吳典蓉コラム:頼清徳はいかにしてエリートをパフォーマーに変えたのか?

民進党は王義川救出に成功した。王義川(左)はまもなく国会議員となる(王義川フェイスブックより)
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民進党は確かに「不幸を祝い事に変える」のが得意だ。全国が一人の公務員の自死に衝撃と悲しみに包まれている中、頼政権はこの悲劇を利用して民進党の問題を解決。それは不分区立法委員の洪申翰が労働部長に就任したことで、王義川が立法院に繰り上げ当選できることだった。民進党の報道官である呉崢は救出成功を待ちきれずに祝福し、王義川の立法院入りが民進党と頼清徳にとってどれほど重要であるかを示しており、故人への基本的な礼儀さえも顧みなかった。

影響力を効果の指標とすれば、頼清徳のこの一手は正解に見える。王義川はまだ立法院に入っていないが、すでに驚くべき注目を集めている。しかし、注目が必ずしも良い評価とは限らない。頼清徳が王義川の立法院入りによって与党の発言力を高めることを期待しているなら、大きな失望を味わうことになるだろう。

野党を「抑制」しようとする言い回し 民進党の発言力喪失には理由がある

王義川はまだ立法院に入っていないのに、黄国昌を「抑制」すると得意げに語った。しかし笑うべきは、いわゆる抑制(check and balance)とは権力分立政府下で機関が他の機関に対抗する能力を指し、立法委員対立法委員、個人対個人のことではない。さらに、抑制の要点は権力を持つ機関を監督することにある。立法院は合議制であり、野党の国政改革法案で新設された調査公聴権も憲法法廷によって否定されており、黄国昌がどれだけ激しく質問しても徒労に終わるだけだ。もちろん、王義川の「抑制」「監督」に対する認識は権威主義時代のままかもしれない。野党が与党を監督するのではなく、与党が野党を監視するという考えだ。彼が過去に中華電信子会社の是方通信から民衆党の群衆活動参加者のプロファイルデータを入手したことは、まさに与党者が野党を監視する生きた例であり、党政経の大権を握る与党の立法委員が野党を監督するという王義川の役割の誤りが明らかである。

オーウェルが『政治と英語』で述べたように、政治的言語はしばしば「空虚な言葉を実体があるかのように語る」ためにある。王義川がなぜ的外れな「抑制」という言葉を軽々しく口にしたのか、それは与党のある種の「失語」状態を反映している。なぜなら、「抑制」は立法院が推進する国会改革のキーワードであり、また民進党が2024年の国会選挙で過半数を獲得できなかった要因でもあるからだ。野党である国民党と民衆党が抑制を叫ぶのは当然のことだが、大権を握る与党の立法委員は野党の言語を真似るだけだ。このように言葉の意味を失わせる行為は、視聴者を混乱させるだけでなく、民進党と頼政権のいくつかの大きな問題を反映しており、これこそが頼政権が発言力を見出せない根本的な原因となっている。 (関連記事: いじめ事件を告発し総統まで謝罪を引き出した男  ~労働部を揺るがした民進党の若手議員~ 関連記事をもっと読む

頼清徳は実際に民進党の「失語」現象に気付いており、党の公職者や報道官に何度も生配信を増やし、ネット上での発言力を取り戻すよう促している。彼は的確に呉崢と王義川を批判し、配信時は笑いを取るだけでなく、中身のある発言をするよう求めた。しかし、なぜ民進党の諸公の影響力は黃国昌一人にも及ばないのか、王義川のように笑いを取らなければ注目されないのか、このような失語症の問題はどこにあるのか。

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