評論:「台独活動家」による「中華民國憲法」の不合格な講義

2025-06-30 11:00
頼清徳総統は「国家団結十講」の第3回講演で憲政制度を取り上げ、「制憲国民大会に台湾人が参加していなかった」とし、改めて問題提起した。(頼清徳総統のFacebookより)
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台湾・頼清徳総統は「災厄級の演説者」と呼ばれるにふさわしい人物である。彼の掲げる「団結国家十講」は第三講に突入したが、やはり今回も問題を起こした。他人が「三度目の正直」とすれば、彼は「二度あることは三度ある」タイプである。ただし、その「必ずやらかす」性質のおかげで、「団結十講」のライブ配信は視聴数が倍増し、多くの人々が揚げ足を取ろうと視聴するようになった。

今回はさらに厄介だった。なぜならテーマが「憲政制度」だったからだ。SNS上では、さまざまな立場のユーザーが「憲政史のミニ講座」を次々に開設し、中華民国の憲法制定史を一から語り直す事態に。これを通じて、総統自身がいかに「憲法の授業」で赤点を取るレベルなのかが浮き彫りになった。

賴清徳総統、大きな誤り!台湾人の憲法制定参加は当然のこと

頼清徳総統は演説の三分の一を費やし、台湾で行われた七回の憲法改正の要点を述べた。やや冗長な印象もあったが、かつて国民大会代表として改憲に関わった自身の経歴を誇示したい気持ちは理解できなくもない。加えて、この7回にわたる憲法改正は、「台湾独立論者」や「台湾主権優先論者」、さらに「台湾運命共同体」の立場を取る人々(李登輝元総統を含む)にとって、理論的基盤となってきた。

たとえば、総統の直接選挙制は国民主権の具現であり、「国家主権」の表現とされる。また、省の機能凍結(実質的な廃止)によって、「台湾省」という存在が消え、「台湾(省)は中国の一部である」との主張は成り立たなくなる。

7回の憲法改正により、「憲法増修条文」はすでに「中華民国憲法」の付随物ではなく、まったく新たな創作物となった。これは「中国大陸を含む」統治体制を示すものではなく、2300万人の台湾人の「共通の民主的意識」を体現するものである。分かりやすく言えば、7回の改憲はすべて、民選の国大代表によって主導されており、中国大陸の民意とは無関係である。これは台湾人民の自主的な意思表示であり、大陸地区を排除する形で「増修条文第一条」にも明記されている──「国家統一前に対応するため…」という文言により、将来の統一への安全弁を残しつつ、中国大陸を制度上から除外した。この結果、中華民国は「台湾にある」国家であり、同時に「台湾そのもの」であるという解釈が、今では「中華民国台湾」という呼称として定着しつつある。

こうした論理は台湾独立派の主張に合致しており、国民党としても反論しにくい構図である。なぜなら、7回のうち6回の憲法改正は国民党主導で行われ、第7回目も立法院による改憲案を任務型国大が追認したものであり、当時も立法院は国民党と親民党が多数を占めていたからである。

ただし、頼清徳氏が1936年の「五五憲草」まで話を遡った点は、やや的を外していた。抗戦の影響で最終的に中華民国憲法が制定されたのは1946年であり、五五憲草にも1946年の憲法制定過程にも、台湾からは代表が派遣されていなかった。台湾人がはじめて改憲の主役となったのは、まさにその後の第7回の改憲においてである。