはネット上の側翼による煽動の中で、亜亜 事件は一挙一動が過剰に反応され、感情的な論争へと発展している。
中国出身の配偶者「亜亜」が動画を通じて訴えたのは、「内政部長の劉世芳氏が公権力を使って異議者を弾圧し、台湾から退去させた」という政治的迫害である。これに対し劉氏は14日、「台湾は法治と民主の国であり、『武力統一』を主張することは両岸人民関係条例に違反する。法に基づき厳正に対処し、曖昧な余地はない」と反論した。(資料写真/顏麟宇撮影)
「反中」ナラティブに陥ることの危険性 4月12日、東京を本拠とするニュースサイト『東洋経済』は、日本のジャーナリスト 早田健文 氏による長編報道を掲載し、 亜亜 事件の詳細と多様な視点を丁寧に紹介した。筆者は、 亜亜 の発言の対象は中国本土のフォロワーであり、台湾社会への攻撃ではなく、民進党政府の対中政策に対する不満の表現だと説明。彼女に対する台湾社会の反発は、台湾内部の差別意識や分断を露呈させたとも述べた。
「言論の自由なき民主主義は成立しない」との指摘 早田氏は『中国時報』の記者・ 周毓翔 氏の「国安上の措置は理解できるが、言論の自由は民主国家の根幹だ」とのコメントを引用し、「台湾問題を考えるにあたり、日本人読者は自らの価値判断や好き嫌いを排しなければならない。そうでなければ、反中感情をベースに『正義vs悪』の構図に陥り、台湾を都合よく理解したつもりになってしまう」と警鐘を鳴らした。
北一女子高校の国語教師・区桂芝氏が先日、中国国際テレビ(CGTN)のインタビューに応じ、総統・頼清徳氏が中国を「境外の敵対勢力」と定義したことに対し「良心はどこにあるのか」と批判したことが物議を醸した。その後、市民から相次いで「教育の中立性に反する」「教員として不適任だ」との通報が寄せられている。(資料写真/張鈞凱撮影)
この報道は、日本の台湾観に一石を投じたが、その直後、在台日本作家・栖来光氏が早田氏のFacebookにて「偏った報道であり、日本読者を誤導している」と批判を投稿。しかし、具体的な誤りを指摘できず、最終的に投稿を削除し、議論相手をブロックした。 その後、議論の舞台は『東洋経済』内部に移り、台湾籍の編集者がX(旧Twitter)で「早田氏はすでに独立性を失った『中国時報』を引用した」と非難。「私が編集者ならこの記事は差し戻す」とし、日籍の台南在住講師もこれに同調。「この報道は中国の認知戦や武力の脅威を無視し、国民党の主張に近い」と批判した。
「言論の自由」と「中国の脅威」のはざまで 『東洋経済』は多元的視点の提供を目的に、4月18日、東海大学政治経済学部の 平井新 特任講師による反論記事を掲載。平井氏は台湾の自決権を尊重すべきとしつつも、「言論の自由には限界がある」とする「寛容のパラドクス」を取り上げ、台湾が中国からの圧力と深刻な浸透にさらされている現実を指摘し、これに対抗するために台湾政府が「頼17条」を打ち出し、「亜亜 」氏に対して法的措置を講じたのは、政治的権限に基づく必要な対応であったとの見解を示した。
また、現在は台湾・新竹の国立清華大学で教鞭を執り、 台湾社会でも広く知られている日本人学者・小笠原欣幸 氏も、この一連の議論に加わっている。彼の論考は5月8日付で『東洋経済』に掲載された。記事中では「亜亜 」の名前こそ登場しないものの、著者は「武力統一」への明言を避けつつ、中国による「認知作戦」に強い警戒感を示している。小笠原氏は、「日本人もまた無意識のうちに中国の情報戦の担い手となり得る」と指摘し、「台湾社会に動揺をもたらす情報戦に巻き込まれないためには、判断力を磨き、自らの立ち位置を見極めることが、平和を愛する日本人に求められる姿勢である」と論じた。
同様の見解は、東京大学大学院総合文化研究科の阿古智子教授が4月23日、『中国学.com』に寄稿した記事にも見受けられる。阿古氏は、「亜亜 」事件と、作家の龍応台 氏が『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿した「台湾にはもう時間がない」と題する論説とを結びつけた。表向きには「台湾有事」が現実味を帯びる状況下での言論空間について議論を呼びかけているものの、その文脈には「中国の脅威」に直面する中で、対話や和解を求める姿勢そのものが「自己検閲」によって形成されたものであり、「降伏主義」の色彩すら帯びているとの含意がにじむ。知識人でさえ、フェイクニュースや情報操作の影響を受けうることを示唆する内容となっている。
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作家の龍應台氏はこのほど『ニューヨーク・タイムズ』の寄稿依頼を受け、4月1日付で「台湾にはもう時間がない(The clock is ticking for Taiwan)」と題した記事を発表。米中台関係および台湾の将来の進路について論じ、「平和を確保しなければ、民主主義も成り立たない」と述べた。(資料写真/柯承惠撮影)
「日本から台湾に期待を押し付ける構図」 注目すべきは、平井氏・小笠原氏・阿古氏いずれの寄稿でも、 亜亜 事件を報じた早田氏の名前は一切登場しないことだ。だが彼らの主張は、早田氏が問いかけた「言論の自由の縮小」や「対中民粹の扇動」という本質的疑問に答えることなく、話題を「中国の脅威」「認知戦」にすり替えるものであった。
ある日本の関係者は、 『東洋経済』上で繰り広げられた 亜亜 事件の議論を振り返り、「多くの意見は一見説得力があるようで、実は論点がずれている」と指摘。平井氏の記事は「集合の号令」の役割を果たし、これまで沈黙を守っていた、台湾与党・民進党寄りの“サイド勢力”が安心して意見表明を始めるきっかけとなったと分析する。 すなわち、「亞亞事件」を通して、日本における台湾報道・論評における“製造チェーン”が浮き彫りになったとし、まず早田氏による中立的な視点が周縁化され、それに続いて「世論の方向性」が設定され、異論が排除され、あたかも一枚岩であるかのような印象が作り出されたと述べた。
台湾出身で現在日本に在住するYouTuber「玉山富士子 」氏も、かつては民進党を支持していたが、蔡英文政権への不満から批判的立場に転じたと明かす。亜亜 事件に関する日本の議論を追った彼女は自身の感想を述べ、 「多くの日本人コメンテーターは、民進党の言説を台湾全体の民意と混同している。反対勢力にはすぐ『親中』『裏切者』のレッテルを貼る。そのような態度こそ、自らの願望や期待を台湾に押し付ける典型例だ」と語った。
中国出身の配偶者・亜亜(劉振亞)氏は、台湾出国当日の3月25日午前、内政部前で記者会見を開いたが、大勢の市民に取り囲まれ、抗議を受けた。(張鈞凱撮影)
主流が正義? 異論封殺のメカニズム 日本の関係者は 続けて、「日本メディアの台湾報道は、基本的に民進党寄りで、政権に不都合な事実は報じない傾向がある」と述べた。彼によれば、こうした「世論操作の仕組み」は台湾のものと非常によく似ており、いわゆる「言論リーダー」たちはそれぞれに持ち場を持ち、誰かが最初に記事や見解を発信すれば、他の者たちがすぐに呼応して「主流論調」を形成するという。この日本の関係者は疑問を呈する。「主流であることが必ずしも正しいとは限らない。それが台湾社会の多数意見と一致しているとも限らない」と述べた。
平井氏の記事が掲載された時点で、この「仕組み 」は異論を封殺しようと機能し始めた。これは台湾でも同様で、 亜亜 事件を巡って多様な声が上がった際、大陸委員会は 亜亜 が中国軍演を紹介した動画を公開し、「議論する必要はない 」と表明した。
こうした政府からの「指示」は、実際に効果を発揮した。 亜亜 について語る際には「武力統一を唱える中国人妻(武統陸配) 」というレッテルで片付けられるようになった。例えば、4月24日に東呉大学法学部で開催された「亜亜 が去った後、言論の自由と国家安全保障のバランスをどう取るか」という討論会も、台湾社会に 大きな反響を呼ぶには至らなかった。台湾社会を駆け巡った「滾回去!(さっさと帰れ!)」の怒号は、こうしたメカニズムの中で既成事実となりつつある。