台湾・台北市の蔣萬安市長は就任から3年を迎え、2026年の再選に向けた準備段階に入った。ただ、このところ地方補助金の配分をめぐって行政院と対立したほか、NVIDIA(エヌビディア)の本部進出が北士科で停滞、公館円環の撤去、双城フォーラムの延期など、市政課題が相次いでいる。
外的要因に加え、市府内部の問題もくすぶる。議員からは「政策が紙の上で止まっている」との指摘も出ており、前任2市長期より深刻だとの見方が広がる。市政府で何が起きているのか。
市政課題はくすぶり、前任2市長期より深刻との指摘も。議員からは「政策が紙の上で止まる」との声が上がる。(写真/読者提供)
公務員の引き留め 柯文哲氏は郝龍斌氏を上回る 2013年、台北市政府は行政院と連携して機構再編を実施。以降の公務員の予算定数は概ね7.7万~7.6万人、実員は6.8万~7.1万人で推移してきた。つまり、誰が市政を担っても、毎年5,000~7,000人規模の恒常的な欠員を抱えてきたことになる。
機構改編は国民党の郝龍斌市長任期末の2年から本格化。2013年の欠員は7,223人だったが、翌2014年は6,891人へと縮小し、不足率も9.28%から8.84%へ小幅改善した。加えて、2014年は2013年より予算定数が増えており、任期末にかけて欠員を一定程度埋めたといえる。
後任の柯文哲市長(当時・民衆党)は、就任1年目の2015年に欠員が6,961人とやや増加したものの、2016年以降は減少基調に転じた。欠員は2016年6,752人、2017年5,572人、2018年5,006人、2019年4,892人、2020年4,896人。2021年と2022年は反転し、それぞれ5,685人、6,087人に戻った。
欠員数の低下は予算定数の縮小とも相関するが、柯氏期は不足率自体も下がった。2015~2020年の不足率は9.03%、8.83%、7.35%、6.63%、6.43%、6.42%と推移し、2021年は7.48%、2022年は8.01%へ再び上昇している。
蔣萬安氏の3年で1,500人減 前任2氏を下回る人員維持力 国民党の蔣萬安市長(第5代)就任後の欠員は拡大傾向だ。2023年は欠員6,542人、不足率8.59%で、2022年の6,087人・8.01%から悪化。2024年は7,326人・9.61%へさらに上昇し、2025年8月時点では8,324人・10.89%と、年々拡大している。
月次で見ると、2023年は欠員6,730~7,429人で、不足率は最低が1月の8.84%、最高が7月の9.74%。2024年は6,834~7,816人で、最低が1月の8.97%、最高が7月の10.25%。2025年は1月が最少で7,644人・10.01%、8月が最多で8,324人・10.90%と、新たな高水準を記録した。
また、捷運公司と市立連合病院を除く市政府各局処の職員数で比較すると、蔣氏就任直後の2023年1月は5万8,538人だったのに対し、2025年8月は5万7,033人。3年間で1,505人減少した計算になる。歴代市長と比べても、公務員の流出抑止力は柯文哲氏、同党の郝龍斌氏いずれよりも弱い。
民衆党の台北市議・陳宥丞氏は、人手不足が行政効率や市民の権益に影響していると指摘。「人材の確保・補充に向けた構造的な解決策がなければ、政策は机上で行き詰まる」との見方を示した。
天龍国(台北市)の市政府で人材が定着しない 現場の声 首都機能を担い「首善の都」とも称される台北市は、潤沢な行政資源を享受してきたはずだ。にもかかわらず、市政府に公務員が定着しないのはなぜか。
A氏は台北生まれ。市内の大学を卒業後、台北市政府に採用されたが、任期が明け次第、中央機関への異動を希望しているという。理由は「職場環境が悪すぎる」からだ。市民は摘発に熱心で、他人の個人情報の提供を迫られる場面も少なくない。公務員として応じられないと説明しても、批判を浴びることがあるという。
苦情対応は本来業務の合間に行うが、時間を割いても納得が得られず徒労に終わることが多い。こうしたケースは「毎月のように起きる」。人口規模が大きい台北では事務量も多く、個別案件の期限も厳しい。通常業務だけでも10件以上を同時に抱えることがあり、定時の8時間では到底足りないため残業が常態化している。日常業務を極限まで圧縮しても給与は増えず、「そこまで頑張る意味があるのか」と疑問を抱くと話す。
人口規模に見合う膨大な業務と公文処理が重なり、職員の疲弊が進む。(写真/柯承惠撮影)
終わらない残業 「肝臓を国に捧げる」 B氏は北部の非双北出身。国立大を卒業し、二度目の受験で公務員に合格。職場環境の良さを期待して自ら台北市政府の一部局を志望した。だが蔣萬安市政の下で2年勤務した後、「もう耐えられない」と辞職。公務員に戻るつもりはないという。
在職中は通常業務が過密で、A氏同様「終わりのない残業」に直面した。部署には、法定上限を超えた残業に特例手当が支給されない“不文律”があり、休暇は付与されても消化できない。結果として休暇はたまる一方で、追加報酬もない。「私たちは肝臓を売る段階ではなく、肝臓を国に捧げている」と自嘲する。
家族を持つ職員は生活のため踏みとどまる場合もあるが、若い世代にとっては選択肢が豊富で、外で活躍の場を得やすい。「無駄な消耗は避けたい」というのが、今の一般的な感覚だ。
首都として資源と機会に恵まれる一方で、公務員は天龍国(台北市)にとどまろうとしない。(写真/読者提供)
同じ給与でも外県市の方が快適 C氏は市政府の一部局で勤務する非基層の職員で、柯文哲市政時代から在籍している。氏によれば、柯氏の時も蔣萬安市政になっても残業は常態化。月30時間は「基本」で、議会会期や重要案件が重なると60時間超も珍しくない。遅い時は深夜1時まで働き、翌朝8時に再び出勤するという。
C氏は北部以外の公的機関での勤務経験があり、「台北ほど極端な残業は見ない。生活と仕事のバランスが取れている」と語る。職等や給与は同水準でも「他地域の職員は半ばリタイアのように穏やかで、むしろ幸福度が高い」との印象だ。台北は「意見の多い市民」が多く、議員やメディアからの圧力も強い。些細な案件でも取り沙汰され、説明資料の作成や対外対応を頻繁に求められるという。
柯文哲氏(左)の市長期には、公務員の欠員数が一時的に縮小した。(写真/颜麟宇撮影)
見栄えは華やかでも、重圧は大きい D氏は台北生まれ。大学卒業後に公務員試験へ合格し台北市政府に入ったが、日々のストレスで不眠となり、1年で退職した。その後、再び公務員試験を受け、現在は僻地の部署で勤務している。「今は気持ちがかなり楽になった」と話す。
D氏は、残業や業務量の多さに加え、台北の生活費の高さも指摘する。かつては「台北市政府で働くのは華やかで名誉」と考えていたが、実際には生活コストが高く、職場のストレスは圧倒的だったという。職場文化の影響も大きく、不満や不当な負担を感じても、上司からは「黙って耐える」よう求められる場面が少なくない。職等や給与が同じなら「地方へ行く方がストレスは軽い」との実感を語る。蔣萬安市長に会う機会があれば、「市政を支える基層職員にもっと目を向けてほしい。心身の状態や業務負担、ストレスや感情面への配慮が必要だ」と求めたいという。
蔣萬安市政の下、公務員の定着率は前任の柯文哲氏、郝龍斌氏に及ばない。(写真/颜麟宇撮影)
人材が定着しない現状に、市政府はこう説明 台北市の公務員欠員は年々増加。市政府は要因として、他機関への人事異動、退職・辞職などを挙げる。なかでも警察・消防、工務・技術系で欠員が大きい。技術職の公務員試験の志願者が細り、国家試験の受験者・合格者ともに低調で採用は難航。警察・消防は業務の特殊性から専門訓練と一定の養成期間が不可欠で、補充には時間を要するという。
市政府によれば、欠員対策として約1,400人の「配属待ち」枠を確保し、学校の欠員には2,212人の代理教員を採用。さらに、各機関で欠員管理を行い、専門の臨時雇用や障がい者・先住民の雇用拡大を進め、実質的な欠員率を5.6%としている。必要人材の効果的な配置に向け、供給源の多様化(欠員相当分を臨時雇用へ切替、採用予定数の上積み、専門職・技術職の活用)など複線的な手段で欠員の縮小を図る方針だ。