歴史新新聞》35年前の元宵節 台北政界の電話戦が「二月政争」序幕を開いた

1990年、李元簇(左)を副総統候補に指名した李登輝(右)は党内の反対により「二月政争」が勃発した。(資料写真、林瑞慶撮影)
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なぜこの記事を振り返るのか

農歴1月15日・元宵節は湯圓を食べ、提灯を持ち、家族団らんの日だが、35年前の台北政界では政治家たちは誰もが緊張し、電話をかけるか、電話を待つかのどちらかだった。この電話戦は、後に「二月政争」と呼ばれることになる序幕ある。

1990年、蔣経国の死去により総統を継承した李登輝は、自身初の総統選挙を迎えようとしていた──もちろん、当時の総統はまだ市民による直接選挙ではなく、中国から台湾に逃れてきた民意の授権のない老国代(元の国民代表)によって選出されていた。蔣経国の死去により急遽総統に就任した李登輝は、この時、自身の権力が安定しているかの試練に直面することに。挑戦者として立ち上がったグループは後に「非主流」というレッテルを貼られ、当時の行政院長の李煥・司法院長の林洋港を中心としていた。

元宵節の電話戦は、翌日に国民党が臨時中央全体会議を開催し総統候補者を確定──実質的には今後6年間誰が台湾の総統になるかを決定することになるため、主流派と非主流派の双方が積極的に連携を図り、自分たちの候補者が勝利することを望んでいた。この記事は6500字以上の超長文で、この元宵節の電話戦の発端・双方の思惑、そして勝敗の鍵を詳述する。(新新聞編集部)

2月10日の夜、中正紀念堂の広場内外では「上元花灯大展」が賑やかに行われ、人々が行き交っていた。しかし、これらの提灯を見に来た人々は誰も、すぐ近くの総統府と国民党中央党部の中で、一部の人々が夜明けまで「元宵電話戦」を繰り広げていることは知らなかった。

大会前夜の不気味な雰囲気

同じ時間、台北市の多くの住宅でも明かりが灯り、これらの夜更かしする人々も総統府や党部の人々と同じような行動を取っていましたが、ただしこの二つのグループの目標は全く異なっていた。

これが後に台北の一部の政界関係者によって「臨時中央全体会議攻防戦」と呼ばれることになるその夜の光景だった。

実際、10日の朝から、台北政界にはすでに嵐が近づいているような雰囲気が漂っていた:

──朝9時、李登輝は突然士林の至善路にある前副総統謝東閔の自宅を訪問、最近副総統人選のことで頭を悩ませ、眠れないほどだと謝東閔に語った。 (関連記事: 北京観察》馬習会3回目実現か?蕭旭岑が北京到着、中国メディアは控えめに報道 民衆は「この一つのこと」を期待 関連記事をもっと読む

──午後、許水德の息子の結婚披露宴が円山飯店で行われ、祝いに来て正副総統の選挙業務を担当していた国家安全局長の宋心濂と国民党組織工作会副主任の謝隆盛は、到着してまもなく用事があると通知され、急いで退席