公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)は1日、オンライン形式で記者会見「戦後80年の今、日本が果たすべき役割は何か」を開催し、京都大学公共政策大学院教授の中西寛氏が登壇。日本の戦後史と国際秩序の変容を軸に、平和維持と外交における日本の立ち位置について幅広く論じた。
中西氏はまず、日本の元号と世界史的転換の「シンクロニシティ(同時性)」に言及し、昭和・平成・令和それぞれの戦後周年行事の背景にある歴史観の変遷を概観。昭和期には冷戦構造と1955年体制が重なり、終戦記念日(8月15日)を中心に政治的コンセンサスが形成されていたと語った。
1980年代には歴史認識がアジア諸国との外交問題に直結し、1985年の中曽根首相の靖国神社参拝や中国の南京大虐殺記念館開設が国際的波紋を呼んだ。平成期には、1995年の村山談話に代表されるように、日本が戦争責任を明確に表明することで、東アジアにおける戦後和解と冷戦終結への貢献が試みられたという。
2015年の安倍談話では、村山談話を部分的に継承しつつ、「自由で開かれた国際秩序を守る」方向へと視点が転換された。中西氏はこの変化を、「謝罪の政治」から「秩序維持の責任」への移行と位置づけた。
そのうえで、令和の現代は「ポスト冷戦の終焉」と「大国間競争の時代」であり、戦後秩序の根幹が揺らいでいると指摘。ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ紛争、トランプ政権の復活などを挙げ、「1945年に構築された秩序が世界的に機能不全に陥っている」と警鐘を鳴らした。
こうした時代の中、日本が果たすべき責務として、中西氏は三点を強調した。第一に、防衛力強化と安全保障政策の再定義。第二に、平和的国際秩序への移行を主導する外交努力。そして第三に、国際的な多角的協力の促進である。
「防衛費のGDP比3%を目指すような議論は、単なる財政問題ではない。人口構造、技術力、日米同盟の分担、地域安保の枠組み全体を再構成する必要がある」と述べた中西氏は、外交面においても「広島・長崎の記念日に改めて平和の価値を語り、地域的にもグローバルにも対話の場を持つことが日本の責任だ」と呼びかけた。
最後に、中西氏は石破政権下で検討される可能性のある「80周年談話」に触れ、「首相の声明が政治儀式化する時代は終わりを迎えた」とし、「今後は言葉より行動で日本の責任を示すべきだ」と講演を締めくくった。
編集:佐野華美
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