地政学的緊張を背景に、「台湾有事は日本有事」との認識が広がり、台湾と日本の交流は一層緊密になっている。日本政界に強い影響力を持つシンクタンク「日本戦略研究フォーラム(JFSS)」は、2023年と2024年に続き、台湾を招いて机上演習を実施してきた。2025年8月28日と29日には、舞台を台湾に移し、台湾国防部支持の国防安全研究院と共催する計画が整っていたが、直前になって中止となった。しかも中止を決断したのは日本ではなく、台湾側であったとされる。
関係者によれば、今回の机上演習には前国防部長の邱国正氏が「国防部長」役として招かれていた。ある日、リュックを背負い私服姿で国防安全研究院を訪れた邱氏は、門前の衛兵に呼び止められた。邱 氏が「邱国正だ」と名乗っても衛兵は取り合わず、身分証の提示を求めたという。その後、邱氏が入館し、同研究院の霍守業董事長(四つ星上将)と面会した際には、衛兵の忠実な職務遂行を繰り返し称賛したという。邱氏が霍氏を訪ねていた事実は、この机上演習が確かに準備進行中であったことを示す。しかし、なぜ突如として断崖のごとく中止に至ったのかは依然として不明である。
日本のシンクタンクJFSS、前国防部長の邱国正氏を台湾チーム国防部長役に招く予定だったが、机上演習は突如中止となった。(写真/張曜麟撮影)
台湾が机上演習を急きょ中止 日本に大きな失望 JFSSの机上演習と台湾の関わりはどれほど深いのか。2023年、JFSSは「徹底検証:新戦略3文書と台湾海峡危機―2027年に向けた課題」をテーマに、初めて日本で米台日3カ国の机上演習を実施した。これは、日本が2022年12月に「国家安全保障戦略」などいわゆる「安保3文書(国防3文書)」を策定して以降、JFSSが初めて行った机上演習であった。当時、台湾は初めて招待を受け、国防安全研究院(国防院)の霍守業董事長(現役陸軍上将)、李廷盛副執行長(当時)、国防戦略与資源研究所の蘇紫雲所長(研究員兼任)、助理研究員の林彥宏、楊長蓉らがオブザーバーとして参加した。また、遠景基金会の賴怡忠執行長が「台湾総統」役を務めて演習に加わった。台湾側から現役四つ星上将の霍守業が出席したことで、日本国内で大きな注目を集め、メディアでも大きく報じられた。
2024年には、台湾は再び日本に招かれ、霍守業上将が再び代表を務めた。この時には、前参謀総長の李喜明氏(海軍退役上将)、李廷盛氏(空軍退役中将)も同行し、陸・海・空三軍の現役および退役の高級将官が揃って出席した。さらに李喜明氏は、国防部長や参謀総長役を自ら務め、机上演習に加わった。JFSS机上演習の重みを示す事例といえる。
日本で2年続けて机上演習を開催した後、当初2025年のJFSS机上演習は台湾で行う計画で、国防院も積極的に準備を進めていた。しかし、突如中止となった。関係者によれば、台湾側が土壇場で撤退を決め、日本側を大きく落胆させたという。『風傳媒』の取材によれば、この机上演習に向けて国防院は退役将官ら計27個星(階級章の星数合計)を動員する予定であり、邱国正前国防部長も「再び」国防部長役を担うことになっていた。日本側も、前回「台湾国防部長」や「参謀総長」を演じた李喜明氏を統制チームに招き、演習の主導部門に加えることにしていたほか、国会議員6名が来台して机上演習に参加する予定であった。
日本JFSS机上演習は当初、台湾国防安全研究院との共催が予定されていたが、最終的に破談となった。写真は、日本戦略研究フォーラム(JFSS)が来台し国防院と交流した際の様子。国防院の霍守業董事長(右から5人目)、前参謀総長の李喜明氏(右から4人目)、前副参謀総長の李廷盛氏(右から3人目)らが出席している。(写真/国防院公式サイトより)
総長級が率いる台湾チームが再試験 日本の机上演習に再び“大魔王”登場 これほど大規模に準備され、JFSSも国防安全研究院も重視していた机上演習が、なぜ半ば公式色を帯び、多方面の注目を集める中で中止となったのか。その背景には、台湾側が「大魔王」に怯んだとの見方がある。
2025年6月、台北政経学院和平與安全中心と中華戦略暨兵棋研究協会が主催し、米・日・台の上将9人、中将8人を集めた「総長級兵推」と呼ばれる台湾民間では近年最大規模の「台海防衛机上演習」が行われた。
この演習は大きな注目を浴びたが、漢光演習では常に「攻無不克、戦無不勝」とされてきた台湾チームが予想外の不振を示し、初日は具体的成果を出せなかった。管制チームは、前米太平洋軍司令官デニス・ブレア氏の提案を受け、台湾チームに翌日の「再試験」を命じ、さらに「今夜はしっかり考えて来い」と厳しい言葉を投げかけたのである。
台湾チームが演習当日に厳しい洗礼を受けた背景には、李喜明氏が主導する机上演習の「想定外の展開」があった。李氏は繰り返し難題を台湾側に突きつけたが、決して非情ではなく、「代替案はあるのか」と問いかける場面もあった。しかし台湾チームは答えを出せず、参加者の間では「最大の敵は中国チームではなく李喜明だった」と冗談交じりに語られるほどであった。記者会見で李氏自身も「多くの難題を課した」と認め、「もし自ら課題を設定しなければ、敵が予想外の難題を出してきた時に対応できない。むしろ机上演習で負ける方が、現実の戦場で敗北するよりはるかにましだ」と強調した。
興味深いのは、このように自国の実力を直視する李氏の姿勢が日本側から高く評価された点である。2024年には台湾国防部長・参謀総長役として演習に参加した李氏は、翌2025年、日側から管制チームに招かれ「大魔王」として再登場することになった。しかし、この人選こそが台湾側を慌てさせる要因となったのである。
6月に実施された「台湾海峡防衛机上演習」で、台湾チームが振るわない結果を示し、社会の注目と批判を呼んだ。(写真/柯承惠撮影)
台湾チーム再び恥をかくことを懸念 国家安全会議と国防部が日本に謝罪 指摘によれば、「台湾海峡防衛机上演習」が社会全体に大きな影響を与え、軍内部をも揺さぶったことが背景にある。もし台湾チームが再び試験に不合格となれば「民心と士気に影響しかねない」との懸念から、当時の国家安全会議副秘書長・徐斯儉氏(現・国家安全会議諮問委員)と国防部副部長・柏鴻輝氏が連携し、国防安全研究院を説得して日本に謝意を伝え、JFSS机上演習を中止する判断に至ったとされる。
国家安全会議と軍当局がこれほど神経質になった理由は何か。関係者によれば、JFSS机上演習は当初、日本側の方式にならい、初日はメディア公開、2日目は非公開での推演という計画であった。しかし内部会議で、李喜明氏が主導した兵推の「後遺症」に不安を抱く退役将官らが、メディアの入場に即座に反対した。国家安全会議と国防部が恐れたのは、もし台湾チームが再び精彩を欠き、漢光演習のような「無敵ぶり」を示せなければ、国内外で「面子を失う」という事態であった。結果として台湾側は、体面を保つため日方に対して演習中止を申し入れたのである。
台湾軍は現在もなお、「機密に関わる」との理由で多くの内容を対外的に公開しない慣行を続けている。机上演習も例外ではなく、これは現代の認知戦において「国民と戦略的に意思疎通を図る必要性」とは逆行しているともいえる。台湾軍の姿勢は、権威主義的なのか、それとも自信不足の表れなのか。あるいは本来やるべきだと理解しつつも、情報公開の線引きが分からず「面倒を避けるためにやらない」ということなのか。問題は今なお残されたままである。
日本が当初台湾で開催を予定していたJFSS机上演習は、前国家安全会議副秘書長で現国家安全会議諮問委員の徐斯儉氏(写真)と、国防部次長の柏鴻輝氏が阻止に動いた。(写真/顏麟宇撮影)
国軍机上演習に「負けられない伝統」 結末は常に「奇跡の逆転勝利」 国家安全会議と軍当局がなぜこれほど慎重になり、日本側の厚意による台湾での机上演習開催まで中止に追い込んだのか。その背景には「漢光演習机上演習」における特殊な伝統がある。
海外の多くの有力機関による机上演習では、台湾有事となれば国軍の苦境が予測されるケースが少なくない。だが、漢光演習の机上演習では不思議なほど、国軍がほぼ必ず勝利を収めてきた。軍関係者の一人は、国軍には「机上演習で負けられない」という伝統があると指摘する。
2020年の漢光36号演習では、5日4夜にわたるコンピューター机上演習で、紅軍(侵攻側)の戦力が「無限大」と設定されたにもかかわらず、防衛側の国軍はそれ以上に「強大」に描かれ、最終的に「無限大」を打ち破った。黄曙光参謀総長は「戦術的奇襲」を駆使したと説明し、中国軍の台湾侵攻に動員された50隻の潜水艦がほぼ壊滅。国軍が戦局を逆転し、大勝利を収めたとされる。
さらに2021年の漢光37号演習では、8日7夜の「複合式机上演習」が行われ、「史上最も厳しい敵情」を想定したと強調された。しかし結果は前年を上回るものであった。演習中、中国軍は計1370発もの各種ミサイルを発射し、20回以上にわたる猛攻を仕掛けたが、国軍の防衛力を麻痺させることはできなかった。さらには、一時的に制圧された澎湖諸島も国軍が反撃して奪還。分散して台湾本島に上陸した中国軍部隊も、ことごとく包囲殲滅される展開となった。
国軍の机上演習や実動演習には「負けられない伝統」があり、結末はしばしば「戦局逆転の大勝利」となる。写真は漢光演習での反上陸作戦実兵演習の様子。(写真/柯承惠撮影)
「机上演習での敗北を選んでも、現実での敗北は避けよ」 台湾、 靱性 強化を唱えつつ問題直視せず 海外での机上演習は問題点を洗い出すために行われ、「兵推で負けても現実で敗北しない」ことを目的とする。しかし台湾の場合は異なり、軍当局には「絶対に負けられない」という前提がある。2008年の漢光24号演習のコンピューター兵推では、2009年に台海で戦争が勃発した初日に海空軍が全滅、さらには劍龍級潜水艦も撃沈され、陸軍のみが戦局を支えるという想定が描かれた。だがこのシナリオは大きな波紋を呼び、当時野党であった民進党の立法委員から「敗北主義」だと激しく批判され、北京に屈服するものだと断じられ、兵推を立案した軍関係者の処分を要求された。これ以降、政権が青でも緑でも、漢光演習の兵推では国軍の戦況がいかに不利であろうとも、必ず最後は「逆転勝利」で幕を閉じるという喜劇的な結末が定着した。
頼清徳総統は就任後、蔡英文前総統の下で始まった重要政策を引き継ぎ、社会全体の防衛レジリエンス強化を推進している。この「レジリエンス」とは、単に重要インフラを守り、災害被害を抑制するだけではなく、何よりも「国民の心」の強靭さを含んでいる。そのため国家安全会議と国防部は近年、各方面との戦略的コミュニケーションを強化してきた。
民間による机上演習も当然、その戦略的コミュニケーションの一環である。日本が実施するJFSS兵推も、議員や国民に戦争の現実を理解させ、受け入れさせることが狙いだ。しかし台湾はその点で十分に覚醒しているとは言い難い。米国が繰り返し台湾に「自ら防衛する意思があるのか」と問いかけるなか、台湾は表向きには強く「ある」と答えつつも、国内で大きな衝撃を与えた民間兵推で台湾チームが徹底的に打ちのめされると、国家安全会議と国防部が連携して日本側の兵推開催を阻止した。軍の「ガラスの心」を守るため、国民はぬるま湯に浸るように現実から遠ざけられ続けている。だが台湾が平穏を装い続けることで、果たして本当に平和を得られるのだろうか。