今年は抗戦勝利から80年を迎える節目の年だ。かつて「反日」と見られることの多かった国民党だが、今月は中国共産党の「九三軍事パレード」とは関係なく、次々と訪日団を送り込んでいる。立法院国民党団の傅崐萁総召集人が過去最大規模の代表団を率いて日本を訪れたほか、葛如鈞らが率いる国民党青年団も今週東京入りした。そして間もなく、立法院長の韓国瑜氏が院長として超党派議員団を率いて訪日し、一連の「本番」が相次いで展開される。
国民党は野党の立場にあるものの、与党・民進党が推進した「大規模リコール」が不発に終わったことを受け、日本との関係は新たな段階に入っている。4日に国民党が主催した「第二次世界大戦勝利と台湾光復80周年記念レセプション」には、日本台湾交流協会の片山和之代表も出席。日本側が訪台団に積極的に応じている姿勢は、米日両国が台湾内の政党への向き合い方を変えたのではないかとの見方を呼んでいる。これについて、東京大学東洋文化研究所の林泉忠特任研究員は「国民党と日本の関係の深さを考えれば、特に驚くことではない」と指摘する。

国民党と日本の関係は「師・敵・友」
林研究員は《風傳媒》の取材に対し、国民党の百年史を振り返ると、日本との関係は「師」「敵」「友」の3段階に整理できると説明する。まず清末から20世紀初頭にかけての孫文による創党期には、多くの初期指導者が日本に留学しており、この時代は「日本を師とする」関係だった。
その後、抗日戦争期には関係は一転して「日本を敵とする」段階に入り、全面戦争に突入した。だが戦後は「日本を友とする」段階へ移り、微妙で複雑な関係性を保ってきた。外部からは「日本は国民党と距離を置いている」との見方もあるが、林氏はこれに異を唱える。
林氏は「国民党はすでに台湾で大きく本土化しており、若い世代は日本に対して恨みを抱いていない」と強調する。さらに、李登輝政権時代に築かれた対日ネットワークは、馬英九政権にも引き継がれたとし、馬政権下では漁業協定を含む複数の協定が結ばれたことを挙げた。
また、2008年に馬英九氏が、幼少期を日本で過ごした馮寄台氏を駐日代表に任命した点も「日台関係の良好さを象徴している」と指摘。馮氏は日本語に不慣れだとされていたが、親民党出身で現在は監察院副院長を務める李鴻鈞氏らの支援を受け、着任直後から多くの国会議員と面会し、和やかな雰囲気を築いたという。

馬英九氏自身も対日関係を重視
林泉忠氏は、馬英九氏が2006年に国民党主席、翌2007年に党の大統領候補となった後、訪日経験を持ち、同年のNHKインタビューでは「自分は反日ではない」と語っていたことを指摘する。ただし、国民党政権期に日本との間で外交的摩擦がなかったわけではない。
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2009年には、当時の日本駐台代表・斎藤正樹氏が国立中正大学での講演で「日本政府は台湾の法的地位は未定と考えている」と発言。これに国家安全会議顧問だった楊永明氏が抗議したことから「斎藤事件」と呼ばれる問題に発展し、日台関係に亀裂を生じさせた。その後、日本政府は発言を「個人の見解」と位置づけ、最終的に斎藤氏は辞任に追い込まれた。