台湾では旧暦の7月になると、大手スーパーの全聯福利中心(PX Mart)が幽霊をテーマにしたユニークな広告を展開するのが恒例となっている。2013年の「貞子編」は当初驚きとともに受け止められたが、次第に話題となり「全聯先生」のキャラクターを一躍有名にした。こうしたユーモラスな広告は、中元節や台風時の購買行動と巧みにリンクし、全聯のブランドイメージを確立させてきた。
そして今、全聯はその影響力を活かし、国家的な安全保障政策の一翼を担う存在となっている。7月9日から台湾全土で始まった「漢光41号」実兵演習にあわせ、防空避難訓練が各地で実施されるなか、PX Martは台北・台中・台南の3店舗で実際に営業を一時停止し、市民を巻き込む形での防空訓練に協力した。
7月10日午前10時、台北の信義黎忠店、台中の旅順店、台南の生産店では、一斉に営業を中断するアナウンスが響いた。「空襲警報があります。皆様、冷静に売り場の指示に従って避難してください」という店内放送とともに、買い物客はスタッフの誘導で店舗外に避難。この防空演習は、ミサイル攻撃を想定したリアルなシナリオで行われた。
当日は午前9時半頃からメディアも多数詰めかけ、売り場スタッフは丁寧に訓練の趣旨を説明。多くの市民は会計を済ませて店を後にし、一部の人々は見学に訪れた。全聯が半時間営業を中断してまで防空訓練に協力した背景には、頼清徳政権が掲げる「防衛韌性(レジリエンス)」の強化政策がある。
漢光演習2日目、国防部が「M1A2T実弾射撃」を実施する一方、台湾全域で初の防空避難訓練が同時に行われた。(写真/柯承惠撮影)
民間からも「防衛力」──頼政権と全聯の連携 頼清徳政権は前政権・蔡英文氏の時代に構想された「全民防衛」政策を引き継ぎ、2024年には大統領府主導の「全社会防衛韌性委員会」を発足。2025年には防災演習「民安」「萬安」を含めた「都市防災レジリエンス演習」を展開している。
当初、全聯での防空訓練は7月15~17日に予定されていたが、最終的には7月10日に変更され、3都市の店舗で先行実施された。訓練には内政部の副次官3名がそれぞれの現場を視察。台北会場には、海軍陸戦隊を思わせる柄のハワイアンシャツを着た馬士元次官が登場し、国安会副秘書長の林飛帆氏も同行。現場では終始なごやかな雰囲気のなか、彼らは「とても良い試み」と満足げに語っていた。
全聯(PX Mart)の信義黎忠店で10日朝に行われた防空避難訓練に、馬士元内務省次官(中央)が視察し、林飛帆国家安全保障会議副秘書長(左から2番目)も出席した。(写真/鍾秉哲撮影)
全聯、演習の1か月前から準備 「混乱回避」へ綿密な台本リハーサルも 全聯は6月の段階から今回の防空演習に向けた準備を始めていた。突発的な事態による混乱を避けるため、政府と協議を重ねた上で、公式訓練の2日前からは状況を想定した台本を用いたリハーサルも実施された。内政部の馬士元次官らも現場に立ち会い、訓練の進行状況を確認したという。
全聯の協理で広報も務める劉鴻徵氏によると、今回の訓練には3店舗が参加し、各店舗で数十人が参加したが、営業への影響は最小限にとどまった。演習は午前10時に実施され、来店者のピークである11時以降を避けたことで、業務への支障も少なかったと説明した。
それでも、訓練当日に店舗を訪れた一部の市民からは、突然の警報に不快感を示す声もあった。これに対し、国家安全保障会議の林飛帆副秘書長は、「これこそが訓練の本質だ」と述べた。自然災害や有事は日常生活に少なからず影響を及ぼすものであり、訓練によって市民がどのように対応すべきかを理解することが重要だとした。
ある70代の女性客は、「もともとは野菜を買いに来たが、訓練があると知って参加した。戦時には、国民が落ち着いて行動することが軍を支える」と語った。
全聯の店舗で10日に行われた防空避難訓練では、売り場スタッフと市民が地下室の防空避難スペースに入った。(写真/鍾秉哲撮影 )
コンビニへの期待の裏で、最初に応じたのは全聯だった 全聯に対して政府が抱く期待は、単に地下スペースを避難所として活用するにとどまらない。2025年4月には英紙『ガーディアン』が、台湾政府が全国の1万を超えるコンビニを戦時中の口糧や医療品の配給拠点にする計画を検討していると報じた。大統領府はこれを否定したが、その約2か月後、関係者によると、政府はまず全聯に配給拠点としての協力を求めたとされている。
新型コロナ流行時にマスクや検査キットの配布を担った経験もあり、全聯をはじめとするチェーンスーパーやコンビニは、すでに「戦略物資」の流通インフラとしての役割を担っていた。現在、政府は公営の配給施設5,935か所と民間の大型売場の連携を進めており、その最初のパートナーとして全聯の名が挙げられている。
6月26日に開かれた会議で、内政部長の劉世芳氏は、民間の店舗が住民の生活圏に近い点を考慮し、まずはこうした店舗を優先して配給拠点にする方針を示した。
政府は、戦略物資の整理と生活物資の供給を進めるため、官民協力体制を採用することを計画しており、この案で全聯が名指しされた。写真は2025都市レジリエンス演習のため、内務省が展示した防災避難パッケージ。(内務省提供資料)
店舗数は少なくても、全聯が最有力候補に挙がる理由 全聯の店舗数は全国に約250店。これは7-ELEVEN(約7000店)、ファミリーマート(約4000店)、OK Mart(約1665店)と比べて明らかに少ない。しかし、政府が全聯を優先した背景には、独自の物流ネットワークや倉庫設備、広い売場、豊富なスタッフ数など、戦略物資の配給拠点としての条件を満たしている点がある。
加えて、政府の期待は国際的な事例とも重なっている。台湾が参考にしているウクライナでは、連鎖スーパーが物資供給の回復に重要な役割を果たした。たとえば、ロシア軍が2022年にヘルソンから撤退した後、地元スーパーが再開するやいなや物資が住民に行き渡ったという。
台湾の「社会防衛韌性」政策の目的の一つは、戦時においても社会の基本機能を維持することにある。今回の訓練で、全聯の売場スタッフが空襲時の対応能力を実地で訓練したのも、まさにその一環だといえる。
多くの全聯店舗は地下室を併設しており、既に地下にある店舗も少なくない。ロシアによるウクライナ侵攻以降、大型スーパーがミサイル攻撃の標的となった事例は少なくなく、民間施設であっても軍事的なターゲットになりうることを示している。その意味でも、スーパーや小売店舗に一定の防衛機能を持たせる必要性が増している。
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店舗数ではコンビニエンスストアに及ばないものの、全聯は自社で物流、倉庫を保有し、店舗スペースもコンビニより広い。さらに、貯蔵空間や既存資材の数、雇用数などの面で優位性を持つため、戦略物資の拠点として第一の候補とされている。(写真/鍾秉哲撮影)
永遠の敵ではない 賴清徳氏はかつて林敏雄氏と対峙 今回、全聯が営業の一部を犠牲にしてまで防空演習に協力した背景には、会長・林敏雄氏の存在がある。頼清徳政権が設立した「全社会防衛韌性委員会」の初期顧問4人のうち、唯一の民間流通業者として林氏が選ばれており、「国家や国民に必要とされるなら、協力は惜しまない」と公言していた。
統一グループ会長・羅智先氏の岳父である創業者・高清愿氏とは異なり、林氏は国民党の中央常務委員を務めた経験もなく、前総統・馬英九氏とも親密な関係ではなかった。全聯グループも中国本土との取引経験がない。一方、かつて林氏は国民党や馬氏との関係から、当時民進党の立法院党団幹事長だった頼氏から記者会見で批判された過去がある。
2008年4月、民進党中央派の立法委員ら(潘孟安氏、管碧玲氏、頼清徳氏)は、馬英九氏が台北市長時代に推進した「革命実践研究院」の土地利用変更を巡って疑義を呈した。この土地は、国民党が林氏創設の元利建設に売却したもので、不当党産問題に関わるものだった。当時、元利建設は同案件に関して8億1340万元を国家に寄付している。
それから17年を経て、林氏はかつて自身を批判した頼氏の政権に協力し、同委員会の顧問に就任。潘孟安氏は副召集人、管碧玲氏も委員として名を連ねた。
頼清徳総統(写真)が「全社会防衛レジリエンス委員会」の設立を宣言した際、 かつて彼が批判した林敏雄氏が唯一の民間流通業者の顧問となった。 (写真/顏麟宇撮影 )
軍系から民営化へ 全聯は「社会韌性」の要となるか 「商売に永遠の敵はない」――林氏と民進党の関係はすでに雪解けし、新潮流系候補に政治献金を行ったことも報じられている。林氏は2020年の記者会見で「国民党との特別な関係はない」と強調し、土地取得についても「善意の第三者」として対応し、慎重に行動してきたと述べた。その一方で、「(騒動によって)名声を得たのは残念なことだ」とも語っている。
こうした経緯を経て、今や全聯は頼清徳政権にとって、台湾海峡の緊張下における社会防衛韌性の構築に欠かせないパートナーとなっている。
全聯福利中心は1975年に国防部世損処によって「軍公教福利中心」として設立され、1989年には行政院の委託を受けた「中華民国機関団体職員消費者利用組合連合社」が運営を引き継いだ。その後、民営化を経て発展し、現在では全国に約1250の店舗を展開。2025年8月には量販店「大潤発」との合併を経て、「大全聯」として再出発を図る。
軍系の出自を持ち、民営化によって拡大してきた全聯は、民間企業として初めて国家の「戦備ネットワーク」に参加する存在となった。
現在、アメリカのフィリップ・デービッドソン元インド太平洋軍司令官が警告した「デービッドソン・ウィンドウ(2027年)」が迫る中、全聯の今回の協力は、その第一歩に過ぎない。だが本格的な「全社会防衛韌性」を構築するには、さらなる民間企業の巻き込みが不可欠となる。
協力体制の整備は、共通認識と信頼の上に成り立つのか。それとも《災害防救法》に基づく「徴調命令(強制的動員)」を発動すべきなのか――頼清徳政権の政治手腕と社会的動員能力が、今後問われることになる。