人物》台米機密チャネル、潜水艦購入支援、大統領のために参謀総長のお世話 台湾に一生尽くしたアーミテージ

アメリカ前国務副長官リチャード・アーミテージ氏(写真参照)は2025年4月13日に死去、賴清徳総統は彼の台湾への貢献を「真の友人」と評した。(資料写真、NATO)
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アメリカ前国務副長官リチャード・アーミテージ氏は2025年4月13日に肺塞栓症により死去した。享年79歳。その知らせが台湾に伝わると、賴清徳総統、蕭美琴副総統、林佳龍外交部長など台湾政界の要人たちが、次々とアーミテージ氏の死去を惜しむ意を表明し、駐米代表処もすぐに遺族に弔意と心からの慰問の意を表した。賴清徳総統は「深い悲しみを感じる」、蕭美琴副総統は「非常に残念である」と述べ、賴清徳総統に「真の友人」と称されたアーミテージ氏は、台湾にとってどれほど重要だったのか。

2024年5月20日、賴清徳総統の就任式では、アーミテージ氏と前ホワイトハウス国家経済会議議長ブライアン・ディース氏が共同で代表団を率い、国家安全保障、外交、経済など重要分野を背景に持ち、いずれも経歴が完全で台米二国間関係やインド太平洋地域問題に精通した元高官らが姿を現した。また2021年4月15日には、当時のバイデン大統領がアーミテージ氏らで構成される高官訪問団を台湾に派遣し、当時の蔡英文総統と交流した。賴清徳、蔡英文両総統だけでなく、実際にアーミテージ氏の台湾への影響は、故李登輝前総統の時代から始まり、彼の死去まで一貫していた。

20240520-第16任總統、副總統宣誓就職典禮暨慶祝大會。蔡英文、賴清德,與蕭美琴上台向民眾致意。(陳昱凱攝)
アーミテージ氏と台湾の関係は深く、前総統蔡英文(左)から現総統賴清徳(中)と副総統蕭美琴(右)まで交流があった。(資料写真、陳昱凱撮影)

海軍出身、ベトナム戦争を経験 生涯はアメリカ版シンドラーのよう

海軍少尉出身のアーミテージ氏は、1983年から1989年にかけて、共和党のレーガン大統領およびブッシュ(父)大統領の下で国防総省国際安全保障問題担当次官補を務めた。2001年から2004年までブッシュ(子)政権で国務副長官を務め、国務省ナンバー2の人物であった。また2008年の大統領選挙中には、当時共和党の大統領候補だったジョン・マケイン氏のためにアジア外交政策綱領を立案した。

アーミテージ氏は米国海軍学校卒業後、ベトナム戦争に参加し、米国とベトコンが1973年にパリ和平協定を締結した後も、停戦を拒否したために除隊を命じられたという話を外部では知られているが、台湾ではほとんど知られていないのは、その後彼が米国駐ベトナム国防武官事務所の文民職員に転じ、1975年4月30日の南ベトナム政権崩壊・サイゴン陥落前に、上官の命令に従って南ベトナム海軍の艦艇を撤退させ、武器装備がベトコンの手に渡るのを防いだだけでなく、上官に逆らってまで約3万人のベトナム難民をフィリピンに連れ出したことである。 (関連記事: 舞台裏》台湾・国民党主席選挙に激震!盧秀燕が出馬を決意 朱立倫が進むのは「華麗なる転身」の道か 関連記事をもっと読む

当時29歳のアーミテージ氏は、本来南ベトナム海軍と協力して航行可能な艦艇を第三国に分散させる予定だったが、市民も明らかに撤退情報を掴んでおり、何十隻もの漁船などの民間船舶や海軍艦艇に群がった。米国政府は大量のベトナム難民受け入れに非常に消極的だったが、当時単なる下級官僚、文民職員に過ぎなかったアーミテージ氏は、独断で巨大な船団をすべて米海軍が当時フィリピンのスービック湾に持っていた基地に連れ帰ることを決断した。まるで第二次世界大戦中に千人以上のユダヤ人の命を救ったドイツ人シンドラーのようであった。