日本・台湾・オランダの多文化背景を持つ歌手Pey-ling、歌声でさらなる感動を届けたい

日本で活躍する歌手および作詞作曲家のPey-ling(ペイリン)。(黄信維撮影)

Pey-ling(ペイリン)は日本で活躍する歌手兼ソングライターであり、彼女のルーツは日本・台湾・オランダの多文化的な背景と、台湾先住民族アミ族の血縁ももつ。彼女は多様な音楽作品とライブパフォーマンスを通じて、聴衆に感動と共鳴を届け続ける。Pey-lingは《風傳媒》のインタビューにおいて、台湾の観客との交流機会をもっと増やしたいと語った。故郷の台湾・墾丁は美しい海が広がり、彼女の海に対する愛情とも一致する。将来、海洋関連の事業を展開したり台湾公演を行う際には、台湾の皆さんを招待し自身のパフォーマンスを楽しんでもらい、音楽の楽しさを共有したいと語った。

Pey-lingはインタビューの中で、音楽に触れるきっかけを振り返り、幼少のころから歌を歌っていたものの、3歳時の記憶はあまり覚えてないという。ただ、5・6歳の頃、家には海外アーティストのCDが多く、その中にはマライア・キャリーが含まれていた。彼女の歌を初めて聴いたとき「同じ人間の声なの⁉︎」という驚きと感銘を受け、英語で歌うことに興味を抱き始めた。英語も歌も当時はまったく理解できなかったものの、英語の歌を歌いたいという思いが芽生えていた。

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​日本で活躍する歌手・作詞作曲家のPey-ling(ペイリン)。(撮影:黄信維)

特に、マライア・キャリーの《Through the Rain》という曲は彼女にとって重要なインスピレーションであったそうだ。Pey-lingがステージ上で初めて歌ったのは6歳の時で、今でも鮮明に覚えている。その時、日本の曲を歌ったが、恥ずかしがり屋の彼女は当初ステージに立つことに抵抗があったものの、実際に歌い始めると非常に楽しく、観客からたくさんのお菓子をもらったことで特に興奮したと振り返った。

Pey-lingの祖母も台湾で歌手をしており、彼女に影響を与えている。祖母は自分が立ったことのあるステージに彼女を招待し、歌声を披露する機会を与えてくれたが、特別な指導はなくとも人前で歌うことをよく励ましてくれ、そうした経験が彼女の自信を無形に培ってきたと語る。今の自分に対し、祖母はきっと誇りに思ってくれるだろう。日本に訪れた際には祖母が特に見に来てくれ、今は台湾にいるものの、彼女の音楽の道が家族へと届き、お互いが繋がっていると信じている。

最難就是「繼續下去」 不輕言放棄的心態很重要

家族のサポートについてはPey-lingは、物質的な報酬はプレゼントや金銭で表現できるものの、本当に家族に恩返しする方法は「歌い続けること」であると述べた。絶えず努力し成長することで、彼女を支えてくれる人たちに誇りに思ってもらえることを信じ、その感謝が前進する力に変わる。「これまでに多くの方が背後から支えてくれたことが本当に重要である」とし、このような理由から、一歩一歩進み続け、より大きなステージを目指している。彼女は、音楽の道において最も困難なのは「続けること」であると考える。

Pey-lingは、軽々しく諦めない心構えが彼女にとって重要であると強調する。なぜなら「自分がいつ人生を離れるかわからず、いつ怪我や病気をするかわからない」ためである。そのため、毎日全力を尽くし、一瞬一瞬を大切にしている。毎日が当たり前ではないため、ある日突然すべてを失ったとしても、不思議ではないとの信念のもと、彼女は音楽事業に心身をすべて注いでいる。挑戦に直面した際の心構えとして、自分に「私はスーパースターだ!」と語りかけ、モチベーションを保ち続けているとシェアする。