台湾の伝統的なストリートフード「胡椒餅(フージャオビン)」は、多くの台湾人にとって子どもの頃から親しみのある味。そのルーツのひとつとされる天母の名店「老劉胡椒餅」で修業を重ね、現在その味を東京・吉祥寺で再現しているのが、店主の永野加奈さんだ。『風傳媒』の取材に応じた永野さんは、開店のきっかけはコロナ禍だったと語る。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)本場・天母での修行と「窯焼き」へのこだわり
「ちょうどコロナの時期に台湾へ修業に行ったんです。当時は海外旅行が難しくなっていて、日本にいながら本場の台湾グルメを味わえるお店を作りたいという気持ちが強くなりました」。永野さんは当時をそう振り返る。
彼女は以前から台湾を何度か旅行で訪れており、初めての訪台では食文化の違いに戸惑うこともあったという。しかし現地の友人に案内されるなかで、次第に多様な料理に魅了され、台湾グルメへの関心が深まっていった。ただ、日本国内で本格的な台湾料理に出会える機会はまだ少なく、「日本でも本場の味を提供できるお店を作りたい」との思いが芽生えていった。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)「台湾人においしいと言ってもらいたい」 本場の製法を守り抜く決意
永野さんが店を開く上で最も大切にしているのが、「台湾のお客様に食べてもらって、台湾そのままの味だと感じてもらうこと」。その目標のため、彼女は台北・天母の「老劉胡椒餅」本店で修業を重ね、現地で使われている技法を一つひとつ丁寧に学んだ。
修業中は言葉の壁もあったが、通訳や翻訳アプリを駆使してスタッフや劉さんから熱心に教わったという。料理の技術だけでなく、台湾の人々の温かさにも触れ、心に残る経験となった。
当初、日本ではオーブンでの調理を想定していたが、「せっかくなら本物を届けたい」と考え、途中から窯焼き製法へと切り替えた。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)「台湾でも窯焼きは男性が担うことが多く、火加減や生地の扱い、すべてが難しかったです」と永野加奈さんは振り返る。台湾での修業は1か月ほどだったが、隔離期間も含まれていたため、帰国後は動画を通じて指導を受けながら改良を重ねた。後に劉さんが来日し、味の最終チェックを経てようやく開業に至った。
台湾の味をそのままに──ねぎも粉も細部まで再現
吉祥寺で提供している胡椒餅は、味付けやスパイスの配合に一切妥協せず、台湾本場の味を再現している。唯一異なる点は、台湾で一般的な三星葱が日本では手に入りにくいため、風味が近い細ねぎを使っていることだ。また、肉は劉さんのこだわり通り角切りを使用し、調味料も台湾から取り寄せている。粉については輸入が難しく、少量を持ち帰って成分分析し、日本国内で同じ配合になるように独自ブレンドして対応している。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)日本ではまだ胡椒餅の知名度は高くないが、台湾を訪れたことのある人からは「まったく同じ味」と高く評価されており、開店から2年間は行列が絶えなかったという。「日本の味に寄せていないのに、日本人のお客さまから『こっちの方が好き』と言っていただけることもあります」と永野さんは笑顔を見せる。
日本で広がる「胡椒餅」の魅力
「ちょっと辛いけど、これが台湾の味だよね」と喜んでくれる人が多く、初めて食べる人にも広く受け入れられている。現在の主な客層は台湾旅行経験のある30〜50代だが、近年は台湾人の来店も増加傾向にあり、平日でも多くの在日台湾人が訪れている。顧客の構成は、日本人が約7割、台湾人やその他外国人が約3割を占めている。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)近隣にはジブリ美術館があるため、ヨーロッパからの観光客も立ち寄ることがあり、座席がないことから、購入後に近隣のカフェで食べる人もいる。それでも「香ばしい香りに誘われて購入してくださる方も少なくありません」と永野さんは話す。
とくに印象的だったのは、ある台湾人女性が胡椒餅を1つ購入し、裏手で食べたあと、親指を立てて「おいしい!」と伝えてくれた出来事だった。その女性はその後15個を追加で購入し、「わざわざ台湾に行かなくても、ここで本場の胡椒餅が食べられるのが嬉しい」と話してくれたという。
「私たちは劉さんの名前を掲げて店をやっています。だからこそ、味を壊してはいけないというプレッシャーは常にあります。でも、台湾の方に『おいしい』と言ってもらえると、それが何よりの自信になります」。そう語る永野さんは、今後も味を守り続けていきたいと意気込みを語る。
次なる挑戦は新メニューと新店舗
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)今後は、子どもにも食べやすい甘口の胡椒餅や、デザート感覚で楽しめる新メニューの開発を進めている。また、駅近の立地でより多くの人に届けられるよう新店舗の出店も検討しているという。「台湾の屋台のように、気軽に立ち寄ってもらえる店にしたい」と語る。
昨年は代々木の台湾祭に出店し、冷凍胡椒餅やその場で焼きたての胡椒餅を提供したほか、今年は上野の台湾フェスティバルにも参加予定だ。現地で包み、窯で焼き上げる本格スタイルでの提供を計画している。
「うちの胡椒餅は、台湾とまったく同じ味を日本で楽しめる唯一の場所だと思います。吉祥寺は少し遠いと感じるかもしれませんが、ぜひ一度足を運んでいただきたいです」。
天母の「老劉胡椒餅」にルーツを持つ味を、現在、東京・吉祥寺で再現しているのが店主の永野加奈さんだ。(写真/黃信維撮影)そう語る永野さんは、店舗運営3年目に入り、焼き加減や生地の扱いにもようやく慣れてきたという。「最初の頃は生地が柔らかすぎたりと苦労の連続でしたが、今は胸を張って『本物』を提供できるようになりました」。彼女は今日も、日本で台湾の味を届け続けている。